＊＊＊ 「暗い顔しまくってんな。コーヒー淹れるから、そこかけてろよ」 　俺の顔を見て肩をすくめながら、家に入れてくれた桃瀬。こんな顔をして、訪問したくはなかったのにな。 「あ、周防さんいらっしゃい。こちらへどうぞ」 　ニコニコしながら涼一くんが、ソファへ誘ってくれた。少しだけ笑って、どうもと呟きながら静かに座る。 　やがて室内に、甘い香りが漂ってきた。 　桃瀬のヤツ、コーヒーを淹れるって言ってたはずなのに、何かお菓子でも作っているんだろうか？ 　訝しむ俺の目の前に、淹れたてのコーヒーが、そっと置かれたのだが――向かい側に座る、桃瀬にぎろりと視線を飛ばす。 「ももちん、俺、甘いの苦手って知っていて、ワザとこんなの淹れたでしょ？」 　出されたカップに、しっかり指を差しながら苦情を言ってやった。コーヒーから漂ってくる香りが、どう嗅いだって普通のものじゃなかったから。何ていうか、キャラメルのような感じ…… 「それ、フレーバーコーヒーっていうんだ。豆をローストするときに、香料を入れて豆に直接、香りをつけたコーヒーなんだぜ。騙されたと思って飲んでみろよ」 「う～～っ……」 　出されたものを飲まないのも悪いので、覚悟を決めて一口飲んだ。 「……あれ!?」 　香りはものすごく甘そうなキャラメルなのに、味は酸味とコクが絶妙なバランスの、上品な感じのコーヒー。甘さのカケラが、ひとつもなかった。 「……な？　美味いだろ」 　口元に、してやったりな笑みを浮かべた桃瀬に、驚いた顔して頷くしか出来ない。 「僕はキャラメルよりも、バニラマカダミアがお気に入りなんです。執筆のときによく飲むんですけど、大さじ一杯の砂糖を入れてから飲むと、いい内容がめきめきっと閃いちゃうんです」 「涼一、俺のチョイスを考えてみろよ。どうしてキャラメルにしたか」 　隣にいる涼一くんに肘で突きながら、意味深な流し目をする。何だか、ふたりのお邪魔をしている気分だ。 「あ――」 　そして、何故か俺を指差す。何がどうしたんだ!? 「郁也さんっ、すごいや。尊敬するよ！」 「だろだろ。俺もついに、恋愛体質になりつつあるってか！」 「……もう帰る」 　話が見えなくて、蚊帳の外にいる状態では、ここにいるのも辛い。ロンリーな自分を、改めて思い知らされてしまうから。 「悪い悪い、ごめんな周防。話を聞いてくれって」 　腰を上げて、立ち上がりかけた俺の肩を掴み、強引に座らせる。仏頂面なままの顔を、桃瀬は瞳を細めて見てから、 「そのコーヒーさ、キャラメルの香りが太郎でコーヒー本体を、周防本人という表現にしてみたんだ」 「僕の好きなバニラマカダミアじゃなく、キャラメルっていうのが、ちょっとしたミソだよね」 　――桃瀬、お前…… 「えっとつまり、キャラメルは子どもが好んで食べる、お菓子だからとか？」 　コーヒーは基本的に、大人の飲み物で――その感じが、俺たちに似ているって言いたいのだろうか。 「そういうこと。ナイスなチョイスだろ」 　自信満々に言い切って、自分のコーヒーに口をつける。俺ももう一度飲むべく、カップに手を伸ばした。キャラメルの香りを堪能しながらアイツを思い出し、ゆっくりとコーヒーを飲む。 　桃瀬の思いやりに、こっそり胸を打たれながら微笑むと、向かい側にいたふたりも、つられるように笑ってくれた。 「周防さんごめんなさい。郁也さんが今、任されてる仕事がコンテストの審査員で、三木編集長さんに、小説の文章の中から萌えを探せって言われていて、必死になってるんです」 「恋愛に鈍感なももちんだからこそ、そりゃ必死になるね」 　俺としても、桃瀬が恋愛小説の編集をしているっていうこと自体、大丈夫なのかって、内心思っていた。 