11 / 60

Nightmare Drop 第2話

 その後、趣きたっぷりの会席料理を楽しみ、それに合わせた酒、そして穏やかな会話も弾んで夜は更けていった。やがて水菓子が運ばれてくれば、そろそろ座はお開きである。  高級な浴衣を新調してくれた上に、店のイベントでも他のホストたちにはおいそれと真似のできないような高額ボトルを入れてくれたりと、この高瀬には随分と世話になった。波濤は礼の気持ちも込めて、今日の勘定は自分が持とうと密かにそう思っていた。 「芳則さん、ごめん。ちょっと手水(ちょうず)に行ってくる。すぐ戻るんで」  そう言って席を立とうとした波濤を高瀬は咄嗟に引き留めた。  どうせ彼が気を利かせて手水がてら勘定を済ませてくるのが目に見えていたから、それをさせない為に――というのもあったのだが、高瀬が引き留めた理由はそれだけではなかった。  波濤はといえば、席を立つなり突如繋ぎ止めるように手を掴まれて、少々驚き顔で高瀬を振り返った。 「芳則さん? どうかした――?」 「波濤、手水ならわざわざ座敷を出ずともこの部屋に設えられてる。どうせならそこを使ってくれたらいいよ」  え――、というように波濤は思わず室内を見渡してしまった。  ここは一般客とは隔離されている離れの棟である。完全な和造りの建物は品もあり小粋で、下半分ほど開け放たれた障子の向こうには、さほど大きくはないが中庭もある。都会の喧噪を忘れさせてくれる情緒たっぷりの高級料亭だ。  だがしかし、この室内に(かわや)(たぐい)はどう見ても見当たらない。床の間以外は障子の向こうに中庭が望めるだけだ。波濤は首を傾げてしまった。 「えっと……この部屋の中に……ですか……?」  わけが分からず瞳をパチパチとさせている波濤を横目に、高瀬という男はクスッと笑むと、すっくと立ち上がって押入れと思われるような襖を開いてみせた。 ――――!  それを見た瞬間に、波濤は驚きで目を剥いてしまいそうになった。  押入れと思っていた襖の先には純和風の次の間があり、パッと見ただけでも二十帖は優に有りそうだ。だがもっと驚いたのは、金地の風炉先(ふろさき)屏風が置かれた横に、何とも雅な設えの”寝所”が用意されていたからだ。  部屋の脇には更に次の間があることを連想させる廊下があり、その先には確かに(かわや)らしき扉もあるのが窺えた。 「……あの、高瀬さん、これ――」  驚く波濤を横目に、 「ごめんよ。事前の相談もなしで勝手にこんなことをしてしまったが――今夜はまだキミと離れたくなくてね」  高瀬は申し訳なさそうに頭を掻きながらそう言った。 「あ……いえ……そんなふうに言ってもらえて嬉しいです……」  一先ずはそう返すしかなかった。 ◇    ◇    ◇  この客――高瀬芳則とはかれこれ半年ほどの付き合いになるだろうか、数ある波濤の顧客の中でも群を抜いて金を使ってくれる――いわば太客というそれだった。  店へ入る前には共に食事をしたり買い物をしたりの同伴出勤は当たり前、店がハネてからのアフターにも何度誘われたことか数知れない。普通から考えたら入店をためらってしまうような高級バーに連れて行ってくれたりすることもよくあったが、単に酒を楽しむだけではなく、その後に朝まで床を共にすることも少なくはなかった。いわば枕営業である。  波濤には女性客は無論のこと、数多(あまた)の上客が付いていたが、この高瀬のような男性客もチラホラとしていた。  ホストクラブに男性客――飛び上がって驚くほど特異なことではないにしろ、波濤の場合、割合目立つ存在であったのは確かだった。それは彼がナンバーワンであるという以上に、男性の客から指名が入る回数が目に見えて多かったからだ。  彼らはたいがい一人でやって来ては波濤をテーブルに呼び、高額なボトルを入れて少しの会話を楽しむだけですんなりと店を後にする。たった短いひと時の為にこれだけの大枚を叩いていくのだから、波濤の話術がすごいのか、はたまた余程の物好きか――と、店のホストらの間でも少なからず話題になっていたのは事実だった。  まさか、店がハネた後に密かに待ち合わせた高級ホテルの一室で、アフターと称し波濤が彼らと”(とこ)”を共にしている――などとは誰しも想像し得なかったことだろう。  実に波濤にはそんな客が数人いたのは確かであった。男性としての格好良さやワイルドさというよりも色香が先に立つような彼の容姿は、そちらが目当ての客にはたまらない相手なのだろう。無論、この枕営業に於いても、客の男らの誰もが金に糸目を付けることはなかった。

ともだちにシェアしよう!