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気分の乗らない日は一段と酒が進む。程よく酔いが回り、その感覚に心地よさを感じていると マスターに突然水を差し出された。
「王子。さすがに飲みすぎよ」
「…いいだろ。たまには」
窓の外をぼんやりと眺めながら、俺はグラスを傾ける。もちろん飲んだのは水ではない。
視界の端に映る昨日あの男が座っていた席。そこには可愛らしい顔をした見覚えのある客がいた。さっきハルキと話し込んでいた時にでも来たのだろうか。
「もう…って、ちょっと…!」
ふらりと立ち上がり 窓の方へ歩き出す。マスターが少し怪訝な顔をし、ため息をついたことには気がつくはずもなく。
「久しぶり」
「…ルイさん。お久しぶりです」
声を掛けると、男はそう言ってふわりと笑った。
彼、アキと出会ったのは つい三ヶ月ほど前のことだ。慣れない場所に緊張していたのか 俺へ向けたその声が震えていたことを 今でも覚えている。
「元気にしてたか?」
「えぇ。ちょっと…色々あったんですけど、一応は元気でしたよ」
「そうか。それは良かった」
隣の席に腰掛け、テーブルに肘をついて男を見る。彼のプライベートまで詮索する気はない。“ココ”はそういう場所だ。
「あの…なんか、恥ずかしいです」
特に意図があったわけではないが、酔っていたこともあり しばらくぼうっとしてしまっていたらしい。
「ん?」
「そんなに見つめられると…」
「…あぁ。悪い」
微かに赤くなった頰。戸惑ったように揺れる瞳。ゆっくりと開く血色の良い唇。
目の前にいるのはアキであるはずなのに、不思議と雪の姿が重なって見える。タイプでもない、あの男が。
「あ、…っ」
マグカップを包むアキの手にそっと自分の手を絡める。小さな手は温かいものであったが、男が困惑していることは明らかだった。
「…すまない」
どうやら少し悪酔いしたみたいだ。今のはアキに向けた行為ではなく、完全にあの男への行為だった。
忘れるために誰かを利用するのは悪いことではないのかもしれないが、ただそれを自分が許せるかと聞かれると答えはノーだ。
「いえ、…すみません。俺、嫌とかじゃ…なくて」
「いいんだ。久しぶりに顔が見れて安心したよ」
申し訳なさそうな顔をする男に そっと微笑みかける。
放った言葉は本心だったが、それでもなお アキの表情は曇ったままだ。
「今度、一緒に飲もう。アキ」
席を立ち 耳元でそう囁くと、「はい」と言った男の口元は僅かに緩んだようだった。
そんな様子に安堵しながら“特等席”へ戻り、そろそろ帰るという旨をハルキに伝える。
「今日はお迎え呼ばなくていいんですか?」
「あぁ…少し歩いて酔いを覚まそうかなって」
「そうですか。気をつけてくださいね」
「ありがとう。ご馳走さま」
店を出ると頬を撫でる北風が火照った体を冷ましてくれる。しかし、心の叢雲までは取り払ってはくれなかった。
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