「何だよ、ふたり揃って。以前に比べたら俺だって、それなりにレベルアップしてんだぞ」 「レベルアップしたにしては、まだまだ自分の気持ちを言うのが、僕としてはちょっと足りないんだけどなぁ」 　――自分のキモチ…… 　涼一くんの言葉で、視線を伏せた俺に気がつき、桃瀬が気遣うようにそっと問いかける。 「俺のことは後回しにして周防、お前はどうしたんだ？　太郎とケンカでもしたのか？　すっげぇ、仲が良かったのに」 「仲がいいほど、ケンカするものだよ、郁也さん。周防さん、僕らでよければ、話を聞きますよ？」 　優しく訊ねてくれる涼一くんの声色に、わだかまっていた心が、見る間に解れていく。 　大きなため息をついて意を決してから、今まであったいきさつを、ふたりに分かるように丁寧に話をした。 　勿論、俺の悪い部分を含めて―― 　桃瀬はずっと腕を組んだまま固まり、涼一くんは顎に手を当てて、途中頷きながら、真剣に話を聞いてくれた。 　胸の中にグルグル渦巻いていた不安とか、いろんなものと一緒に吐き出したせいか、重たかった荷物を、背中から下ろした気分。 　話が幾分長くなったせいで、冷めてしまったコーヒー。喉を潤すべく、一口飲んでみる。冷たくなってもコーヒーからは、甘いキャラメルの香りが漂っていた。 （アイツ、今頃なにしているのかな） 　キャラメルの香りを嗅いでしまうと、つい考えてしまう。風邪を引いていなければいいけど。なぁんて…… 　俯きながらぎゅっと、持っていたカップを握りしめたら。 「周防って、結構可愛いんだな」 　唐突に告げられたワケの分からない桃瀬の言葉に、眉根をぎゅっと寄せた。 （俺のどこら辺が、可愛いっていうんだ!?　相変わらず、とぼけているな） 　呆れた視線を飛ばしたとき、涼一くんが桃瀬の後頭部を、振りかぶって容赦なく叩く。 「困ってる周防さんの話から、萌えを感じちゃダメだよ！　職業病だって分かるけど、今は抑えなきゃ」 （あの桃瀬が教育されている。信じられない姿だ……） 「ごめんなさい、周防さん。郁也さんが無神経、発動しちゃって。あとでしっかり、注意をしておきますので」 「いや、大丈夫だから。ももちんの性格、分かってるしね」 「どうして、ふたりに責められなきゃならないんだ、くそっ！」 　前にも、同じようなことあったよね。そのときも涼一くんとふたりで、桃瀬を懲らしめたんだった。 　思い出したら、自然と口角が上がる。結構打ちのめされていたはずなのに、不思議だな。 「あの、周防さんにとって太郎くんは、どんな存在ですか？」 　気持ちが浮上した俺に、首を傾げて微笑みながら、優しく訊ねてきた涼一くん。 「アイツの存在、か――」 「僕以前、三木編集長さんに言われたことがあるんです。郁也さんにとって僕は、一輪挿しの花のような存在だって。自分だけが特別に愛でることの出来る、キレイな花だろうって上手く表現されたんですよ」 「へぇ、ももちんの溺愛ぶりを、上手いこと言ったね、その人」 　感心しながら涼一くんを見つめると、ちょっと照れた顔をして、桃瀬に視線を飛ばした。 「一輪挿しの花の僕がキレイに咲いていられるのは、郁也さんから愛情という名の水を、毎日かかさずに貰っているからなんですよ。花は水がなかったら、あっという間に枯れてしまいますから」 「……そうだね」 　桃瀬にとって涼一くんは、花のような存在――俺にとって歩は、何になるだろうか？ 　膝に頬杖をつき目をつぶって、歩のことを思い出してみる。 