15 / 128

Love too late:おとしもの4

***  桃瀬の家に行くときは、二人の仲の良さをきっと見せつけられるんだろうなと、どこか躊躇した気持ちがあったけど、今は清々しい気持ちに満たされていた。 (今までこんなに、完敗って思ったことがなかったしな。涼一くんになら安心して、桃瀬を任せられる。うん――)  はじめは頼りなさを感じ、こんなヤツには桃瀬を渡せないってイライラしちゃったけど。何とかして俺を攻略しようと、いろいろ行動する姿に驚かされつつ胸を打たれた。  攻略なんて言葉はダメか。桃瀬が聞いたら発狂するだろう。俺にガバッと抱きついてきた涼一くんを見たら、一体どうなっていたか――これはこれで、娯楽になるな。  笑みを浮かべて、澄んだ秋空を眺めた。底抜けに明るい青が、差し込むように目に眩しく映る。これくらい俺の心も綺麗だったらな――  そんなことを考えていたら、ポケットに入っているスマホが震えた。画面を確認すると、さっきまで死んだように寝ていた桃瀬からだった。  おや、思っていたよりも目覚めが早いな。もっと薬を盛っておけば良かったか――まったく大人しく寝ていればいいのに、変に気を遣うんだから。  やれやれと思いながら、ゆっくりと電話に出る。 「もしもーし。もうお目覚めとは早すぎるんじゃないの。ゆっくり休みなさいって」  呆れながら、ぼやくように言ってやった。 「悪かったな周防、迷惑かけてさ。昼からオフだったろ?」 「オフってわけでも、なかったけどね」 「……お前こそ、ちゃんと休みとってるのか? 疲れた顔してたし」  こっちの心配をする言葉に、胸がじわりと熱くなる。耳の傍で響く、桃瀬の声が心地いい――  嬉しくて口元に、つい笑みが浮かんでしまった。 「バカにしないでよ。きちんと休息しているってば」 「そうか。何かイラついてたから、疲れが溜まってるのかと思ったんだが」  それって、涼一くんに八つ当たりしたことだろう。歩きながら視線を伏せて、小さいため息をついた。 「イラつきもするさ。あんな桃瀬の姿、見たくなかったし。涼一くんは俺を見て、おどおどしているし」 「怒ってるお前は、俺だって怖いぜ。普段仏のような優しい顔してるから、尚更なんだ」  ――そんなに優しい顔、している覚えはないんだけど。 「とにかくっ、もうこんな往診は、まっぴらゴメンだからね。倒れる前に病院に顔、出しなさいよ」  次の角を右に曲がって真っ直ぐ突き進めば、自宅である病院に着く。電話をしながら視線をそちらに向けると、病院前にある塀を背にして、伺うようにこっちを見る男を発見した。 (む……? 小児科の患者にしては、デカすぎるぞ――) 「分かってるって。親友の言うことは、きちんと聞くから」  ――親友、ね…… 「親友の前に俺は、医者だっつーの! 手を煩わせてくれるなよ」  いろんな悔しさを噛みしめ、カバンの持ち手をぎゅっと握り、足を進めると、こっちを見ていた男が、わざわざ向かってやって来る。身に着けているエンジ色のブレザーは、涼一くんが通っていた学校の、高等部の制服だ。 「周防ホント、ありがとな。お前がいてくれて良かった」  桃瀬の言った言葉が片耳に入りながら、もう片方の耳は向かい合った男から告げられた、艶のあるバリトンボイスが忍び込むように入る。 「そんな寂しそうな顔して、泣かないで?」  切なげに微笑むと、音もなく顔を寄せてきて、右の目尻辺りにいきなり、唇を押し当ててきた男。 「ギャッ!?」  背筋がゾワッとし、迷うことなくカバンを放り出して、勢いよく振りかぶり平手打ちをしてやる。  パシーン!! 「おい、周防!? どうした、何かあったのか?」  カバンは落としたけどスマホは手放さず、そのままの状態をキープしていたので、電話の向こう側では、俺の身に何か起こったのが、雰囲気で伝わったのかもしれない。  男は叩かれた頬を摩りながら苦笑いを浮かべ、じっとこちらを見つめていた。 「大丈夫なのか? 返事をしてくれ!」 「……大丈夫だ、ちょっとしたアクシデントだから。