33 / 50
第33話 食べたもので、できている
接客業なんて初めてやった。ずっと倉庫とかで作業する仕事を選んできたから。ドキドキして、人相手は怖くて、緊張のあまりミスしそうで……なんて心配してる暇もなかったよ。
「はい。お疲れ様でした。トウ、ごめん、仕事上がりだっただろ?」
ケーキもお菓子も完売。笑顔で店を閉めて、鍵をかけて振り返った一誠は笑いながら、明日の仕込みが大変だって言ってた。一応は雑誌掲載の影響を考えて多めに作っておいたらしいけれど、一誠の読みはまだまだ甘かった。こんなだったなんてなぁって、嬉しそうだけど、疲れてそうだった。
「疲れたよな」
「んー、平気」
「向こうで仕事した帰りにこっちでもなんて、ごめん」
「平気だってば」
大変だったのは一誠じゃんか。
俺は……必死だった。
とりあえず笑った顔だけはキープしつつ、言われたケーキを箱に詰める手伝い。一誠のとこのケーキなら全部名前を覚えてるから、ピックアップするのに間違えることはなかったよ。お客さんから見たら名前のついたケーキでも、一誠の側から見ると名前なんてついてなくて、知らない人はいきなりじゃ何がなんだかわからないと思う。箱にケーキを入れるコツだって、ずっと接客してた一誠を見てたからばっちりだった。
「ありがとう。助かった」
俺は、一誠からその言葉をもらえただけで嬉しいよ。一誠の役に立てたんだって、嬉しくなる。
その嬉しさが顔に出てた? それとも蜜香が溢れた? 一誠が微笑んで、俺の右頬をそっと大きな手で包み込んだ。優しくて、思わず、その掌に預けるように頭を傾けてしまう。その重みを受け止めて撫でてくれる大きくて温かい、大好きな掌。
「ごめん。あの人のこと……」
その掌が確かに今、強張った。
「トウのことを傷つけた」
「俺は、気にしてないよ」
「……ごめん」
「ホントに気にしてないから。あんなの、慣れてる」
ホントだよ。普通はあぁいうもんだよ。一誠が変わってるんだ。権利を認めて、人と同じように扱いましょうって、言ってる時点でもう俺らは蔑まれてる。扱うって言葉が自然と口をついて出てる時点でさ。でも、あまりに自然で言った本人も言われた俺らも気がつかないんだ。気がつかない間に、それは無意識下に刷り込まれて、どこかでふわっと湧き上がって「差別」になる。
俺の絵を見てくれた人たちがセクサノイドが描いたものだと知った瞬間に。
倉庫で働いている、力仕事には向かなさそうな奴がセックスのために造られたラブドールだとわかった瞬間に。
そして、気品溢れるアルファがオメガの偽物が目の前で話して歩いているのを見た、その瞬間に。
突然、現れて、俺と人とを差別する。
「でも、ごめん」
「いいんだってば。俺は……」
そんなのはもう何回も、何百回も味わってきた。それでも壊れないから、仕方なく、その中でこっそりと、傷つけられて痛くならないように膝を抱えてすごしてたけど。
「俺は一誠がいてくれるから」
大丈夫だよ。本当だ。
「ねぇ、トウ……」
一誠のおかげで、変われた。あんなに小さくなって、狭苦しいところで、怖がったりなんて、もうしない。
「俺は、トウが……好きだよ」
前に三枝さんに聞いたことがある。なんで人には食欲があるの? なんで、食べるの? って。
食べたものが身体を作っていく。食べて、それが肉に、骨に、筋肉になって、その人が強くなる。そう教えてくれた。それならさ。
「俺も、一誠のこと、大好きだよ」
それなら、一誠の言葉は俺にとって食べるのと同じかもしれないって思ったんだ。そして、くれた言葉を食べるために、そっと口付けて、唇にちょっとだけ歯を立てた。
「トウ」
一誠の言葉が俺の中に入って、身体を強くしてくれる。骨も肉もないけれど、たしかに、その言葉達が俺のことを強く変えてくれるんだ。
一誠が心配してくれてた。うちに泊まって、そんで送り迎えをするから、なんてさ。ケーキ屋が今めちゃくちゃ忙しくて、朝だって、もう朝じゃなくて深夜から起きてケーキの準備してるくらいなのに、それで送り迎え? しかも、お店がやっている間だったとしたら、一旦、店を閉めてまでなんて言うから。バカなこと言うなって怒ったんだ。
平気だって、笑った。
でも、心の準備はしておいたよ。だって、たぶん、あの人はイヤだろうから。
一誠が、自分と同じ血を持った一誠がセクサノイドを好きなことも、それ以上に、セクサノイドなんてただのオモチャに手を差し伸べて、大事に、守っていること、その全部に虫唾が走ってるだろうから。
きっと俺のことを排除しようとすると思った。
「三枝トウ……トウね……十体目とか、か?」
ただ、まさか職場まで調べるとは思いもしなかったけど。二十四時間稼動してる場所なのに、ちょうど俺がいるタイミングでやってくるとは。
「運が悪かったな。まさか、うちが融資している企業で働いてるとは思いもしなかった」
もう大丈夫。俺はもうただのロボットじゃない。愛玩用のオモチャなんかじゃない。
「まぁ、この辺の企業で融資してないところなんて、そうそうないんだが」
「……」
「今日は匂わないんだな。あれは」
「一誠が、いませんから」
俺がその名前を口にするのすら許さないって顔をする。でも、俺はもう膝を抱えて隠れたりはしない。
「俺のこと、クビにしてもらってもかまいません」
「はっ、それで、あのケーキ屋で雇ってもらうつもりか?」
「いいえ。別のところで働きます。そこをクビにされたら、また次を探します」
その人の眉毛がピクッと動いた。きっと、俺にムカついたんだろう。愛玩目的だけ、性欲解消ツールとして作られたただのオモチャが壊れることに怯えるそぶりもみせず、背筋を伸ばしていることが腹立たしい。そう思ったんだろ。
「でも、一誠の隣からはどきません」
そんなふうに蔑まれるのには慣れてるよ。悪いけど、五十年ずっとそういう世界の中をひとりでいたんだ。耳を塞いで、目を閉じて、口を閉ざすのは、簡単なように思えるかもしれないけど、簡単なんかじゃない。それをいつ終わるのかもわからない、永遠みたいにさえ思える時間の中、ずっとずっとひとりでしてきたんだ。
怖がりだけれど、それでも、俺はその中にずっといた。
「どきませんから」
耐えるのは、慣れてる。
――俺は、トウが……好きだよ。
その言葉が俺の中にちゃんとあるから、俺は頑丈になれたんだ。
「すみません。クビになるまでは仕事しないとなんで」
会釈をして、できるだけ離れながら通り過ぎた。向こうにしてみたら、蜜香が漂ってなくなって、蔑んで嫌悪してる奴が横をすり抜けた時に起こる風が指先に触れるだけでも、ゾッとするだろうからさ。
なんともないよ。
本当になんでもない。
「……すごいね」
ただ、ぼぞっと呟くくらいびっくりしたんだ。三枝さん、本当だったよ。本当に、食べると元気になって強くなれたよ。
――トウ。
一誠の声を思い出して、胸んとこをぎゅっと握った。俺を強くしてくれる一誠の言葉をいっぱい胸の中で感じて、足を前に進める。だって、残業できないからさ。
「おはようございます!」
ちゃんと定時で帰って、いっそいで、一誠のとこ手伝わないと。じゃないと、あのケーキ屋は世界一小さくてひっそりとしてるくせに、世界一忙しくて、大人気だから。
ともだちにシェアしよう!