『タケシ先生ってば俺の話、聞いてる？』 　いつも自分を見てほしくて、ギャーギャー煩くて、何かしようと思ったタイミングで必ず話しかけたり、抱きしめてきたり――面倒くさいヤツって感じなんだ。 「……小学生のとき、犬を飼っていたんだ。すっごく賢い犬だったからなのか、俺の様子をよく見ていてね。気分が落ち込んだり寂しそうにしてるときに限って、散歩の手綱を銜えて、わざわざ持ってくるの。気持ちが乗らないってときなのに遊びに行こうって、頭をがしがし擦りつけてきて、すっごく厄介でさ。その感じがどことなく、太郎に似ているかなって……」 　ぽつぽつと言った感じで伝えていくと、桃瀬がう～んと唸る。 「太郎が犬、か。周防は飼い主っていうよりも、どちらかといえば目の前にぶら下がった、エサにしか見えな――」 　涼一くんが再び、桃瀬に無言で攻撃をした。もう構ってほしくて、こんなことをワザとやっているようにしか、俺には見えないんだけど。 「郁也さんは少し、黙っていてくれないかな。周防さんは困って、相談に来ているんだよ。変なちゃちゃ、入れないの！」 「でもよぅ、俺としては、事実を言ってるま――」 　桃瀬が反論した途端に、目の前に拳を見せ、見事黙らせた涼一くん。さっき言ってた、仲がいいほどケンカするって、このふたりのことなんじゃないかと思ってしまった。 「ごめんなさい、お話の途中だったのに。それで太郎くんが周防さんにとって、飼っていた犬に、よく似ているんでしたよね？」 「うん、じゃれついてくる感じとかソックリ」 　大事に飼っていたその犬は十五年一緒にいて、老衰で亡くなってしまったけれど、まるで人間になって、戻ってきた錯覚さえあるのだ。 「太郎くんが飼い犬だとして、周防さんが飼い主でいつも一緒にいる関係で、可愛がっているんですよね？」 　涼一くんの言葉に、思わず眉根を寄せてしまう。可愛がるというよりも、躾をしている感じだから。 「――あのさ……躾も、可愛がる一環になるかな？」 「躾ですか、そうですね。本人のためを思ってしているのなら、そうなるかなと」 　躾にも限度があると、ブツブツ言ってる桃瀬をしっかり無視して、顎に手を当てこちらを窺うように見つめてくる涼一くん。 「アイツ、本当バカ犬だからなのか、何も考えずに行動するんだよ。休学して勉強が遅れてるっていうのにさ、注意しないとのん気にゲームばっかりするし、昼寝を堂々とするし。目が離せなくってね」 　探るような涼一くんの視線に違和感を感じて、ベラベラと言わなくてもいいことばかり、並べ立ててしまった。 「バカ犬の太郎くんに首輪をつけたまま、一週間放置してる間、周防さんは平気だったんですか？」 　その言葉に、内心ムッとしてしまう。他人の口から、太郎をバカ呼ばわりされるのは、無条件にムカついてしまうから。 「そりゃあ、気になったよ。でも俺が連絡して、学祭の作業の手を止めさせるのはイヤだったし、何より声を聞いたら逢いたくなるし」 「でもね、連絡手段は電話だけじゃないですよね。メールや他の手段もあるワケですよ。時間が出来たときに、返事が出来るんですから、そんな風に気を遣わなくてもいいんじゃないんでしょうか」 「分かってる……でもどんな連絡手段を使っても結局、逢いたさに拍車がかかってしまうのが、どうしてもイヤだったんだ」 　本音を吐露したとき、歩が玄関で見せた、辛そうな表情を思い出してしまった。鼻の奥がツンとして泣きそうになったので、それを隠すべく両手で口元を押さえ込む。 「バカ犬の太郎くんには、そのこと言ったんですか？」 