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Halloween Night 第3話
舌をもつれさせながら、しどろもどろに口をパクパクとさせている。まさか今の話を聞かれていたんじゃ――と思ったら、本当に腰が抜けそうになったらしい。
皆、一様に視線を泳がせ、硬直のまま言葉を詰まらせる。お愛想笑いをする者、固まったまま動けないでいる者、噂の頭領当人の登場に、冷や水を浴びせられたようにロッカールーム内は一瞬で固まってしまった。
しばしの沈黙の後は一触即発、ここは一発ドヤされるか胸倉でも掴み上げられるかといったような覚悟で、皆がそれぞれに肩をすくめた。今にも「ごめんなさいー!」と全員で土下座せんとばかりに緊張感が高まったそんな時だった。
「は――! まったく……帝斗の野郎ったら……相変わらずロクなこと考えやしねえな。野球拳で裸踊りだ? イイ年こいて、何考えてやがるんだか」
チィ、と軽い舌打ちをしながら呆れ気味にそう言って、龍は自身のロッカーへと歩を進めた。
――櫛 を取り出して髪を撫で付ける。
小さな鏡を覗き込みながら、ネクタイの位置を確認している。
次は何をするのだろう――?
それ以前に今の話を聞かれていたとしたら、いつ雷が落ちるのだろうとビクついていたことすら忘れさせられるくらいの呆気らかんとした調子だ。淡々とした龍の様子を、別の意味で硬直しながら窺っていた。
ロッカールームはシーンと静まり返り、誰一人その場から身動きもできずといった調子で、全員が彼を遠巻きに凝視状態だ。さすがに変に思ったのか、当の龍が不思議そうに皆を振り返った。
「何だ……? 俺、どこかヘンか?」
顔に何か付いてるのか――とばかりにしかめっ面でそんなことを聞かれて、皆はますます硬直――。
ヘンじゃありません。何も付いていません。おかしなところなんか微塵もございません――とばかりに、一様にブンブンと首を横に振る。口をパクパクさせながら凍り付いているといった皆の様子に不思議顔ながらも、次の瞬間クスッと軽く笑って、
「そんじゃ、お先!」
まるで何事もなかったように、ロッカールームを後にした。
残された一同は一気に解けた緊張から、脱力したのは言うまでもない。
「ぐわー! ビックリしたー! 心臓飛び出るかと思ったぜ!」
「けど……何も言わないで出て行っちゃいましたね? さっきの話、聞こえてなかったんなら良かったっスね!」
新人・圭吾がホッと胸を撫で下ろしている傍らで、中堅の辰也は苦虫を潰したような表情だ。
「けどよ、あの人……さっきオーナーのこと『帝斗の野郎』って言わなかったか? 『帝斗の野郎ったらロクなこと考えやしねえ』とか何とか……」
よくよく思い出せば確かに不可解だ。
「つか、帝斗って……誰っスか?」
すかさず新人の圭吾が問う。
「バカタレ! オーナーの本名だよ! そういや呼び捨てだったよな……」
――って、それヤバくねえ!?
この店のオーナーというのは、元はここいら界隈でその名を知らない者はいないというくらいの大物ホストだった男だ。本名を粟津帝斗という。
長年ナンバーワンを独走し――だが、おごらず威張らず常に紳士的でいて上品な物腰しは優美そのものだ。誰に対しても分け隔てなく朗らかだが、ここぞという時の度胸も据わっているとも言われていた。例えば同業者同士の縄張り争いや裏社会の強面が絡むような事態に出くわした時にも、おののくことなく、紳士的且つ迅速に場を収めるような器の持ち主だったらしい。故に、”帝 ”という異名を取ったことでも知られていた。
夜の帝王の意からそう呼ばれ始めたとも言われているが、元はといえば彼の本名が”帝斗”だったということもあり、それで定着したという説もある。ちなみにホスト時代の源氏名は”隼斗 ”といった。
今でも彼を『ミカドさん』とか『隼斗さん』と呼ぶホストもいるが、それは割合ベテランの類であって、たいがいの者はオーナー、あるいは代表と呼ぶのが普通だ。
それらを全部すっ飛ばして龍は『帝斗の野郎』と、呼び捨てどころか更に輪をかけたような言い方をしたのだから、皆が驚くのも無理はなかった。
「龍さんってオーナーと親しいんスかね? やっぱ、ただのナンバーワンってだけじゃなさそう?」
「何だよ何だよー、ますます興味深くなってきましたよーってか!? 化けの皮を剥がすってよりは正体暴くっていった方が妥当だったりして!」
「で、暴いた挙句、ホントにマフィアの頭領だったー、なんてことになったらどーすんですかッ!」
「どーするってそりゃ、お前よぉ……」
――どうする?
誰からともなく互いを見合わせる。
ハロウィンイベントを一週間後に控えた秋の夜、club-xuanwuのロッカールームはそんな話題で持ちきりになっていた。
六本木から移転してきた”仏頂面のナンバーワン”の存在は、良くも悪くも皆の興味を掻き立ててやまないらしい。”帝”ならぬ”頭領”が新たに加わって、今年のイベントは更にヒートアップしそうな気配がみなぎっていた。
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