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時計の針はすでに8時を回っていた。
「すみませ〜ん。もう一杯くださ〜い」
おかわりを頼むのはこれで3度目だ。
出されたお酒に、僕は随分ハマってしまったようだった。
程よく酔いも回り、気分が高揚しているのが自分でも分かる。病院のベッドで横になっていた時のように、まるで頭が働かない。
「あんなに飲んじゃって…大丈夫かしら?」
「…何かあったんじゃない?」
「色々〜とかって誤魔化してたけど、あの様子じゃ恋人にフラれたのかもしれないわね」
「だからって“こういう”店に来るタイプとは思えないけど…」
こちらをじっと見つめる1人の男に、僕は気がつかなかった。
この時すでに僕は“オオカミに狙われたウサギ”の状態だったというのに。
「ねぇ、今日はもうやめておいたら?」
「ふふっ。大丈夫ですよ〜。僕こう見えて結構いける口ですから」
「そう?ならいいんだけど…」
差し出されたマグカップを前に、思わず笑みがこぼれる。
もはやお酒ではなくホットチョコを飲んでいるような感覚だった。
「…マスター。あの人さっき酒苦手って自分で言ってましたよ」
「やだ。お出ししちゃったじゃない」
「しかも何かすごく嬉しそうですよ」
カウンターの向こうでそんな会話をしてることは露知らず。僕は呑気にサービスで出されたクッキーをつまんでいた。
明日は会社だというのに何をやっているだ、と自分でも思ったが、あまり深くは考えなかった。こんなふうに羽目を外すのは何年ぶりだろうか。知らない街を眺めながら、飲んだことのない酒を飲む。それがこんなにも楽しいことだとは思わなかった。
マグカップを片手にイルミネーションを眺めていたつもりが、窓に反射して写っている“王子”の姿に思わず見とれてしまう。
この世の中にはこんなにも美しい人がいるのか。…あ、笑った。
「ふふ…」
気づけば僕も、つられて笑っていた。
…この時の僕は完全に怪しい人だったと思う。
すっと通った鼻筋。切れ長の目。透けるように白い肌。そして、サファイアブルーの瞳。
僕に同性愛の気はないが、“王子”には男をも魅了してしまう美しさがあると思う。
王子と目が合ったのは、ほんの一瞬のことだった。
「…あっ」
それは僕が反射的に顔を逸らしてしまったからなのだが、さすがにあからさますぎる気もして 何だか恥ずかしい。赤くなっているに違いない顔は、アルコールが誤魔化してくれるだろうか。
動揺を隠せない僕を見て、王子が口元を覆ったことを僕は知らない。
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