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第39話 貴方の蜜香
一誠に出会えて嬉しいよ。好きで、好きで、仕方がないくらい。とても大切だ。――でも、だからこそ、俺はこの手を離すべきなんだ。俺は一誠の子どもを作れない。この人の血を次へと繋げることができない。
「一誠っ」
わかってる。この手を離して、あの天使のところに送ってあげるべきなんだろ? 俺を守ってくれようと何度もしてくれた大きな背中を押して、あの人のところに送ってやらないといけない。一誠の運命の人で、一誠の子どもを作ってあげられる、唯一のオメガのところへ。
抱いたら、きっと頭がおかしくなるくらいに気持ちイイよ。だって、あの可憐な人は一誠に抱かれるために生まれてきたんだから。そして、一誠はあの天使を抱くために生まれてきた。
「っ」
そう思っただけで俺は粉々に壊れてしまいそう。一誠のこと離してあげるべきなのに、いやだ。この手を離したくない。ここにいてよ。俺のこと抱いてよ。俺のこと、好きでいてよ。そう手が一誠の服を握りしめたまま動かないんだ。
「あの人んとこ」
今ならまだ間に合うよ。あの上品なのにやらしくて美味しそうな蜜香がまだほんの少しだけ香ってる。この手を離して、頑張って押して、ここからあっちへ行かせてあげればいい。それが本当の幸せだろ? 運命はあっちなんだから。
「ねぇ、トウ、俺の気持ちは?」
「……」
「しなくちゃいけない、じゃなくて、したい、っていう俺の気持ちは?」
「……」
「俺は君のことを大事にしたい。好きだから。これから先、悲しい涙を流させない。大切な人には笑っていて欲しいだろ? 君以外なんてありえない。よそ見しない。したくないんだ」
涙が溢れる。
「愛してるから」
「っ」
「君が俺のことを好きで、大好きなのなら、大事に、大切にして欲しい」
好きだよ。俺には好きなものなんて何一つなかったけれど、今、ここにある。たったひとつ、どうしても好きなものが今、目の前にある。
「俺のことを、大事にして。君の中にある、好きっていう感情を大事にして欲しいんだ」
この人が、たまらなく好き。
「トウ……」
そっと両頬を両手で包み込んだ。俺の、宝物。
「……甘い」
零した涙を一誠の唇が拭ってくれる。涙を美味しそうに舌で舐めて、喉を鳴らしてる。わからないよ。運命って、すごく強いものなんじゃないのか? 恋とか、愛とか、それよりももっとずっと強いんだろ? 本能は思考とか、理性とか、常識よりももっとずっと、人を強烈に動かすんじゃないのか?
「知ってる? 人間の三大欲求」
「一誠?」
「睡眠欲、性欲、それと食欲」
知ってる。でも、それがどうしたんだよ。
「俺はね、その中でも一番は睡眠欲、その次に強いのが食欲、で、性欲だと思うんだ」
「……?」
「トウの身体は甘いんだよ。この涙も」
「あっ!」
身体がビクン! と跳ねたのは濡れたそこを撫でられたから。
「ここも、とても甘い体液を零す」
「っや、やめ」
反応しちゃうから。必死に頑張って、今、一誠を押してあげないとって思ってるのに、そこ押されたら、ダメになる。一誠のこと離してやれなくなる。欲しい気持ち、したい気持ちが、勝っちゃうよ。
「だから、オメガと番になるっていうのが本能的だとしたって、性欲だろ? 俺はそんな性欲からくる誘惑よりも、この甘いのがいい。飲んで、咥えて、全部口にしたい。それって食欲と一緒だ。性欲よりも強い欲求。だから、ちょうだい?」
言いながら撫でられて、もう手放してしまいそうになる。必死に掴んでいる理性を捨てて欲しいものを鷲掴みしてしまいそうになる。
「も、バカだろ! そんなの屁理屈だっ」
「じゃあ、はい」
