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Love too late:おとしもの4

***  桃瀬の家に行く直前は、ふたりの仲の良さを見せつけられるんだろうなと、どこか躊躇した気持ちがあったけど、今は清々しい気持ちに満たされていた。 (今までこんなに、完敗って思ったことがなかったしな。涼一くんになら安心して、桃瀬をまかせられる。うん――)  はじめは頼りなさを感じ、こんなヤツには桃瀬を渡せないって、あからさまにイライラした。そんな態度の悪い俺を見ているのに、涼一くんはなんとかして俺と仲良くなろうと、いろいろ行動する姿に驚かされつつ、胸を打たれてしまった。  しかも玄関先で俺に抱きついた涼一くんを桃瀬が見たら、いったいどうなっていたのか――考えただけで、からかいのネタになる。  笑みを浮かべて、澄んだ秋空を眺めた。底抜けに明るい青色が、差し込むように目に眩しく映る。これくらい、俺の心も綺麗だったらなと思わずにはいられない。  そんなことをしんみり思っていたら、ポケットに入っているスマホが震えた。画面を確認すると、さっきまで死んだように寝ていた桃瀬からだった。 (おや、思っていたよりも目覚めが早いな。注射にもっと、眠り薬を盛っておけば良かったか。まったく大人しく寝ていればいいのに、変に気を遣うんだから)  妙に律儀な親友のことをやれやれと思いつつ、スマホの画面をすぐにタップした。 「もしもーし。もうお目覚めとは、早すぎるんじゃないの。ゆっくり休みなさいって」  若干呆れながらも、ぼやくように言ってやった。 「悪かったな周防、迷惑かけてさ。昼からオフだったろ?」 「オフってわけでも、なかったけどね」 「おまえこそ、ちゃんと休みをとってるのか? 疲れた顔をしてたし」  こっちの心配をする言葉に、胸がじわりと熱くなる。耳のすぐ傍で響く、大好きな桃瀬の声が心地いい。  嬉しくて口元に、笑みが浮かんでしまった。 「バカにしないでよ。誰かさんと違って、俺はきちんと休息しているってば」 「そうか。なんかイラついていたから、疲れが溜まってるのかと思ったんだが」  それって、涼一くんに八つ当たりしたことだろう。歩きながら視線を伏せて、小さいため息をついた。 「イラつきもするさ。あんな桃瀬の姿、俺は見たくなかったし。涼一くんは俺を見て、おどおどしているし」 「怒ってるおまえは、俺だって怖いって。普段は仏のような優しい顔をしてるから、余計におっかない」  ――そんなに優しい顔、俺はしている覚えはないんだけど。 「桃瀬、もうこんな往診は、まっぴらゴメンだからね。倒れる前に、病院に顔を出しなさいよ」  次の角を右に曲がって真っ直ぐ突き進めば、自宅である病院に到着する。電話をしながら視線をそちらに向けると、病院前にある塀を背にして、こっちを伺うように見る男を発見した。 (む……? 小児科の患者にしては、かなりデカすぎる――) 「周防わかってるって。親友の言うことは、きちんと聞くから」  ――親友、ね……。 「親友の前に、俺は医者だっつーの! これ以上、手を煩わせてくれるなよ」  いろんな悔しさを噛みしめ、カバンの持ち手をぎゅっと握りながら足を進めると、こっちを見ていた男が、わざわざ向かってやって来る。身に着けている服は、どれもハイブランド物で、持っている小ぶりのバックも、有名ブランド品なのがロゴでわかった。 「周防、ホントありがとな。おまえがいてくれて良かった」  桃瀬の言ったセリフが片耳に入りながら、もう片方の耳は向かい合った男から告げられた、艶のあるバリトンボイスが忍び込むように入る。 「そんな寂しそうな顔して、泣かないで?」  向かい合った男が切なげにほほ笑むと、音もなく俺の顔に手を伸ばし、右の目尻辺りを触ろうとした。 「やめっ!」  迷うことなくカバンを放り出して、勢いよく右手を振りかぶり、向かい合った男を平手打ちしてやる。 「おい、周防? どうした、なにかあったのか?」  カバンは落としたけどスマホは手放さず、そのままの状態をキープしていたので、電話の向こう側では、俺の身になにか起こったことが、雰囲気で伝わったのかもしれない。  男は叩かれた頬を擦りながら苦笑いを浮かべ、じっとこちらを見つめた。 