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第29話 君を知りたい
俺にとって、何もかもが初めてづくしの毎日。映画なんて観に行ったことがないとふたりで一誠の部屋でのんびりしながら呟いたんだ。そしたら、デートしようって。映画館デート。俺が決めていいんだってさ。観たい映画を選んでいいっていうから、どれにしようかってワクワクしながら本屋をブラついてた。
「んなっ……」
そしたら、見つけたんだ。これ、これってさ、これって、どう見たって。
「……嘘、じゃないよな?」
表紙をもう一回確認した。すごく美味そうな、っていうか美味いと思う。だって、香りをほぼ毎日嗅いでいたからさ。食べてなくたってわかる。蕩けそうに甘い香りはちっとも嫌味じゃない。秋限定のコスモスの形をしたチョコレートだけは食べさせてもらったけど、めちゃくちゃ美味かった。
そして今、俺が手にしている「この秋冬で絶対に食べてたい、とっておきスイーツ」って書かれた雑誌には、ピカピカに輝いている、そのコスモス型のチョコレートを乗っけたガトーショコラ。
見間違えるわけがない。っていうか、何の映画にしようって思いながらキョロキョロしていた俺の視界に飛び込んできた、もう見慣れてしまった、一誠が作ったガトーショコラ。
「これっ」
これって、つまりはさ、そういうことだ。一誠のケーキ屋が! 雑誌で紹介されたって、ことだ!
「……すげぇ」
思わず呟くくらい、すごいことだ。
とりあえず、保存用が一冊だろ? それと、一誠は知ってるのかな。ケーキ屋の主だから知らないわけないか。でも、一緒に見たいから、もう一冊。それと部屋に飾る用も欲しいけど、でも、あんま俺が買い占めちゃったら、他の人が買えないよな。買った人全部が来るわけじゃないと思うけど、そのうちの何人かは一誠んとこに……。
「……」
来て。
「……ぇ」
今、俺が持っているのと同じ雑誌を手にした人の横顔。
「ぇ、おーい! 一誠!」
名前を呼んだ。手を振って。いつもはそんな目立つことはしないけど、今、雑誌のことでテンションが高いから、全然躊躇うことなく手を振りながら呼んだ。
一誠だ。
デートだからかな。映画観に来たことなんてなかったけど、観劇みたいにスーツとかドレスアップしないといけなかったんだろうか。すごく高そうなスーツ。あんなの持ってるんだって、びっくりした。いつもの私服だってカッコいいけど、ナチュラルでシンプルなものばっかだから、ああいう気取った感じのって嫌いなのかと思ってた。
「いっ、」
「トウ?」
自分のとこが載ってる雑誌買うのが恥ずかしいのか、少し早足で、周囲に気がつかれなように、急いでいるみたいだった。
「え、一誠?」
スーツを着てるけれど、でも、俺の知ってる一誠、だと思ったのに。
「あー、それ、見つかったか。映画館の前で待ち合わせってした後に、ここ目の前が本屋だって思い出して、トウより先にここに来ておこうと思ったんだけど。トウのほうがそれよりも早かったな」
今、目の前に、一誠がいる。ラフなニットに黒いパンツ。俺の知っている一誠っぽい、着心地の良さそうなシンプルな服を着てる。
「それ、うちの店のガトーショコラ。覚えてる? 美人のお客さんでさ、ほら、トウが蜜香を」
自分の店が載ってる雑誌に恥ずかしそうに照れ笑いをして、あのモンブランを買ったお客さんが雑誌の編集者で、そんでこの雑誌を担当しているすごい人だったんだって教えてくれた。モンブランを食べて気に入って、また、今度は取材のことも話したくて訪れた、雨が降って、俺が甘い香りを漂わせて、店をその日は閉められてしまったって、一誠と同じアルファだから、まぁ事情はなんとなく察しましたって笑われたんだと教えてくれる。で、後日、本当に雑誌に載せたいって言われたから、まぁ、小さなケーキ屋だし、雑誌の端っこにでも乗っけてもらえたら嬉しいなぁなんて気軽に依頼を受けた。
「それがこんなでかく表紙になって、ページ数も相当さいてもらったんだ。ちょっと驚いてさ。トウに言いたかったんだけど、照れるだろ? こういうの」
「……」
「でも、予想以上に本当に照れるな」
一誠だ。
「ね、今、一誠とそっくりな人が」
「え?」
「一誠だと思った。スーツ着て、そんで、この雑誌買っていったから、俺てっきり一誠だと思って呼んだんだ」
