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進撃(いや喜劇…いやいや悲劇!?)の学会

 想像していたこととはいえ、どうしたものか――目の前でブーたれる歩の顔に、内心ため息をついてしまった。  来月隣町で行われる学会に出席するので、分からないことがないように毎日勉強に励んだ。学会で発表される内容――しかも自分が専攻しているアレルギーの最新の治療について、猛勉強するのは当然のことだろう。  現在も寝る間を惜しみつつ恋人との接触を極力控えた状況を自ら作り出し、集中力を高めるべく追い込んでいるというのに、フラストレーションの溜まった飼い犬が、わんわん吠える声がすっごくウザい。  一階にある病院の診察室にて、英語で書いてある適度な厚みの本の内容を翻訳しながら、ノートに書き写している俺の足元に、すっげぇ面白くないと顔にありありと表している歩が、胡坐をかいて見上げていた。  患者さん用に座る椅子が傍にあるというのに、このアピールの仕方がコイツらしいというか――。 「タケシ先生……島から帰って俺たち、まだ1回しかシてないんだよ」 (いきなり何を言いだすかと思ったら、ソッチの話からはじめるのか) 「あれはお前、1回じゃなかっただろ。次の日俺が仕事があるっていうのに、空が白んでくるまで頑張ったのは、どこの誰だ?」  そのせいで寝不足になり、欠伸を噛み殺しながら診察する羽目になったんだぞ。ミスしちゃいけないといつも以上に慎重に仕事をしたから、疲れたのなんの。  そんな俺を見て一緒に働いている看護師さんたちが、いろいろ気を遣うという図式まで形成されてしまったんだ。 「とか何とか言ってるけどさ、悦んで俺に付き合ったのは、どこの誰でしょうねぇ」 「うぅっ! そ、それは……あ、あれ、だよ」  くそっ、頭の中で翻訳していた文章が、歩のひと言によって砕け散ってしまった。 「アレって何? 俺バカだから具体的に言ってくんないと、全然分かんないんだよな」  この手の話が苦手なのを知っているからこそ、ここぞとばかりに突っ込んでくるなんて、腹が立つやら悔しいやら。 「あれって、歩は俺にとってアレルギーみたいなものだから。傍にいるだけで過剰に反応してしまうせいで……タガが外れちゃうんだよ」  医者らしい、いい濁し方をしたと思うのに、目の前にいるバカ犬はアホ面丸出しの表情を浮かべて、首を傾げる始末。 「俺がアレルギーって、スギ花粉やハウスダスト、果てはダニと同じだって言いたいのかよ」  過剰に反応する部分に対してツッコミが欲しかったのに、そこに食いつくとはな。まったく、面倒くさいヤツ!!  手に持っていたペンを放り出し、首を撫で擦りながら白い目で歩を見下してやった。 「ああ、そうだよ。同じだから、傍にいられると困るんだ。頼むから、勉強に集中させてくれ」 「来月出席する、学会のために勉強してるんだっけ? いつの間に、そんな話が出たんだよ? 島に行く前は、学会のガの字も出てなかったのに」 「康弘くんが救急搬送された先に、いつも購読している雑誌の記事を書いた教授が、偶然そこにいたんだ。その関係で誘われただけ……」  語尾がどんどん小さくなってしまったのは、次第に歩の顔色が険しくなっていったから。 「それって、御堂がいる病院じゃないか。まさか――」  勘のいいコイツに隠し事をするだけ無駄だもんな、もうどうにでもなれ! 「ああ。残念ながら教授のお供に、御堂先輩がくっついてくることになってる」 「行ったらダメだ! 絶対に食われちまうだろ!」 「食われるわけないだろ。勉強をしに学会に行くんだぞ。ふたりきりになれない上に、そういう雰囲気にもなれない場所だからな」  呆れながら言い放つと勢いよく立ち上がり、鼻の穴をおっぴろげた歩。ころころ変わるコイツの表情を見ているだけで、すごく笑えそうだ。 