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第28話 魔法の言葉

 仕事のシフトは三直体制で、普通に日勤って呼ばれてる夕方終わりのと、その夕方から八時間の夕日勤と、それと夜勤。  夕日勤だと一誠はちょうど寝てる時間だから、俺は一誠のとこには行かない。遠慮とかじゃなくて、邪魔、それだけは絶対にしたくないから。夜勤だと寝ないとしんどいから、やっぱり一誠のとこには行かない。会いたいけど、夜勤明けの日は日中ほぼ休みと変わらないから、早く帰って寝て、しっかり身体を休めてから、一誠のところに飛び出すように会いに行くんだ。  今日は夜勤だった。  だから、今日も早く帰って早く寝る。そしたら、一誠に早く会えるだろ?  毎週月曜だけだったのが、今は仕事の都合以外ならほぼ毎日。ケーキ屋のお客は少しずつ増えてるかな。看板で行ってみようって思ったお客さんが、また来てくれるんだ。ケーキがとっても美味しかったからって。  俺のことを覚えてくれたお客さんもいた。  ここのケーキは美味しいわね、って、おばあちゃんが笑いながら話しかけて来て、俺は目玉丸くしたまま固まっちゃって。だって、人に、しかも全く知らない人にいきなり話しかけられたんだ。びっくりするだろ? なんて答えたらいいのかなんてわからないよ。どうしようって、困ってたら。  ――彼がそこのコスモスの絵を描いたんですよ。  そんな言わなくていいのに、一誠がまるで宝物でも見せびらかすように、誇らしげに絵のことを話してしまった。  綺麗でしょう? なんて、笑顔でお客さんに言ってから、接客中だっつうのに一誠はうっとり絵を眺めてるし。お客さんは絵を眺めて、感心したように唸ってるし。  俺は、恥ずかしくて、頭から火くらいなら吹き出せそうだった。  前の俺が今の様子を見たら、驚くんだろうな。 「……」  俺の部屋はオンボロでところどころが軋んだ音を立てるんだ。玄関扉に油なんてさして大丈夫なのかな。ここ最近、玄関の扉の開け閉めに、金属が悲鳴みたいな音を小さくだけど鳴らす。  本当にたくさんのものが変化した。でも、これは初めてだ。この部屋に生き物がいるなんて。  小さな葉は鼻を近づけると爽やかな香りがした。植物は毎日声をかけてやると、それを聞いてるんだって。成長速度が速くなり、丈夫で、元気になるとネットで調べたら書いてあった。でも、まだ話しかけたりはしていない。なんて言ったらいいのかわからなくて。  ずっと、ひとりで生きてきた。  だから、ずっと言葉なんて発したりしなかった。無音が普通だった。部屋がその静けさが耐えられず、独り言でも呟くようにギシギシ音を鳴らしていたみたいに思えた。もう何十年って、ひとりだったのに。  壊れるまで動き続けるんだと思ってた。ひとりで、孤独に、ずっと。  三枝さんはもういないから、俺を作った人はいないから、だから、俺は完全な孤独なんだと。 「……」  一誠の部屋にあるのと同じミントが俺の部屋の窓辺にもある。掌に乗るほど小さな植木鉢。そのミントの爽やかな香りが鼻先を掠めるほど近くに腰を下ろした。  ――トウ、たくさん可愛がられなさい。君の仕様はうんと良くしてある。それなりのところに買われるようにしてあるからね。  俺が出荷された日の朝、三枝さんがそう言っていた。実際には、高値すぎて買手がつかず、ずっと倉庫で在庫扱いだったんだけれど。そこで、いつか買われる日を待っていた。ワクワクなんてするわけがない。三枝さんのところに帰りたかったよ。だって、倉庫じゃ俺は物でしかなかったし、その頃にはセクサノイドの権利を主張する団体の意見に世論が同調していたから。倉庫で働く人たちは自分たちの食いぶちである仕事を権利を主張する団体に奪われたような気がしてたんだろう。よく倉庫内でも権利云々の話をしているのが聞こえてきてた。そして、その会話で、自分がこれからどんなところに買われていくのかという不安のほうがどんどん大きくなって、気持ちは沈むばかりだった。  もうその頃には、世論は俺たちにそういう仕事をさせることにかなり否定的でさ。買おうって思う人もなかなか現れないほどだったみたいだ。それでなくても単価が高い高級仕様の俺は買われることがなくて、値引きするか、解体するかで話し合いがされていた。在庫としても税金面で色々面倒だったんだろ。  壊されるのかぁって、ほんの少しだけホッともしていた。でも、ちょうどそのタイミングで権利が認められて、俺は、突然、自由になった。  何も持ってないまま、誰もそばにいないまま、世界にいきなり放り出された。仕事と住居は権利団体からあて。ここで暮らしなさいって、あてがわれた。  倉庫っていう四角い箱の中にいた時は権利団体の活動は俺たちにとって、とても良いもの何だろうって思ってたよ。助けてあげようっていう意思がすごく感じられたから。助けてもらえるんだって、単純に思っていた。でも、実際には助けなんかじゃなかった。そんな世論なんて本当にあったのかよと疑いたくなるほど冷ややかで、いやらしい好奇心が混ざる視線しか外の世界では向けられなかった。  人は自分勝手で、わがままで、恐ろしいって思いながら、本当に親切をしたかったのなら、壊してくれればよかったのに。そう思っていた。 「……た」  ――トウ、ひとつ魔法の言葉を教えてあげよう。  三枝さんは少し変わった技師だったと思う。俺たちにまるで子どものように接していたから。まるで、人間みたいに。そして、人間みたいに扱われることを望んでいたように思う。  ――ただいまって、言葉だよ。  もう五十年も前の言葉でも俺たちはちゃんと記憶できるんだ。言った本人である三枝さんは大昔すぎて覚えてないかもしれないけれど。ドールと技師は出荷、つまりその手から離れた瞬間から、一切の関与が認められていない。関係はすべて綺麗に断ち切られる。だから、今、彼がどこにいるのか、どうしているのかは知らない。  もしかしたら、もう生きてないかもしれない。生きていても、もうかなりの高齢で俺のことまで覚えてはいられないだろうけど。  ――その言葉を使うと、そこがお前の居場所になる。帰る場所になる。 「た……」  そんな場所はきっと俺には現れないって、ずっと、思ってたよ。三枝さん。 「……ただいま」  一誠と出会ってからもう随分経って、もう季節だって寒さを増して、秋はもうすぐ終わるのに。不思議だ。このミントがあるから、一誠がいるから、ずっとひとりぼっちで寒々しかった部屋でも温かく感じられた。 「ただいま」

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