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第26話 勇気
「えっと、歯ブラシ持っただろ? あと、パジャマは新しいの買ったし。それに、手土産……」
自分の手前に持ち上げた紙袋がカサカサ乾いた音を立てた。中に入ってるのはメロンのリキュール。泊まりで遊びに行く時とかは手土産を持っていくといいでしょうって、スマホで調べたらあったから。食べ物は美味いとかそういうのわからないし、物は好みがあるから難しいって書いてあったから。どうしようって、今日一日、歩き回って探したんだ。人がたくさんいるとこをずっと歩いて緊張した。
蜜香は香らなくても、俺にとっては人全てが怖いからさ。
でも、怖いっていうよりは緊張した感じのほうが強かった。初めてだ。美術館以外に自分から外に出て何かをしたいって、ビビる自分の気持ちを押しのけてまで、そう思えたのは。
メロンのリキュール、すごく珍しいんだって。お菓子にも使えますって、商品解説んとこに書いてあったから、即決だった。
お菓子にも使えるんなら、一誠が喜ぶかなって。
「忘れ物は、なしっ」
俺は一誠が喜んでくれるのが、たまらなく、嬉しいんだ。
「いらっしゃい」
「おっぁ、は、はい……」
いつもはケーキ屋のほうから、一誠と一緒に住居エリアである部屋のほうへと入っていく。でも、今日は明日が月曜で、俺はその月曜に休みを申請してて、そんで、今日が夜勤明けでほぼ休みみたいなもんだったから、丸二日空いててさ。そしたら、一誠に会えないかなぁって、数時間じゃなくて、もっと、会えないかなぁって。
遠慮しなくていいって言ったから。
『あ、あのさっ、あのっ……』
勇気を出したんだ。もしかしたら一誠にだって予定がはいってるかもしれない。俺ばっかかまってるわけにはいかないかもしれない。だって、カッコいいんだから人気だってあって、俺と違って笑顔が上手だから。一誠と一緒にいたいって人はきっとたくさんいる。いるだろうけど、でも、頑張って遠慮しなかったんだ。
閉店後にも店の中にいることを許されているのなら、休みの日に一緒にいたいって言うことも許されるかなって。
『俺、月曜に休み取ったんだ。それと前の日も夜勤明けだから』
二日連続でここに来てもいい? って、そう訊いてみようと思って、ぎゅっと、一誠の白衣の裾を握り締めた。めちゃくちゃ緊張してるから、早くは言えないけど、ワガママを言わせて欲しいんだって、裾んとこ掴んで、捕まえて。
『そしたら、うちに泊まりにおいでよ』
言ってくれたのは、一誠だった。しかも二日連続で遊びに来てもいいっていう俺の願いを遥かに超える、もっと良い事に変えてくれた。二日連続じゃなくて、二日丸ごと、一誠のとこで、一誠と一緒にいてもいいって。
俺が一歩、恐る恐る、近づいたら。一誠はその一歩を大事にしてくれる。ちょっと縮められた俺を褒めるように、優しく手を広げて迎えてくれるんだ。勇気を出したら、それを丸ごと受け止めてくれる。
「あ、あの、これ」
「?」
「今日一晩、お世話になるから、だから」
宜しくお願いしますって言葉を添えて、一日歩き回って探した手土産を差し出した。
「ま、まずかったら、そのまま捨ててもらっていいし。あのっ! メロンの! リキュールなんだってさっ」
お菓子に使えるって書いてあったから、入れ物も可愛かったから、なんだったら、中身だけ捨ててもらって、ビンだけでもインテリアの小物になるかなって。
「いいのに、そんな気を使わなくて」
「違うっ、別に気使ってなんかない」