「おい周防、大丈夫なのか? 返事をしてくれ!」 「……大丈夫だ、ちょっとしたアクシデントだから。人の心配よりも、自分の心配をしろよ。ちゃんと寝ておけ!」  慌しく低い声で告げ、プツッと通話を切り、こっちを見る男に改めて対峙する。ボサボサした髪型に、ちょっとサル顔っぽいトコは愛嬌があるような、ないような。 「お兄さん、綺麗な顔して、やること半端ないね」 「いきなり見知らぬ人物に触れられそうになったら、誰だって拒否るだろ。殴られなかっただけ、ありがたいと思え」  苛立つ俺に、男はへらっとした笑みを浮かべ、肩をすくめる。そのあまりな態度に、顔を思いっきり引きつらせながら言ってやる。 「ほら、そこ邪魔だよ。どいてくれ」  男の前から逃れるべく、放り出したカバンを手に取って、バシバシッと土埃をはらった。 「俺に強がって見せても、動揺してるのはバレバレだぜ。野郎からの電話で、泣きそうな顔してたじゃん」 (マジで面倒くさいな、コイツ――) 「お兄さん、聞きたいことがあってさ。そこにある周防小児科医院って、イイ感じ?」  どこらへんをイイ感じだと言えばいいんだ? 今時のガキは、なにを考えているのか、さっぱりわからん。 「……知り合いの子どもがかかりたいのか?」 「いいや、俺がかかりたい」 「おまえなら、普通に内科に通える年齢だ。そっちにまわってくれ」  診れないワケではないが、病気の種類によっては、見過ごしてしまう恐れがある。市販薬の用量が十五歳以上から大人と同じ薬量になるので、彼は内科に通える年齢だった。  普段子どもを診慣れているから、病気を見過ごすかもしれないリスクを考えると、コイツは微妙――パッと見、元気そうにしてるヤツほど、大病を抱えていたりする。 「もしかして、アンタが周防武?」  いきなり呼び捨てなんて、随分と生意気なヤツだな。 「そうだけど。俺に診て欲しいと言ってるけど、病人には見えないツラだよね」  ちょっとだけ顔色が悪い感じなのは、成長期によくある貧血だろうか。 「名医だって聞いたから、てっきりじいさんだと思ってた。綺麗な先生でラッキー」 「俺の話を聞いてなかったのか。だったらまずは、耳鼻科にかかったらどうだ?」 「待ってくれって! 俺、本当に病気なんだよ、不治の病なんだ!」  必死な表情を浮かべて縋りついてくる男の姿に対し、不快感を示すように深いため息をついてみせた。 「不治の病ならなおさら、ウチじゃあ診られない。他所をあたってくれ」  管轄外だと思いながら、すがりついてきた男の手を外そうとしたら、外されないように、ぎゅっと腕を握りしめてくる。 「アンタじゃなきゃ、ダメなんだって」 「俺は、小さな町医者の小児科医なんだ。大人の重病人は診られない」 「ああ、そうだよ重病人だわ。アンタに恋をした、一目惚れだから」  堂々と告げられた言葉に、一瞬息を飲んだが――。 「人をからかうのも、いい加減にしろっ!」  男の頭頂部を思い切りグーで殴りつけてやると、途端にしゃがみ込んで、でかい背中を丸めながら頭を抱える。 「いって~……からかってなんかいないのに」 「おまえは病人じゃない。ただの変態クズ野郎だ、もう顔を見せるなよ」  ムカつきながら靴音を立てて、立ち去った瞬間だった。 「くっ、うぅっ……」  俺の捨てゼリフがキツかったのか、呻くような声が耳に聞こえた。どことなく気になって振り返ってみると、男は路上に仰向けになって、グッタリしているではないか!  一瞬仮病を疑ったが、それにしては迫真の演技に見えたので、慌てて近寄ってみる。 「おい、どうした? どこか痛むのか?」 「む、胸が痛い……っ、息ができな……」  カバンから聴診器を出すがもどかしくて、男の胸に耳を押し当てつつ、手首を掴んでみた。  ――右肺はクリア、左肺は若干空気が通っているような感じだな。動悸と頻脈アリそして、呼吸困難ね。 「おまえ、この発作は初めてか?」 「いいや、二回目。ケホケホッ!」 (まったく面倒くさい。どうして今日は、デカい患者ばかり重症なんだよ) 「俺に掴まれ、病院に運んでやる」  苦しそうに唸る男をなんとか背負って、自分たちのカバンを手に持ち、ヨロヨロしながら病院に辿り着いた。そのまま診察室に担ぎ込んでベッドに寝かせ、男に酸素マスクを装着する。 