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坂下くんと歩く帰り道はひどくあっという間に感じられた。
自分から話し出すのが苦手な僕からすれば、彼が話題を振ってくれるのは本当にありがたい事だった。
それも「入院生活ってどんな感じなんですか?」と 休んでいた理由までは聞かない辺りが紳士的に思える。
「一人すごく怖い看護師さんがいてね…」なんて、病院での出来事を話すと 彼は終始笑って聞いてくれていた。
岐路にぽつんと立っている街灯の下。自宅まであと数百メートルの場所で いつも彼とは別れる。
たまたま帰りが同じになることが何度かあり その時に自然と決まったことだった。
「病み上がりなんですから、明日…無理しちゃダメですよ?」
彼はまるで僕を女の子のように扱う。
いや、誰に対してもこうなのかもしれないが。
「うん。ありがとう」
「あ…ちゃんと暖かくして寝て下さいね」
「分かってるよ。なんだか君、お母さんみたいだな」
優しい男だ、と思う。自分が女性だったら 放っておかないだろう、とも。
けれど “王子”とあんなことになってしまっても、それ以上には思えなかった。
「じゃあ…また」
「はい。お疲れ様でした」
「お疲れ様」
坂下くんに背を向け、しばらく歩いていくと 再び暗闇が訪れる。
もう何度もこの道を通っているが、未だに不気味さを感じずにはいられない。
コートのポケットに手を入れ、足早にアパートへ向かった。
“王子”の近くにいる時とは違い、彼と過ごしている時だけは 以前のままであるかのように思えた。
オメガではない、昔の自分かのように。
今朝あれほど嗅いだフェロモンの匂いは、もう鮮明には覚えていない。
ただ、清潔感の溢れるシャボンの香りだけが僕を包み込んでいた。
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