人の心配よりも自分の心配しろよ。ちゃんと寝ておけ!」  慌しく低い声で告げ、プツッと通話を切り、こっちを見る男に改めて対峙する。ボサボサした髪型に、ちょっとサル顔っぽいトコは愛嬌があるような、ないような。 「綺麗な顔して、やること半端ないね、おにーさん」 「いきなり同性にあんなことされたら、誰だって拒否るだろ。殴られなかっただけ、あり難いと思え。俺はそっち側の人間じゃないよ。通ってる学校で相手捜しな」  へらっとした笑みを浮かべ、肩をすくめる男のあまりな態度に、顔を思いっきり引きつらせながら言ってやった。  放り出したカバンを手に取って苛立ちながら、バシバシッと土ぼこりをはらう。 「ウソついてもバレバレだぜ。野郎からの電話で、泣きそうな顔してたじゃん」  面倒くさいな、コイツ―― 「ところで聞きたいことがあってさ。そこにある周防小児科医院って、イイ感じ?」  何をどう、イイ感じだと言えばいいんだ? 今時のガキは、何を考えているのか分からん。 「……知り合いの子どもが掛かりたいのか?」 「いいや、俺が掛かりたい」 「高校生ならもう、普通に内科に通える年齢だ。そっちにまわってくれ」  診れないワケではないが、病気の種類によっては、見過ごしてしまう恐れがある。市販薬の用量が十五歳以上から大人と同じ薬量になるので、普通は内科に通える年齢なんだ。  普段子どもを診慣れているから、病気の見過ごすリスクを考えると、コイツは微妙なんだ――パッと見、元気そうにしてるヤツほど、大病抱えていたりするし。 「もしかしてアンタが、周防 武?」  いきなり呼び捨てなんて、随分と生意気な高校生だな。 「そうだけど。どう見たってお前、病人には見えないツラしてるよね」  ちょっとだけ顔色が悪い感じなのは、成長期によくある貧血かもしれない。 「名医だって聞いたから、てっきりじいさんだと思ってた。綺麗な先生でラッキー」 「俺の話を聞いてなかったのか。だったらまずは、耳鼻科に掛かったらどうだ?」 「待ってくれって! 俺、本当に病気なんだよ、不治の病なんだ!」  必死な顔して、すがりついてくる姿に対し、不快感を示すように、はーっと深いため息をついてやった。 「不治の病なら尚更、ウチじゃあ診られない。他所をあたってくれ」  管轄外だと内心思いながら、すがりついてきた手を外そうとしたら、外されないように、ぎゅっと握りしめてくる。 「アンタじゃなきゃ、ダメなんだって」 「俺は町のお医者さん的な、小児科医なんだ。重病人は診られない」 「ああ、そうだよ重病人だわ。アンタに恋をした、一目惚れだから」  堂々と告げられた言葉に、一瞬息を飲んだ。が―― 「大人をからかうのも、いい加減にしろっ!」  頭頂部をグーで殴りつけてやると、途端にしゃがみ込んで、でかい背中を丸めながら頭を抱える。 「いって~……。からかってなんかいないのに」 「お前は病人じゃない。ただの変態クズ野郎だ、もう顔を見せるなよ」  ムカつきながら靴音を立てて、立ち去った瞬間―― 「…くっ、うぅっ……」  告げた言葉がキツかったのか、呻くような声が耳に聞こえてきた。どことなく気になって振り返ってみると、男は路上に仰向けになってグッタリしているではないか!  一瞬仮病を疑ったが、それにしては迫真の演技に見えたので、慌てて近寄ってみる。 「おい、どうした? どこか痛むのか?」 「む、胸が痛い……っ、息が出来な……」  カバンから聴診器を出すがもどかしくて、男の胸に耳を押し当てつつ、手首を掴んでみた。  ――右肺はクリア、左肺は若干空気が通っているような感じだな。動悸と頻脈アリそして、呼吸困難ね。 「お前この発作、初めてか?」 「いいや、二回目。ケホケホッ!」 (――ったく面倒くさい。どうして今日は、デカい患者ばかり重症なんだよ) 「俺に掴まれ、病院に運んでやるから」  苦しそうに唸る男を背負って、自分たちのカバンを手に持ち、ヨロヨロしながら病院に辿り着いた。そのまま診察室に担ぎ込んでベッドに寝かせ、酸素マスクを装着する。 「俺の見立てだと、軽い自然気胸なんだけど。