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橘との電話を終え、俺は仕事場である父の別荘へ向かうことにした。家にいても余計なこと思い出してしまうからだ。 使用人を呼ぼうかと思ったが、いつも橘に「タクシーを拾われた方が速いかと思いますが」と嫌味っぽく言われるので、今日は仕方なくタクシーに乗った。 「ルイ様。きちんとお仕事もしていただかないと…」 「あぁ…」 別荘に着き三十分。しばらく集中できず窓の外を眺めていると、使用人の糸村にそう言われてしまった。 仕事をする気がないわけではないが、どうも橘の言葉が引っかかるのだ。あの男は オメガの割には油断も隙もありすぎて心配になる。実際 俺に手を出されて抵抗せずにいたわけだし、他の奴にもそんな感じなのかと思うと 妙に胸糞が悪かった。 本棚を整理し始めた男の「どうかなさいました?」という問いかけに首を横に振る。 「少し休憩にいたしましょうか」 「…いや」 糸村の申し出を断り、無駄に大きなデスクに向き直る。この状態を目の当たりにするだけで やる気が削がれていくようだが、公務であるのでやらないわけにもいかない。俺は父からほとんど雑用に近い仕事を任されているのだが、その量が尋常ではないのだ。 その原因は もしかすると父との関係にあるのかもしれない。 まだ中学生だった頃のことだ。婚約者との食事会で、俺はゲイであることをカミングアウトした。相手方の両親もその場にいたこともあり、父には勘当されたも同然だった。 ギクシャクした家庭に耐えきれず、俺は結局 日本の高校へ進学した。幼少期から日本語と英語は習わされていたし、特に不便はなかった。何だかんだで父も心配していたのか 別荘に住まわせてくれたり、母国で世話になった橘や新しい使用人を雇ってくれていたり。 そのことに対しては感謝しているが、関係は良好とは言えない。日本に来てからは会いに行ったことは一度もない。時々仕事のことで電話が掛かってくることがあるが、それも業務連絡のようなものだ。 これだけの仕事を回してくるということを、俺は一種の嫌がらせのようにしか思えないでいた。 「糸村」 「はい?」 「橘が帰ってきたらここに来るように伝えてくれるか」 「承知しました」 開いたパソコンのデスクトップには故郷の雪景色が映し出されている。懐かしさを感じながらも、もはや自分の居場所はそこではないような気がしていた。 「…よし」 それでも“王子”として生まれてくる運命だったのなら、俺にはするべきことがある。 糸村の耳には、キーボードを叩く音だけが聞こえ続けていた。

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