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何だろう。すごく気持ちがいい。
家のベッドにしてはフワフワ過ぎるような気もするし、何日か過ごした病院のような独特の匂いはしない。
「ん…」
目を開けると、ぼんやりと人の顔が見えた。
何度が瞬きを繰り返しているうちに それが“王子”であることに気がつく。その距離 数十センチ。
「うわ!」
驚きのあまり、僕は声を抑えることが出来なかった。
一体何があったのか、全く以て思い出せない。
「んん…」
すぐ隣で眠っている王子は、その声に顔をしかめる。
眉間に皺を寄せ、小さな声で「うるさい」と呟いた。
「す、すみませ…」
「黙って寝てろ」
王子の命令に「はい」とは答えたものの、正直 眠れる気はしない。
酒を飲んだせいか頭が痛いし、何よりどうしてこんなことになったのか、気になって仕方がないのだ。
それに腰に回された手についても説明して頂きたい。
「あの…」
美しい顔立ちをした男を前にしているためか、妙に胸が高鳴る。
この距離で見つめられたら、心臓が持ちそうにない。
「何だ」
ゆっくりと瞼が開き、中から覗く青い瞳に捉えられる。
まずいと思った時にはもう遅かった。
あろうことか僕は自分がオメガであることをてっきり忘れていたのだ。
それも、どうやら 他のオメガに比べてアルファの放つフェロモンの影響を受けやすい体質のようで、医者には十分気をつけるようにと言われていた。
「…あんた、もしかしてオメガなのか?」
「あ、あの…すみません」
「どうして謝る?」
目が合ったその瞬間から、上手く頭が働かない。
王子から香る花のような甘い香りに、体の奥の方が熱くなっていく。
医者によれば、アルファのフェロモンに当てられたからといって、ヒートが誘発されるわけではないらしい。ただ『相性の問題もあるが、体の自由がきかなくなったり、性的興奮を引き起こすことがある』とのことだった。
「だって…あんまり、オメガに対して良い印象はないでしょう?」
「そんなことはないが…おい、どこへ行くつもりだ」
明らかな体の変化に、気持ちが追いつかない。
サイドテーブルに置かれた眼鏡をかけ、ベッドを降りたのは、これ以上ここにいると、自分が自分でなくなってしまうような気がしたからだ。
「…やっぱり帰ります」
「待て。その状態で外へ出るんじゃない!」
丁寧にハンガーに掛けられたコートを羽織ろうとすると、凄まじい力で腕を引かれた。
「あんた正気か?外には抑制薬も飲んでないアルファがいるかもしれないんだぞ。そんなフェロモン出してたら…」
俯いた顔を上げられないのは、彼を見るのが怖かったからじゃない。
「おい…」
「ごめっ…ごめんなさい。目にゴミが…」
オメガであることを認めざるを得ないほど、僕の体は作り替えられてしまった。その事実は重く僕にのしかかってくる。
悲しいというより、悔しかった。
薬がなければまともに生きていくことも出来ないことが、今までベータとして生きてきた僕にとってはひどく屈辱的なことだった。
「泣くな。…頼むから」
王子はそう言って僕を抱きしめる。
優しく甘い彼の香りは、不思議と気持ちを落ち着かせてくれた。
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