22 / 50

第22話 ピクニックディナー

 遊園地を出た瞬間、空気が変わったように感じた。光が溢れて、あったかくさえ感じられていたのに、ゲートを出たら、光は街灯くらいしかなくて、落差もあって急に寂しくなった。  あと閉園だから、皆、帰ってしまう。ゲートから出てくる人は明日の仕事のことを思うのか、早歩きをしながら表情は寂しそうで、つまらなさそうだ。 「ね、トウ、ちょっと、飯食べて行ってもいい?」 「あ、うん。いいけど、この辺、なんもないよ? それだったら、遊園地の中のレストランのほうがいいんじゃ」  もう時間はないけど、でも、まだ三十分くらいならある。軽食でも買って、中で食べたほうがいくらか気持ち的に晴れやかな気がするけど。  この周囲にはレストランらしきものはひとつもなさそうだった。各地から来やすいようにと四方に伸びる道路があるだけで、駅と、飲み物の自動販売機くらい。それだったら、中のほうが高いけど、ここよりも良いように思いえる。 「もう、買ってあるんだ」  それなら、なおさら、ここじゃないほうが物悲しくないのに。 「あ、もしかして、俺の」  俺が食べないから? だから、ひとりだけじゃちょっとって、そう思った? お店の人だって、席ひとつ分、料理を頼まず、頼んだとしても飲み物一杯くらいじゃ商売上がったりって追い返されるかも? 「違うよ。そうじゃなくて、ここで食べたいんだ。こっち」 「……」  手招かれて、ぞろぞろと駅のほうと、駐車場へと、二つに分かれて続く道、そのどちらでもない方へ向かっていく。 「一誠?」  手にはビニール袋。俺は食べないから、いつの間にか買ってきたひとり分の夕飯がそこに入ってる。 「この辺かな……」 「?」  なんか、ベストポジションでもあんのか? 首を傾げながら隣に座ったら、一誠がスッと長い指で観覧車を指差した。ここからだと遠くて、小さくなるから光のオブジェみたいだ。小さく歓声を上げたくらいに綺麗だった。  無機質で合理的な骨組み。全部が均一で計算されつくした柱が四方に向かって伸びていて、シルエットとかすごく数学的な気がするのに、光をまとってるからかな。柔らかくて、優しくて、ずっと見てるだけで気持ちが落ち着く。  俺はあのてっぺんで一誠とキスしたんだなぁなんて思い出しちゃったから、あんまり落ち着けてないけど、観覧車のあの規則性のある形はけっこう嫌いじゃないんだ。 「トウの瞳には世界がどんなふうに見えてるんだろうね」 「ぇ?」 「いつも目を輝かせて、色んなものを見つめてるから」  どんなって、そんなん、別に素敵そうなことなんてひとつもないよ。俺の瞳はガラス玉みたいなもんだから、光をまとっているように見えるだけだろ。 「これは、別に……」 「トウはわかってないだけだ」  ガサゴソって、ビニール袋が音を立てる。ゲートからはけっこう歩いたみたいで、出てくる人たちの声はかなり遠くに感じられた。きっと、楽しかったね、とか、また来よう、とか話してるんだと思う。  そんな遠く、帰る人たちを眺めてたら、急に寂しさが増した。あの楽しい空間の中で、同じ日、同じ時間を共有した人たちがバラバラに、それぞれの場所に帰っていく寂しさ。  隣では一誠はちょうどホットドックを食べるところだった。はるばる遠くの遊園地に来て、帰りの夕飯がホットドックなんて味気ない気がして、一緒に食べられないことも申し訳なくて、なんかさ。 「ごめん……」 「え? なんで、トウが謝るの?」  なんとなく。謝ったほうが俺も気が楽になるから。 「だって……」  一誠はニコッと笑って、こぼれないよう蓋のついたドリンクを一気に飲んだ。流し込んだのかもしれない。  いくら美味くたって、ホットドックはホットドックだ。もしも、俺が食べられるのなら、一誠はこんなところでそれを食べないんじゃないかとか、どうしても思ってしまう。もしかしたらホットドックでもないかもしれない。もっと夕飯にちょうどいい時間にふたりで向かい合って食べてたかもしれない。そんなことばっか考えて、自分には、って足元を見つめそうになる。 「そろそろ、かな」  でも、一誠の声がして、ふっと顔を上げた。 「!」  その瞬間、スーッと辺りが暗くなった。真っ暗じゃない、ただ、柔らかな光はすごく優しく穏かに小さくなった。 「トウ」 「ぇ? ンっ……ん、んん、ン」  閉園時間、すぎたんだ。それで園内の明かりが最小に落とされて、そんで、その周りにキラキラ届いていた光が柔らかく小さくなった。  そして、周りからは凝視してないとわからないくらいに、俺たちは薄暗い中に紛れてしっとりと深くキスしてる。 「ン、っンく……ン、ん、んン」  舌同士に絡まり合う音が甘い吐息の合間に混ざってる。人前でなんてできそうにない濃いキスにクラクラするから、一誠の胸倉にしがみ付いて、舌を擦らせて、零れそうな唾液を追いかけ喉を鳴らして、柔らかい唇に歯を立てて。 「あっ……」  唇が離れる頃には身震いまでするほど、一誠とするキスが気持ち良くてさ。 「ンっ、一誠」  ほら、またスイッチが入る。身体が、濡れる。 「ごめん。ディナーん時に、ここでホットドック食べながら、トウに観覧車見せたかったんだけなんだけどさ」 「ン」 「どうしても今、トウにキスしたくなった。帰るの、しんどくなったね」  ふたりして息を切らせてた。走ったみたいに肩で呼吸するほど。 「トウ」 「ン」  一瞬で火照る。どうしよう。帰りたくない。楽しかったのもあるけど、帰り道がもどかしい。今すぐ、一誠のことが欲しくて、もう、こんなんどうしたらいいんだよ。発情、しちゃったじゃんか。 「トウ、我慢な」 「え?」  まさか、ここで? だって、人はたしかにいないけど、でも奥まってるからって屋外は屋外なのに。 「ンっ……? ん、んんんんんんっ?」  奪うようにキスされて、舌を、って思った時、その舌にびっくりするような刺激が。 「んなっ! 何ッ! これっ」 「マスタード。激辛要注意っていうのがあったから、これにしたんだけど、これ、すごいよね。さっき一口食べて、マジかって思ってジュースで流し込んだんだ。買って失敗したって思ったけど」  バカなんじゃないの? 何やってんだよ。もう変人すぎるだろ。 「これにしてよかったかもな」 「もう! 一誠のせいで、ベロ! 痛い!」 「あははは」  あはははじゃないっつうの。味覚のほとんどを使わずにいた俺にとっては甘みだけじゃなくて、辛味にだって敏感に反応する。それなのにこんな激辛以上に辛いのだけなんて、びっくりした。 「俺も、ケーキ屋だからか苦手なんだよ」  何呑気に笑って言ってるんだ。苦手なのに辛いの頼んで、そんで、一緒にヒーヒー言ってるなんてさ。バカだ。一誠も俺も。辛いのに、胸んところは甘くてくすぐったいなんて、舌がバカに、きっと大バカになったんだ。

ともだちにシェアしよう!