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第30話 落ちこぼれ

 一誠は強い口調で話すことがない。俺にも、そして誰にでも優しく丁寧に話す。そんな人が強い声で、強い口調で言ったんだ。 「その男には絶対に、近づかないで」  びっくりした。  俺が本屋で見つけた一誠にそっくりだったスーツの男。ただ顔が似てるだけで、雰囲気はまるで違ってた。優しい一誠は絶対にしない厳しい表情に、見ただけでわかる高級な身なり。近寄りがたい雰囲気を纏っているのに、スッと目が引き寄せられる。たぶん、あの人はアルファだ。俺が想像していたアルファそのもの。  たしかに近寄りたくはない感じがしたけど、でも、偶然、出会っただけの人に、近づくもなにも。 「その男は」  近づくも何もないって思ったけど。 「俺の双子の兄弟だから」 「……え?」 「……スーツを着た俺に似た男は、俺の兄弟だよ」 「すみませーん。会場の清掃を行いますので」  会話を断ち切る、劇場スタッフの声にハッとした。そして、厳しい表情を和らげて、「行こうか」って、いつもの柔らかい声で俺の手を引いて歩いていくその背中をじっと見つめた。  あの人が一誠の家族? 顔の感じは似てたけど、でも、雰囲気は全く違ってたよ? それに、何より、家族なんだろ? でも、今の一誠の顔はどう見たって、あのスーツ姿の兄弟のこと、好きなようには。 「もう縁は切ってるけどね」  劇場を出ると、一気に周囲の雰囲気が変わる。シックな黒い壁と廊下で、少し大人の空気が漂っていた映画エリアが一変して、明るく楽しげで、笑い声と話し声が止まることのない、白を基調としたショッピングエリアに。  それなのに一誠の表情は沈んでる。どんよりとした曇り空みたいだ。  縁って、家族の縁を? 俺にはないものだけれど、それって見えないけれど、でも、すごく大事なものなんじゃないのか? 「俺はあの人たちにしてみると、落ちこぼれで恥ずかしい存在だった」 「……は?」 「アルファとは思えない。なんてポンコツなんだって、ずっと言われてたよ」 「ちょっ」  そんなことあるわけないだろ。一誠はカッコよくて、ものすごく強くて優しい俺の大事なヒーローだ。 「あの人達にとっての俺はそうだった。こんなアルファ見たことないって、よく頭を抱えてたよ」  一誠の話してくれることを全部、丸ごと、そんなわけないだろって完全否定したいのに。ポンコツなんかじゃない。こんなにも魅力的なアルファなのに。たくさん言いたいことが一気に押し寄せてきて、喉奥で詰まってしまった。一つも出てこなくて、ただ目を丸くして、一誠に言葉を聞いていた。 「あまりに不出来で恥ずかしいと、勘当されて、俺は母親の苗字に変わったくらい、嫌われてた」 「……」 「だから、トウはあんまり」 「一誠はカッコいいに決まってるだろ!」  詰まった喉奥の言葉たちを掻き分けて、一番に飛び出した言葉はそれだった。もっと頭の良さそうな、立派な言葉をいればいいのに、幼稚で拙い、そんな一言しか言えなかった。 「トウ……」 「俺も、こんなアルファは見たことないよ。優しくて強くて、世界で一番」  でも、本当なんだ。一誠はカッコいいんだ。素敵とか、ハンサムとか、優秀とか、才能とか、そんなんじゃ足りない。 「一番カッコよくて、大好きだよ」  ねぇ、だって、俺を変えたんだ。何十年って縮こまって、丸まって、隅っこで終わりの日だけを夢見てた俺をこんなふうに変えられた人が、すごくないわけない。不出来なわけない。  絶対にありえないって思ってた俺に、恋を教えてくれた人なんだ。 「……トウ」 「俺、一誠のこと、大好きだ」  ぽろぽろ、涙が零れ落ちてく。今、心から自分の機能に感謝した。だって、足りない言葉よりもきっとこの甘い香りが一誠に「大好き」って伝えてくれる。だから、そんな顔しないでって、香りで、涙で、言葉以外のもの全部使って、一誠に伝えられる。 