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行きつけのバーで、捨て猫を拾った。
男を抱きかかえてトイレを出ると、店からさっきの男が出ていくのが見え、少しばかり安心する。
ああいう誰彼構わず、みたいな感じの男は嫌いだ。
「あら、本当に王子様みたいじゃない」
「からかわないでくれないか」
マスターはこちらを見てクスクスと笑っていたが、正直 大の男を抱えたままの状態でいるのはキツかった。
すやすやと眠る男をソファ席に横たわらせ、使用人に電話をかける。
「迎えに来てくれ。…あぁ、いつもの場所だ」
用件だけ伝えて電話を切ると、ハルキが眠っている男の荷物を持ってきてくれた。
彼は俺の異母兄弟だ。父が日本人との間に作った子で、あまり会わないようにと言いつけられている。…まあ、そんな言いつけを守るつもりは毛頭ないのだが。
「ありがとう」
「僕でもルイ様に抱えられたことないのに…」
どうやら俺はかなり愛されているようだ。
俺には実の兄弟が二人いるが、ハルキとこうして会うのは俺くらいなもので、父さえ顔を合わそうとしない。
俗に言う“望まない妊娠”だったのだ。
「…ところで、その人どうするつもりなの?」
「うーん…俺は捨て猫には弱いからなぁ」
彼もまた捨て猫のようなものだった。
唯一家族と呼べる母を高校を卒業してすぐに亡くし、それからは生きるために体を売っていたそうだ。当時マメに連絡を取っていた俺は、そんなハルキを放っておけず、この店を紹介したのだ。
事情を説明すればマスターは快く承諾してくれた。そのことは今でも本当に感謝している。
「僕のことも…拾ってくれたもんね」
「当たり前だ。家族なんだから」
髪を梳くように撫でると、ハルキは照れたように笑う。
今まで辛い思いをしてきた分、彼には幸せになって欲しい。月並みな言い方ではあるが、それが俺の本心だった。
「そうだ。ハルキ、お会計お願い」
「あ、うん」
2つの伝票を手にレジへ向かう。
あの人がかなり飲んでいたのは知っていたから、金額を見てもあまり驚かなかった。しかし、初対面の、それも話もしていない人の勘定を済ませることになるとは。
「ごめんなさいね。迷惑かけちゃって…」
「あぁ。酒は飲みすぎるなって俺から言っておくよ」
「ふふっ。よろしく頼むわよ」
マスターやハルキに見送られ店を出ると、店の前にはすでに無駄に大きい黒塗りの車が止まっていた。
大荷物の俺を見て駆け寄ってくる使用人に “男”以外の荷物を渡す。
「ルイ様、そちらの方は…」
「いいよ。俺が運ぶから」
「…はい」
「あぁそうだ。今日は俺の家へ行ってくれるか」
「承知いたしました」
俺は男を抱えたまま車へ乗り込んだ。この時ばかりは車が大きくてよかったと思った。
隣に座らせ コートをかけてやる。
それにしても、この男からは何やら不思議な匂いがする。金木犀の花のような甘い香りだ。
「んん…っ」
彼が肩に顔を埋めてくると、よりいっそう香りは強くなる。
柔軟剤の匂いなのか、体臭なのかは分からないが、彼のそばは居心地がいい。
「…いい香りだ」
目を閉じれば、疲れが溜まっていたのか すぐに眠りに誘われる。
名前も知らない男のそばで、俺は不思議と安堵を覚えていた。
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