人んちに泊まる時のマナーを調べるのも、今日忘れ物がないかチェックするのも、荷造りをするのも全部、楽しかったんだ。一誠のうちに丸二日、夜とか関係なくゆっくりしていられることがとても嬉しくてワクワクして、ドキドキしたから。
「楽しかったんだ」
「……ぇ?」
「一誠んとこに泊まるって、お土産買うのが楽しかったから」
だからこれは気を使ったんじゃない。遠慮したんでもない。俺が楽しいからやったんだ。じゃなくちゃあんな人がいっぱいの中を一日歩くなんて俺にはできそうにないよ。
「……はぁ」
「え? 何? 一誠? 俺、本当に遠慮とかじゃないからっ、だから」
「可愛すぎ」
重たい溜め息をつかれて、いい加減に少しくらいは慣れてくれってイラつかせたのかなって、慌てたのにさ。
「ふぅ……頭爆発するかと思った」
前髪をかき上げて、今度はそこまで重たそうなけだるい溜め息じゃなくて、深呼吸に近い吐息をひとつ零す。そして、ぎゅっと抱き締められた。
まだ、今はヒート状態にはならない期間だけれど、それでもこんなにくっついたらきっと甘い香りはしてる。一誠が鼻をうずめたうなじの辺りから、きっと柔らかい甘さのある香りが。
「メロンのリキュールだっけ?」
「あ、うん。なんか、お菓子に使えそう?」
「たぶんね。ちょっと舐めてみてもいい?」
「あ、俺も少し、ダメ? 買ったんだけどさ。でもどんな味なのかは知らないんだ。店員に訊いたとかじゃないし、試飲もできるみたいだったけど、でも、訊いてみることができなくてさ」
それはかなりの難易度高すぎて、まだできそうになくて。だから、味がどうなのかすごく気になってたんだ。美味しいといいなぁって思いながら、何度も自分の持っている紙袋の中を覗き込んでた。
「ありがとう、買ってきてくれて」
キッチンへと向かう。リキュールだから、濃くてグラスで飲む分量はさすがに多すぎると、スプーンを持ってきてくれた。
乳白色に薄っすらと混ざる緑色。
とろみのある原液はスプーンにとってもそこまで強烈な香りはしなかったけど。
「っ」
猫みたいに舌で舐めたら、口の中にメロンの香りがぱっと広がった。甘くて、優しい香り。でもその香りから遅れてやってきたアルコールが喉奥を燃やしていく。熱くて、ヒリヒリして、一瞬で喉から先の内側全部が火照っていく。
「美味い」
一誠の、その一言にホッとした。
「トウは? ……ぁー、もしかして、リキュールとかお酒とか初めて、だった?」
俺はちょっと苦手かな。コクコク頷いただけで、頭が揺れているような気がする。腹の底が熱くなって、指先までじんわりと熱が滲んで、肌がしっとり濡れる感触。
「平気?」
「ん、たぶん? 平気、だと思う」
フワフワしてるけど、別にまずいとは思わなかったよ。リキュールっていうお酒の種類がこんなに濃いのは知らなかったけど、一誠が美味いって言ってくれて気に入ってくれたんなら、一日歩いた甲斐があったなぁって。
「へへへ」
なんか、ちょっと楽しい。
「平気?」
俺? 平気に決まってるじゃん。それよりも、一誠は夕飯とか食べなくていいの? 俺は必要ないけど、一誠は必要だろ? 栄養摂取。俺のことは気にしなくていいよ。
「ココア……」
あ、飲みたいかも。あったかいココア飲みたい。人がたくさんいた。一日歩いてたけど、きっとここ数ヶ月かかっても会えないだろう人数の人がぎゅうぎゅうに佇んでいる場所にいた。だから、ゆっくりしたい。甘くて温かいココアが欲しいって思ったけどさ。
「んー、あったか……い」
今、自分の一番近くにある熱がたまらなく温かくて優しくて愛しいから、ココアは今、大丈夫かもしれない。
「ん、いっせ……ぃ」
すごくあったかくて気持ちイイんだ。
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