「トウ、今夜、こうして寝ててもいい?」 「ぇ? ぁ……」  今夜は泊まった。一誠の部屋に泊まって、そんで夜、ベッドにふたりで入って、キスして、寝転がった。  でも、セックスは、しない。 「ごめん、トウ」 「謝んないでよ。俺は、一誠がしたいこといっぱいしたい」  抱き合って、俺の胸んとこに顔を埋めた一誠の頭のてっぺんが見える。 「っていうかさ、一誠こそ、俺なんかに抱き締められても、あれじゃない? あんま、その」  気持ち良くないだろ? 骨っぽいし。抱かれるようにはできてるけど、抱く設定も考慮して作られてるから、両性ってほど柔らかいわけじゃなくて、だから、その。それに、この身体は基本、セックスのための――。 「気持ちいいよ」  一誠の吐息が胸のところに触れてあったかい。まるで俺が温められてるみたいに、そこからじんわりと熱が染み込んで、柔らかい髪をすいてる指先まで温まる。 「トウの腕の中、安心する」 「……俺の、なんかで?」 「なんかじゃない……トウの腕だから、安心するんだ」  優しい吐息。  こんなに優しい人なのに、一誠の家族はその優しさすら嫌っていた。アルファのくせに、人の上に立てる器を持っていないと蔑んだ。お菓子を作るのが小さい頃から好きだったけど、家族はそれを嫌がって、厨房に入ることを禁じてた。経済学とか、おえらいさんになるための勉強をしたがらない一誠はいつだって怒られて、残念だと溜め息ばっか上から浴びせられて育った。  家族全員が見事なアルファで、血統が自慢。そこにぽこっと現れた異物。一誠はそんなふうに扱われ、そして、見限られた。そんな子どもを産んだ母親も一族からは弾かれ、ふたりで家を追い出されたのは、一誠が中学に上がった年だった。もう、ここまできても治らないのなら、一生、こいつは落ちこぼれなんだろうって。  人じゃない俺から言われたくなんてないだろうけれど、一誠の元家族はアルファではあるかもしれないけれど、人間じゃないよ。ただの「アルファ」っていう血統証のついた物と同じだ。  幸いだったのは、お母さんは一誠に似て優しい人だったんだって。だから、ふたりでアルファとか関係のない場所でのんびり過ごしてた。  でも、それすら、自分達の「素晴らしい血」を持っている落ちこぼれのことが許せなかったんだ。  自立して数年。働いて貯めたお金でお店を持つことになった一誠だけれど、そこに邪魔が入った。数年で店を持てるっていう時点で、やっぱアルファなんだと思ったけれど、元家族が阻止したんだ。どこの不動産屋にいっても、銀行に行っても、最初は好意的に話を聞いてくれてた人たちが、ある日突然、態度をいっぺんさせる。資金も土地の契約も渋がられ、断られてしまう。元家族の名前が一誠のやること全てを潰そうとする。その名前を持ったアルファどもに目を付けられたら大変だと皆が肩を竦めて逃げてしまう。  それでも負けずに堪えて作った店が、今の、ケーキ屋だった。  へんぴな所。入りにくい奥まった箇所で見つけてもらうのさえ一苦労な場所に、ぽつんと建っているケーキ屋。  一度、なんでこんなところに作ったんだよって、訊いたっけ。  そしたら、一誠は笑って、お金がなかったからって、答えた。 「……」  ここしかケーキ屋をやれる場所がなかったんだ。 「……一誠」  それでも強くて、凛々しくて、太陽みたいにあったかい人。 「大好きだよ」  ねぇ、俺なんかでよかったら、いくらでもこの両腕、手、脚、身体も心も丸ごとあげるし使ってよ。辛いこと全部俺がもらってあげる。一誠の悲しいのは全部俺が取ってあげるから、だから、どうか――。 「大好き」  この優しくて穏かな寝息の邪魔をしないように、そっと、そーっと、頭のてっぺんに愛をこめて、キスをした。

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