話そうと思って口を開いたところで放り込まれた甘いクリーム。一誠の指がすくい取ったケーキの真っ白なクリームを指ごと、舌の上に擦り付けられてる。くちゅって音を立てて、甘いクリームは舌先で溶けて、喉奥に流れ込んでくる。
ずっと食べたかったけど、ずっと、我慢してた。俺にとって食べるっていうのは無意味なことだから。口から入って出るだけで、食べ物を無駄にするだけだから。
でも、ずっと口にしてみたかったよ。どんだけ美味しいんだろうって、香りをいっぱい吸い込んでさ。食べてみたいなぁって喉を鳴らしてた。その甘さが身体に染み込んで、内側が、すごく、火照る。ただのクリームなのに、甘みが毒みたいに身体を侵していく。
「これが、俺の蜜香だよ」
「……」
「君のことが好きだっていう思いを込めて作った、俺の蜜香」
「……」
ふわりと笑ってくれた。
「美味しい? 一生味わってたいって、思った?」
「っ」
「君の蜜香もこんなふうに美味しくて、俺を満たしてくれるんだ。俺は、トウの蜜香を一生味わっていたいって、思ってるよ」
このクリームは甘くて、優しくて、すぐに舌先で溶けてしまった。食べたはずなのに、それは口の中で変化して液体として俺の中に染み込んでいく。きっと、今、キスをしたらもっと甘くて、抱いてもらったら、この身体から溢れる体液も甘くて、やらしい。
「くれる? トウ味、すごく好きなんだ」
「……」
全部が甘くて、あったかくて、それを口にしたら、きっと、俺のためにって一誠がいれてくれたココアみたいに満たしてくれる。
「あ、一誠っ」
これが、一誠の蜜香? こんなに美味くて、たまらない味なの?
「食……べて」
舌先で甘いのと一緒にダメって突っぱねてた理性が溶けて消えた。
「トウ」
「一誠。俺のこと……を、たくさん、いっぱい、俺の甘いの、全部、食べて?」
一誠の蜜香がすごくすごく美味しいから、もっと欲しくて、その首を引き寄せた。もう離さないって、ぎゅって指先に力を込めて、愛しい人にただ一生懸命しがみついたんだ。
俺の、偽物の香り。甘くて、とろみのある蜜を思わせる、胸の辺りが、じんわり火照る感じがするのはリキュールみたいな強さがある。一瞬で火照って、焦がして、喉が乾くような香り。
「あ、ン……くっ……ン」
喉奥が熱い。
「いっせ、んっ……んんっ」
一誠も喉が渇いた? 俺の唇に噛み付くようにキスをして唾液が繋がって絡まり合う舌を伝う。蜜音を立てて、キスで唾液を交わし合う。
「俺、一誠のこと、好きっ」
じゅぶ、なんて、キスらしくない音を立てて、唇がびしょ濡れになっていく。あまりに深く貪るようなキスに、離れていく唇を追いかけるように唾液の糸が繋がる。それを一誠の優しい指先が拭って、舌先に、クリームと一緒に塗りつけてくれた。美味くて仕方ないから、俺が指ごと口ん中で舐めてしゃぶったら、もうびしょびしょの唾液まみれだ。
「一誠の作ったクリーム、美味しい」
抱き合って、おでこも胸も腹も、身体をできるだけくっつけた。ただキスしただけで溶けちゃいそう。もう、すごい濡れてる。一誠のことが欲しくて、身体の奥が熱くて仕方ない。その身体を抱きすくめられて、奥のところがきゅっと締まった。
「い、せい?」
俺の肩に額を乗っけて、吐き出した溜め息が震えている気がした。泣いて、る? 抱き締めてくれる腕もちょっとだけ、揺れてる。
「一誠?」
「ごめ、なんか、ちょっと感動した」
「……」
「前に言っただろ? この子が笑った顔が見たいって。トウが全部預けて、全部許して、無防備に笑ってくれたらって」
コツンって、額が触れ合った。
「やっと見れた気がする」
そして、唇が触れた瞬間、身体の内側がじんわりと温かくなった。それはまるでココアを飲んだ時みたいにあったかかった。
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