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第35話 天真爛漫な、悪魔

「彼はうちが懇意にしている取引させてもらっている企業のご子息でね。これから自分が何千人っていう従業員を背負って立つためには、従業員、労働者の立場も深く理解したいと仰られて」  勝ち誇った笑みを口元に浮かべ、そう涼しげに言ったのは、一誠の元家族っていう人だった。腕を組んで、ドアに寄りかかりながら、俺の目の前で、「現場」というものにはしゃくオメガを眺めてる。 「あの! すみません! あっち見てもいいですか? えっと」 「彼の名前はトウ、三枝トウ、だそうですよ。類さん」  教えなくたっていいだろうに。オメガは俺の名前を二度繰り返し呟くと、覚えた、って笑って、まるで、野原でも駆け回っているみたいに商品に、物に囲まれた倉庫の中を見て歓声をあげている。 「どうだ? 本物のオメガを見た感想は」  一誠に似てるはずなのに、ちっとも似てない。声だって似てるはずなのに、やたらと低くて、聞いてると身体から体温が奪われていくような冷たさを感じる。  知ってるよ。  教えてもらわなくたって、本物に俺が叶うわけないって、わかってる、でも、いいんだ。もう気にしないから、いいんだ。 「ニセモノっていうのは宝石もオモチャも同じだな」  天真爛漫って言葉がぴったりな人だと思った。可愛い感じの人だ。オメガとか関係なく、きっと誰もが彼に好意的だろうなって思う。だって、こんなにイヤな気持ちさせる、一誠にもあんなひどいことを言うような人にさえ、明るく優しく接して。俺みたいな、いわゆるブルーカラー、にもとても優しく、慈悲深い。 「単体で見ればそれなりの見てくれに思える」  喉奥で空気が、ひゅ、っておかしな音を立てた。  声が出せない俺を見て、嬉しそうに笑ったかと、腰を曲げて、一誠の唇の形にそっくりなのに、イヤな笑い方をする、その口元を俺の耳に寄せた。 「だが、並んでみたらどうだ? 一目瞭然で本物の輝きに霞む」 「……」  耳元でクスッと笑った。 「想像してみろよ。あの真っ白な天使みたいな容姿をしてるくせに、ヒートになったら、むせかえるほどの甘い香りを漂わせて、ドロドロに蜜まみれになりながら、雄を誘うんだ。理性も知性も、溶けて消える。好きも嫌いもない。ただ、お互いにバカになったみたいに、肉欲だけを貪る。あの天使が。最高だろうな」  最低だ。本当に、心底最低だって、思った。この人と一誠がほんの一滴でも同じ血を持っているなんて、信じられない。 「あいにく、俺には番がいる。遊び呆けていられるほど、暇じゃないんでね。俺の番もハイスペックだが、類もかなりの上物だ。オメガで、良家で、あの外見、最高だろ?」  オメガは子作りをその存在意義にしているせいか、あまり高い地位にいることがない。アルファと番になるのだから、アルファぐらい羨望の眼差しで見られたっていいはずなのに、彼らの地位はそこまで高くない。だからあの白い天使のような存在は本当に稀だ。 「あんな、白くて可憐な花が、その時だけ、ドロドロの蜜にまみれて、淫乱に咲く。雄なら誰だって、貪りたくなる蜜の塊。それを所有するのは最高に甘美だと思わないか?」  最低。  その淫らな味を知りたいっていう理由だけで作られたから、俺にはそれがどんだけ強くて、逆らえないものなのか、知ってる。わかってるんだ。理解してる。その強烈で、強制にも近い誘惑を、俺は、できないって、わかってる。  オメガの特別な蜜香にはとうてい敵わない。 「本物を目の前にしたら、偽者は、なんて惨めでかわいそうなんだろうな」 「……」 「ねぇ! 三枝さん! この高いところはどうやって商品を取るんですか?」  突然、棚の隙間から顔を出した彼に飛び上がってしまった。そして、この男に、怖がっていることを知られてしまう。 「そ、それはっ! 梯子を使って」 「え? あんな高いところに上るんですか? 危ない」 「えぇ、危ないから君はやめておいたほうがいい。そういうことはしないでくれ。君は」  俺の背後から頭上を越えて、低い声が優しく彼に語り掛ける。思いやりのある、甘い声。 「君は大事な人なんだから」  まるで、一誠が彼を心配してるみたいに感じた。 「はーい」  白い天使は頬を綺麗なピンク色に染めながら、むくれた顔をして、また倉庫の棚の中へと探検しに出かけてしまった。 「ゾッとするんだ」  そして、耳元ではやっぱり冷たい声が俺からあったかいものを奪って凍らせようとする。 「縁は切ってるが、それでも、いやだろう? 自分と血を分けた存在が誰でも使える卑猥なオモチャを大事にしてるなんて」  気持ち悪いだろう? そう、囁かれて、指先が冷えて凍えた。 「だから、消えて欲しいんだ」  そのまま指先から凍って腐って、壊れていきそう。 「ねぇ! 三枝さん!」 「類さん、ここは気に入った?」 「うん! とっても! 紹介してくれてありがとう。とても勉強になるよ」 「それはよかった。でも、危険なことはしないように」 「はーい」  俺を凍らせた声が、目の前のオメガを溺愛してる。大事にして、世話をする、おままごとを楽しんでいる。 「君は大事な人なんだから」 「ありがと。ね、あとは大丈夫! 僕もお仕事できるってば!」 「はいはい。じゃあ、俺はまた夕方に迎えに来るよ。でも本当に」 「わかってます!」  それは、まるで、将来を見せられてるみたいだった。優しい笑顔で手を振って、それを受け取り、笑顔で手を振り返す。 「彼、素敵だよね……」  一誠はアルファだからどこかに番が存在している。世界のどこかにたったひとり、一誠と心も身体も全てで繋がれる奇跡の存在がたしかにいる。そして、一誠と結ばれる日を待ち侘びてる。  ――理性も知性も、溶けて消える。好きも嫌いもない。  アルファとオメガの運命なんだ。出会った瞬間、もう抗うことなんてできやしない。とても強くて揺るがない強烈な運命。 「いいなぁ。って、内緒ね。彼の番のオメガ、すごく美人なんだよ。憧れちゃう。番ってさ」  でも、貴方にもどこかに番がいるんだろ。 「僕の番はどんな人なんだろう」  きっとその強烈な運命はただ待っていてもいつか、引き合うように近づいて、目の前にやってくるんだろうな。だって、運命なんだから。逃れることなんてできない。本能のところ、生き物の一番深くて、一番奥のところで繋がるんだから。  生き物じゃない俺には、ない、よ。 「あ! ごめん! 仕事しないとだよねっえっと、仕事内容は聞いてるんだ! リストを見ながら、商品を探すんでしょ? 僕も手伝うよ。ぁ、そのリスト?」 「は、い」  白い天使、まさにそんな人だ。笑顔が可愛くて、天真爛漫で、明るくて。そんな人が、俺のリストを覗き込んで、その拍子に、鼻をスンと鳴らした。 「ココア?」 「……ぇ?」 「甘い、良い香り」 「……」  天使がニコッと笑った。 「美味しそうなココアの香りだね」  でも、その笑顔が。俺には、すごく怖くて仕方がなかった。

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