どうりで素通りだ。俺の横でこの雑誌を手にしていったのに、その時、本物の一誠だったら、今みたいに声をかけてくれていただろうし。名前を読んでもちっとも振り返らなかった。
「でも、全然別人だった。そういわれてみれば、全然違ってたかも。一誠じゃないみたいに怖い顔してたし」
横顔でもわかるくらい不機嫌な顔をしていた。一誠はあんな顔しない。
「ごめんごめん。間違えた。一誠なわけないんだよ。俺何度も大きな声で呼んだし」
「……」
「映画、何にしよう。俺、よくわかんないんだけど。一誠は? どういうのが好き? 俺、一誠が好きな映画を一緒に観たい。っていうんじゃ、ダメ?」
よくわかんないんだ。映画自体まともに観たことなんてほとんどないからさ。だから、一誠が好きなものを知りたい。ケーキを作るのが上手くて、照れたり困ったりすると頬んとこを指で掻きながら笑う一誠の好きなことをたくさん、知りたい。
「一誠の好きなもの、覚えたい、っていうのは、ダメ?」
「……」
「一誠?」
何を考えてたんだろう。今、この瞬間、ものすごい表情をしていた。つい数秒前には照れ笑いをしていたはずの一誠が、足元を見て、眉間に深い皺を刻んでた。名前を呼ぶと、ハッと我に返ったように俺を見たけど。
「一誠? なんか、あった?」
雑誌のせい? それとも、俺が何かしちゃった? この雑誌を見つけちゃダメだったとか?
「ごめん、あはは、なんでもないよ。それより、映画?」
「あ、うん。一誠が見たいのを見たいなぁって」
「いいよ。それじゃあ、俺は――」
なんとなく、一誠って物腰が柔らかいし、ケーキ作りが好きだし、部屋も掃除がしっかりしてある明るい清潔な感じだから、映画も恋愛とは感動ものなんていわれてる、女性も好みそうなそういう優しい映画とか、あとは恋愛ものとかを選ぶかなぁって勝手に想像してた。もしくはその逆でホラーとか?
けど、全然違ってた。
アクション映画だった。ヒーローが最初は大嫌いだった同僚のいざこざに巻き込まれて、めちゃくちゃ嫌そうでさ。そりゃそうだ。車で追いかけられて、自分のは大破だし。服なんかボロボロですり傷なんだか切り傷なんだか、ヤケドなのかもしれない。さっき爆風に巻き込まれて吹っ飛んでいたから。でも、そんな危険をかいくぐって、最後は悪の組織に掴まった同僚を助け出すんだ。ボロボロになりながら、ものすごく怒った顔で飛び込んできて。
『ほら、来てやったぞ。お前の予想は大外れだったな』
って、言って、敵から、同僚、じゃなくて、親友となったそいつを助け出す。ド派手アクション満載の、ラストは爽快などんでん返しで幕を閉じる大作娯楽映画。
俺は大画面に最初から驚いてワクワクしてたから、ずっと楽しかった。映画ってこんなんなんだって感動したくらい。
すごい興奮したんだ。エンドロールの間にパラパラと他のお客は帰っていったけど、一誠が立ち上がる気配はなくて。この二時間ない映画に携わった人がこんなにいるんだと驚くほど永遠に続きそうなエンディングをずっと眺めてた。そして、それも終わって、劇場に明かりが灯ったら、話したくて話したくて。
「一誠、映画さっ」
「楽しかったね。ド派手だったなぁ。まさか、あのビルひとつ吹っ飛ばしたのかねぇ」
「……」
でも、それは俺だけ。
見てた? 一誠、ちゃんと映画見てた? 途中、大きな音に驚いて飛び上がったことが恥ずかしくて、隣にいる一誠を見たけど、飛び上がっていないどころか、前の座席を見ながら、なんか、考え込んでたよ。
「それに、あのカーチェイスも」
「……一誠」
すごかったね、って言ってるけど、本当に見てた? 映画、楽しくなさそうだった。
あぁ、なんで、こんなに俺って怖がりなんだろ。ずっとそうだった。ずっと、その怖い感情の中ですごしていたから、今、そこから抜け出してもまだ、隣に居座ってるんだ。少しでも不安なことがあるとすぐに「怖さ」に足元をくすぐられる。自分のことがあんなに嫌いだった奴が急にそんなに好かれるわけないだろ? って、笑われて、不安に内側が染まっていく。
「ごめん、トウ」
「!」
「映画、あんまり見てなかった」
「……」
「さっき、トウが見間違えたっていう、俺に似たスーツの男」
怖さに溺れてしまいそうだった。
「その男には絶対に、近づかないで」
だって、一誠が、見たこともない表情で、強い声で、そんなことを言ったから。
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