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「あ、すみません」
「はい」
店内を歩く店員に声をかける頃にはもう、すっかり日は暮れていた。
「ホットココアを…お願いします」
優柔不断なのもあるが、声をかける勇気が出なかったという方が正しいだろう。それは彼が、僕のような人間が声をかけるのもはばかられるほど、美しい男だったからだ。
「かしこまりました。少々お待ちください」
どこか日本人離れした顔立ちと、栗色の髪に、テレビの向こう側にいるような人だと思った。
ふと顔を上げれば、窓に写った冴えない顔をした自分と目が合う。…僕なんかが来るべき場所ではなかったのかもしれない。1杯飲んだら大人しく帰ろう。場違いにも程がある。
そう思っていた矢先のことだった。
「いらっしゃいませ…って、王子!?」
「マスター、その呼び方やめてくれないか」
「ルイ様!」
「ハルキ。久しぶりだな」
「…なかなか来てくれないから、心配したんですよ?」
「それはすまないことをした。しばらく忙しくてな…」
僕は…海外映画でも見ているのだろうか。
店に入ってきたのはこれまた美しい異国の青年。艶やかなブロンドヘアーと、日本人要素の欠けらも無い顔立ちは、誰もの視線を奪っている。
それだけじゃない。先ほどの美形の店員は迷うことなく“ルイ様”という“王子”に抱きつき、感動の再会を果たしたようだった。
「ハルちゃん。まだ勤務時間は終わってないんだからね?」
「え~。お願いマスター。残りは明日に回してもらって…」
僕が店員だと思っていた男は、どうやらこの店のマスターだったらしい。それにしては随分若いような気もするが、こういう事業を成功させるのに年齢は関係ないのだろう。
「ダメよ。あなた、また王子を独り占めするつもりでしょ」
「ハルキ。ちゃんと働かなきゃダメだろ?」
「っ…ルイ様がそう言うなら…」
嫌だな。ますます場違いなような気がしてきた。
でも注文をしてしまったし、ここで帰るわけにもいかない。
上手くいかないことばかりで嫌になる。
大体、どうして僕がΩにならなきゃならないんだ。
先生が言っていたが、体質の突然変異は世界で200程度しか症例がないらしい。その中の1人になるとは、ついていないにも程がある。いや、もしや何か悪いモノに憑かれているのだろうか…なんて、あるはずないけど。
「お待たせしました。ホットココアになります」
「…あの」
もうこうなったら自棄酒でもして忘れてやる。もしかしたら、何もかも無かったことになるかもしれない。
「お酒が苦手な人でも飲みやすいお酒をください」
ハルキと呼ばれる男はしばらくの間、困ったような顔をしていたけど、僕の口からはそれ以外何も言えなかった。
お酒に詳しくない僕が適当に頼んだところで飲めずに終わりそうな気がしたからだ。餅は餅屋ということわざがあるように、彼らに任せるのが一番だと思った。
「…甘いのがお好きなんですか?」
「あ…はい。コーヒーとかはあんまり得意じゃなくて…」
「そうですか。分かりました」
日が暮れたとはいえまだ6時にもなっていない。
こんな時間に飲むなんて、生まれて初めての経験だ。
温かいココアを一口飲むと、不思議とため息が零れた。
昔から甘いものが好きだったのだが、中でもココアが一番好きだ。小さい頃はよく、母親に作ってもらっていたっけ。
仕事を辞めたら一度 実家へ帰ろう。
しばらく会っていないし…。元気にやっているのかな。
もちろん、Ω性を発現したことを両親に言うつもりはない。
親は子どものことには過干渉になりがちだ。余計な心配をかけたくはない。
それに、仕事を辞めたことも言わない方がいいだろう。家電販売の仕事は高校を卒業してからずっと続けているので、何があったのかと問いただされるに違いない。
ずっと真面目に生きてきたつもりだ。
成績は決して悪くなかったし、非行に走ることもなかった。お金の問題で大学進学は諦めたけど、それでも上京させてくれただけ幸せだったと思うし、両親には感謝している。
「お客さん。こんなに早くから飲んで大丈夫?」
ぼうっと外を眺めていると、この店のマスターが顔を覗き込んでくる。
細いフレームの眼鏡をかけたその男は、暖色の灯りに照らされどこか色っぽく見えた。
「え…あ、ちょっと…色々あって」
「…そう」
テーブルに置かれたのは、ココアに似た液体の入ったマグカップ。隣に並べられれば、どちらがお酒かは見分けられないだろう。
「だからってあんまり飲みすぎると、オオカミに狙われちゃうわよ」
内緒話をするように耳元でそう囁かれ、思わず笑ってしまう。
「そんな…。僕みたいなのは誰にも相手にしてもらえませんよ」
「そうかしら?」
「…えぇ」
「ふふっ…。でもこの世界には色んな人がいるってこと、忘れない方がいいわよ」
去り際の彼の言葉を軽く聞き流し、ココアによく似たものに口をつけた。
「…美味しい」
温かいそれはチョコレートのような甘みがあり、お酒であるということを忘れさせる。
イルミネーションが煌めく窓の向こう側の景色を見ながら、体の芯がじんわりと温まっていくのを感じた。
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