前の発作のときに、病院へ行ったんだろ?」 「ああ、その通り……さっすが……」 「医者から言われなかったか? 安静にしておけって」 「言われたから、さっき学校に休学届け出して、これから軽井沢の別荘に、養生しに行こうと思ったんだけど」  先ほどよりも楽になったのか、喘いでいた呼吸が変わり、顔色も良くなっていった。  そんな男の傍らに立ち、腕を組んで見下ろしてやる。俺の蔑んだ視線をまともに受けても、平然と笑いかけてきた。桃瀬といいこの男といい、無理をする患者ばかりでほとほと嫌になる。 「何で、ウチに来た?」  軽井沢の別荘ってやっぱり、裕福な家の育ちなんだろう。持っていたカバンも、ブランド製だったしな。  そう思いながら、診察室の隅に置いたカバンを横目で確認したのだが、別荘へ養生に行くにしては、小ぶりすぎやしないか? 通学するのに、支障のない大きさだぞ。 「妹が言ってたのを思い出して。周防先生に診てもらっただけで、風邪が良くなったって。だったら俺も診てもらったら、治っちゃうんじゃないかと思ってやって来た」 「患者の名前は?」 「プライバシー保護のため、お伝えできません、ご了承ください」  コイツ―― 「だったらお前の名前を教えろ。一応診てやったんだ、カルテを作らなきゃならない」 「わん♪」 「は――?」 「わわん、わん!」  面食らった俺に満面の笑みを浮かべて、ワンワン言いだした男。この犬語を、何と訳せばいいんだ!? 「ふざけるな、ちゃんと日本語を話せ!」 「周防先生は、家の前に捨てられていた、可愛い犬を拾いました。あまりの可愛らしさに、飼うことに決めたのです」  どこが可愛いっていうんだ!? 見た目も中身も、全然可愛くないぞ! 「何、勝手なことを物語仕立てに言いやがって! お前のような、変態クズ野郎の面倒なんて、誰が見るか!」 「病気で苦しんでる患者を放り出すなんて、噂が流れたら大変だよなー。放り出すというより、ぽいっと見捨てる的な?」 「くっ……」  なまじ頭が切れるんだろう。大人の痛いところを、ズバッと突いてくる。 「軽井沢の別荘で発作が起きたら大変だから、ここで養生するよ。ヨロシクね、タケシ先生♪」 「――分かった。でも名前くらい教えろよ、何て呼べばいいんだ?」 「わん♪」  あくまでも口を割らないつもりか。それなら―― 「だったら、飼い主になる俺がつけてやる。四択にしてやるから、そこから選べ」 「わん……」  顎に手を当てて、考えること数秒。ワクワクした眼差しでこっちを見やる視線に、ニッコリと笑いかけてやった。  驚くがいい――この中から選ばなきゃならないんだからな。 「ボサボサ・サル・太郎・坊ちゃん」 「……って何だよ、それ!?」 「それが嫌なら、自分の名前を言え」  見たまま、感じたままを名前に当てはめてみた。絶対に嫌がるであろうことが分かるので、名前を名乗るしかないだろ。 「ちくしょう! 太郎でいいよ、もう!!」  ええっ!? そんなに名前、言いたくないのか? 「だったら太郎、シャツを脱げ。きちんと診察してやる」  ――やっぱり、面倒くさいヤツ!  顔を引きつらせつつ、自分のカバンから聴診器を取り出し、いつものように耳に装着する。渋々振り返るとネクタイを外して、ワイシャツを肌蹴た太郎が言った。 「診察終わったら、このまま抱いてあげるけど、どうします?」 「やっぱ耳鼻科に行け。人の話をよぉく聞こえる様に左右の耳の穴、貫通してもらえ」  安静にしろと言われてるクセに、何なんだコイツ。ヤることしか、考えていないのか…… 「耳の穴よりもタケシ先生の穴を、貫通してみたいなと思いまして」  ゲッ! 面倒くさいヤツよりもヤバいヤツを、家に入れてしまったかもしれない。 「そんなこと思うな、考えるな、想像するな! 俺はソッチの気はないんだ。気色悪い……」  貞操の危機だぞ、これは――  震える手で聴診器を使い、診察しながら考える。自然気胸が早く治る薬と言って、眠剤を渡して安らかに眠らせてやろう。正当防衛だ、これは!

ともだちにシェアしよう!