「ほら、もう油断してるじゃないか。そういう先入観を逆手にとって、御堂ってヤツが迫るに決まってるだろ」 「へぇ、なるほどねぇ。それってお前の今までの経験から、ずばりと指摘しているのか?」  わざとらしくニヤニヤしながら上目遣いで見つめ、痛いところをついてやった。もういい加減にこんなくだらない口論を終わらせ、目の前の勉強をしたい一身で口を開いてみたというのに、歩の表情は必死そのものだった。 「そ、そうだよ。そういう行為になれない場所でも、絶対に死角があるんだ。そこをピックアップしておいて、ふたりきりになった途端に、上手く誘導して連れ込んだり……」  いつもなら違うとか言って否定してくるところを、あえて肯定して詳しく語っていく姿に頭を抱えたくなる。それだけ心配されていることは分かったけれど、大丈夫だと言っても今の現状だと、絶対に引き留められるであろう。 「ちなみにその学会、どこでやるんだよ?」 「隣町にある〇△ホテルだけど。結構大きな学会だからね」  告げた瞬間、がばっと両肩を抱きしめられてしまった。 「絶対に危ないだろ、ベッドがある場所じゃないか。行かせらんねぇ!」 「絶対に行く。数年に一度あるかないかの貴重なテーマの学会が、こんな近場であるんだ。しかも小児アレルギー学の新たな礎を築くためにという、俺にはうってつけのものなんだよ。頼むから行かせてくれ!」  歩の耳元で喚くように喋り倒したせいか渋い顔をキープして、放り出すように躰が解放された。 「行きたければ条件がある。俺を連れて行くこと」  眉間に指を突きつけられながら告げた言葉に、ぽかんとしてしまう。 「連れて行けって、お前は中に入れないぞ」 「会場が絶対に安全だとは限らねぇけど、他のヤツの目があるところなら、変なことをやりにくいだろうし。とにかく会場までは、ぴったりとくっついて行くからな」  かくて自動的に一緒に学会について行くことになった歩と、御堂先輩が鉢合わせになったときのことを考えただけで、何かが起こる気がしてならない。傍らに置いてある勉強よりも、厄介事じゃないか――。 「そして俺をアレルギー呼ばわりしたタケシ先生に、身をもって体感してもらおうじゃないか」 「へっ!?」 「傍にいるだけで、過剰に反応するんだろ? それを俺に見せてほしいなぁと思ってさ」  言いながら左腕を掴んだと思ったら引っ張り上げ、その勢いで横に置いてあるベッドへと、簡単に連れ込まれてしまい……。 「なっ、ちょっ、ま、待てってば。まだ勉強中なんだぞ」 「何日、我慢させたと思ってんだ。背筋を伸ばして睫を伏せながら真剣な顔して一生懸命に書きものをしてるタケシ先生の姿に、手を出さずに涎を垂らしていた俺にさ、ご褒美をちょうだい」  さっきまでの必死な形相はどこへ――いきなり鼻をすすりながら俺に跨り、胸元に頬を押しつけすりすりする。  押しても駄目なら引いてみなというコイツなりの駆け引きなのは、今までの付き合いで分かっていたけど、このまま言うことを聞くのも癪に障る。 「分かった。とりあえずあと半分で勉強が終わるから、それまで待ってくれ」 「え~~~っ、すぐに始めようよ。俺の我慢がげんか――」 「一緒に風呂に入る、ご褒美をつけてやる」  今までしたことのない行為を告げてやった途端に音もなく俺から飛び降り、患者さん用の椅子に座った歩。こっちを見ている瞳が異様にぎらぎらしていて、その様子にちょっと引いてしまった。 「俺の我慢が延長されたみたいだから、どうぞ思いっきり勉強してよ。タケシ先生っ♡」  歩の寛大な気持ちのお蔭で指定した箇所まで安心して勉強ができたが、その後が大変だったのは言うまでもない――特大なアメを投げるんじゃなかった……。

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