「俺の見立てだと、軽い自然気胸なんだけどさ。前の発作のときに、病院へ行ったんだろ?」 「ああ、その通り……さっすが……」 「医者から言われなかったか? 安静にしろって」 「言われたから、さっき大学に休学届けを出して、これから軽井沢の別荘に、養生しに行こうと思ったんだ」  酸素を吸うことで、先ほどよりも楽になったのか、喘いでいた男の呼吸が変わり、顔色もだいぶ良くなった。  そんな男の傍らに立ち、腕を組んで見下ろしてやる。俺の蔑んだ視線をまともに受けても、男は平然と笑いかける。桃瀬といいこの男といい、無理をする患者ばかりで、ほとほと嫌になる。 「ところで、どうしてウチに来た?」  軽井沢の別荘って、やっぱり裕福な家の育ちなんだろう。着ている服と持っていたカバンは、揃ってブランド製だったしな。 「軽井沢に行く前に、妹が言ってたのを思い出した。周防先生に診てもらっただけで、風邪が良くなったって。だったら俺も診てもらったら、治っちゃうんじゃないかと思ってやって来た」 「患者の名前は?」 「プライバシー保護のため、お伝えできません、ご了承ください」  コイツ――。 「だったらおまえの名前を教えろ。一応診てやったんだ、カルテを作らなきゃならない」 「わん♪」 「は――?」 「わわん、わん!」  面食らった俺に、男は満面の笑みを浮かべて、ワンワン言いだした。この犬語を、なんと訳せばいいのやら。 「ふざけるな、ちゃんと日本語を話せ!」 「周防先生は、家の前に捨てられていた、とてもかわいい犬を拾いました。あまりのかわいらしさに、飼うことに決めたのです」  どこがかわいいっていうんだ。見た目も中身も、全然かわいくない! 「おい、なに勝手なことを物語仕立てに言いやがって! おまえのような変態クズ野郎の面倒なんて、誰が見るか!」 「病気で苦しんでる患者を放り出すなんて噂が流れたら、周防先生も大変だよなー。放り出すというより、ぽいっと見捨てる的な?」 「くっ……」  なまじ頭が切れるんだろう。人の痛いところを、ズバッと突いてくる。 「軽井沢の別荘で発作が起きたら大変だから、ここで養生するよ。ヨロシクね、タケシ先生♪」 「……わかった。でも名前くらい教えろよ、なんて呼べばいいんだ?」 「わん♪」  あくまで、口を割らないつもりか。それなら――。 「だったら、飼い主になる俺がつけてやる。三択にしてやるから、そこから選べ」 「わん……」  顎に手を当てて、考えること数秒。ワクワクしたまなざしでこっちを見やる視線に、ニッコリと笑いかけてやった。  驚くがいい、この中から選ぶことになるんだからな。 「サル・太郎・坊ちゃん」 「……ってなんだよ、それ!?」 「これが嫌なら、自分の名前を言え」  見たまま、感じたままを名前に当てはめた。コイツが絶対に嫌がることがわかるので、自分の名前を言うしかないだろう。 「ちくしょう! 太郎でいいよ、もう‼」  ええっ!? そんなに名前を言いたくないのか? 「だったら太郎、上を脱げ。きちんと診察してやる」  ――やっぱり、面倒くさいヤツ!  顔を引きつらせつつ、自分のカバンから聴診器を取り出し、いつものように耳に装着する。渋々振り返ると着ていたトップスを脱ぎ捨て、そのあとにTシャツを脱いだ太郎が言った。 「診察が終わったら、このまま抱いてあげるけど、どうします?」 「やっぱり耳鼻科に行け。人の話がよぉく聞こえるように、左右の耳の穴を通してもらえ」  安静にしろと言われてるクセに、なんなんだコイツ。ヤることしか、考えていないのか。 「耳の穴よりも、タケシ先生の大事な穴を貫通してみたいなと思いまして」  ゲッ! 面倒くさいヤツよりもヤバいヤツを、家に入れてしまったかもしれない。 「そんなこと思うな、考えるな、想像するな! 俺はソッチの気はないんだ。気色悪い……」  貞操の危機だぞ、これは――。  震える手で聴診器を使い、診察しながら考える。自然気胸が早く治る薬と言って、睡眠薬を渡し、安らかに眠らせてやろう。病人の太郎が安静することにつながる上に、俺の身の危険が回避されることになる!

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