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第27話 チョコミント

 あったかい。 「……ン」  それに甘い香り。花とも、お菓子とも違う。かといって香水みたいでもない。ふんわりと軽いけれど、なんとなくこってりともしていて、鼻を通って喉の辺りで甘さが絡みついて、腹の底に滴り静かに落ちてくるような甘さ。 「?」  こんな感じ、前にも一度――。 「!」  ガバリと勢いよく起き上がると、大きな窓から差し込んでいた光に満たされた空間に一誠がいた。 「おはよ」 「!」  光の中で笑いながら、俺の寝顔を観察してたみたいだ。寝顔、を。 「ごめっ! ごめん! あのっ、俺」  寝ちゃったんだ。きっと一日中歩き回ってたせいだ。疲れてた。でも、だからって、まさか寝るなんて。何してんだよ、俺は。シャワー浴びて、さぁ、これからってベッドに行って、話して、そのまま寝ちゃってた。せっかく初めての泊まりだったのに、俺が寝ちゃって、そんで、できなかった。セックス。最悪だ。 「こら、トウ」 「んっ」  俯いて、自分の膝をぎゅっと握る手元を見ながらうなだれてたら、一誠がその視界の入ってきて、そして、鼻をつまんだ。むんずって掴まれて、出口を失った呼吸に喉が詰まったような声を上げてしまう。 「今、また、遠慮した」  遠慮じゃない。遠慮せずに眠ったことを嘆いてたんだ。 「俺は安心しきったトウの寝顔が見れたから、それでいい。あのリキュール見つけるためにたくさん歩いたんだろ? 慣れない、人ばっかの中で疲れててたんだ」 「でもっ!」  せっかく、一誠のとこ泊まったのに。 「俺は嬉しかったんだってば」 「……」  そっと頬を掌で撫でられた。温かい掌は本当に心地よくて、無意識のうちに首を傾げて、その掌の頭を預けるようにしてしまう。 「出会ったばっかの時もそうだった」  泣き疲れて眠っているのを見て、じんわりと、でもたしかに一目惚れした。今日は寝顔を見ているだけでも、その寝ているのが愛しい人なら、最高に幸せな時間に変わるって知った。 「ぐっすり寝てくれてよかった」  一誠がふわりと笑った顔が朝日みたいに輝いて、触れ合った唇は朝日みたいにあったかい。 「それに、セックスならいつでもできる」 「え? ちょ、いいいい、一誠? あの、外、朝だっ」 「無理。だって、トウ……セックス、するつもりだったんだろ?」 「!」  重なった身体は心地良いバスタブで湯に浸かってる時みたい。 「あっ、んっ……一誠っ」  そして、侵入してくる指先が、どうしよ、もう気持ちイイ。 「トウの中が指にしゃぶりついて嬉しそう」 「だって」  丁寧にほぐされる内側は、粘膜を撫でて擦って広げる指に気持ち良さそうに絡みついて、朝とは思えない感触で、一誠のことを誘惑してる。 「トウ、あとで、一緒にその辺ブラブラしよう。今日はずっと」  一日中一緒にいよう。その誘いに、甘やかされることに慣れないといけない俺は頷いて、今、この時に可愛がられたい場所を大きく開いて、愛しい名前を呼んだんだ。  なんか、不思議だ。 「トウは何か買いたいものとかある?」  街中をブラブラしていることも、その隣を歩いて、一緒に話して、手を繋いでくれる人がいることも。その人に、恋をしていることも。  今、俺はデートっていうものを、してるんだと思う。  手なんて繋いでいいのかよって言ったんだ。街中で目立つだろって。そしたら、一誠が笑って、俺の手をさらうように捕まえて、ぎゅっと握った。 『いいんだよ。好きな人と手を繋いで』  それからずっと手を繋いで歩いてる。だからずっとドキドキしてる。 「トウの欲しいものは?」  一誠はカッコいい。優しくて、爽やかでさ。でも、俺は、この人の爽やかじゃないところも知ってる。ゾクゾクするくらい色っぽい顔をするところも、汗かいてしかめっ面で、俺の中を――。 「あ、トウ、今、やらしいこと考えた? 今朝、あんなにたっぷりしたのに」 「! んなっ! はっ? はぁぁっ? そんなんっ」 「だって、甘い香りが」 「しっしてねぇよ!」  手をぎゅっと痛いくらいに握り返しながら、ぎゃんって吠えても、笑ってた。甘い香りはヒートの時に香るのとは違うやつ。穏かで、ほんのりと甘い、「好き」を香りに変えてずっと告白し続けてるみたいな、こっぱずかしいやつだ。一度、入ったヒートのスイッチはその期間を終えても尚、半押し状態でずっと一誠へ告白し続けてる。 「照れなくてもいいのに」  好き、大好きって、ずっと言い続けてる。 「照れてなっ、……ぁ」 「トウ?」 「あ、あの、あそこ、見に行ってもいい?」 「え? あれって」  視界の端に入った鮮やかなグリーン。それと、赤、黄色、紫、ピンク、鮮やかな花の色。 「俺、一誠の部屋にあった、あれ」  欲しいものなんてなかった。本当にひとつもなかった。だから買い物なんて滅多にすることがなくてさ。通販の物品倉庫で仕事しながら、物に囲まれながら、こんなに毎日誰かが何かを欲しがって買っているっていうのが不思議で仕方なかったんだ。 「あれって、ぇ、ミント?」  俺は入らないものばかりを持っていたから。何かを欲しいと思う気持ちを持ったことすらなかったよ。 「そう、ミント。一誠の部屋にあったのと同じのが欲しいんだ。でも、俺、そういうのわからなくて」  一誠の部屋みたいにあったかくなったらいいなぁって思った。初めて、こういうのが欲しいって思ったんだ。こんなふうになったら嬉しいって、希望を持った。すごく小さくて、すごく些細なことなんだろうけど。掌に乗るような小さな植木鉢ひとつでそんなたいそうなって笑われるかもしれないけど。 「いいよ。俺が選んであげる。一番元気で丈夫そうなの」 「!」  俺にとっては、すごく驚くことだった。欲しいと願うのも、希望も、全部、初めて手にした。 「これがいいかも。葉が元気だ。香りも強いし」  俺の初めてを全部、この人から受け取れる。 「なんかさ、トウとミント……甘さと爽やかさで、チョコミントみたいだ」 「!」  俺は、この人から、初恋ももらったんだって、今更、実感していた。

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