「……涼一くんの口から、太郎のことをバカ呼ばわりされると、不快感が増すんだけど。止めてくれないかな」 　声を低くしながら睨みつけると、何故か笑みを浮かべた。 「周防さんは太郎くんのこと、大事に想いすぎです。だから今回、すれ違ってしまったんですね」 「う～ん。タイトルをつけるなら、小児科医　周防　武の恋わずらいって感じだろうな」 　笑みを浮かべる涼一くんの隣で、同じように微笑みながら、勝手なことを言った桃瀬。 「んもぅ、郁也さんまた、職業病を炸裂させるんだから！　お医者さんをアピールさせるのに、それにしたんだろうけど僕なら、小児科医　周防　武の不器用な恋にするけどね」 「あの……ふたりとも――」 　何故だか自分の恋に、勝手にタイトルを付けられてしまい、困惑するしかない。さっきの流れからどうして、こんなことになったのやら。 「ごめんなさい。周防さんがあまりにも、郁也さんと同じだったもので。やっぱ親友同士だからなのかな、不器用なところがそっくりですよ」 「え～っ俺、ここまで酷くないだろ。あんまりじゃね？」 「いいえ。類友です、ほぼ同じような状態。余計なことを考えず、素直になればいいだけなのに。変に格好つけるから、相手を深くキズつけちゃうんだ」 「涼一くん……？」 　意味が分からなくて首を傾げると、キリッと真剣な表情を浮かべる。 「太郎くんのワガママをあしらいながらでも、最終的にはちゃんと叶えてあげているでしょ、周防さん」 「……最終的には、そうなるかな」 「じゃあ周防さんは、太郎くんにワガママを言ってますか？」 　改めて聞かれ、うーんと考え込んでしまった。 「俺のワガママって、一体なんだろう……？」 「え――!?」 　俺の言葉に、ピキンと固まる目の前のふたり。だって本当に分からなかったのだ。 「アイツにも言われたんだけどさ、俺から何か、行動を起こしたことがなくてね。それが余計、寂しさを助長させちゃったんだろうな」 「う～ん。周防は太郎に、何かして欲しいことはないのか？」 「そうだね。それを伝えることによって、周防さんの気持ちも、きっと伝わると思いますよ」 　目の前のふたりが、とても仲よさそうに視線を合わせながら、アドバイスをしてくれたのだけど―― 「……昔飼っていた飼い犬の話で、同じだって言ったでしょ。落ち込んだり寂しくしているときに、擦り寄ってくるって。アイツ、無駄に聡いものだから、俺が言う前に何でもしてくれちゃうんだ」 　額に手を当てて、はーっと深いため息をついた。言葉にしなくても伝わってしまうキモチは嬉しかったけど、正直なところ戸惑いもあった。 　――何で分かっちゃうんだろうって。 　それって今までの交際の経験で、察知出来ているんだろうなとか、色々考えたらつい、アイツが付き合ってきた過去の人間に対して、いらないヤキモチを妬いてしまい…… 「太郎くんはすごいですね。勿論、してもらったことにはお礼とか気持ちを、きちんと伝えていますよね？」 　明るい涼一くんの声を聞きながら苦笑して、首を力なく横に振った。 「何でっ!?　太郎に色々してもらって、嬉しいだろお前」 　桃瀬が、信じられないと声を荒げる。当然だな…… 「嬉しい反面、いらないことを考えちゃってさ。ホント、バカみたいだ」 　――素直になるのがコワイ―― 　優しくされるとその裏を考えて、くだらないことに、いちいちヤキモチを妬いたり。こんなに醜くて可愛げのない重たい自分がいつか、歩に嫌われてしまうんじゃないかと思うと、素直になれないんだ。 「ねぇ周防さん。太郎くんと向き合って、彼が一番望むことって、見ていて分かりますか？」 「ああ、何となくだけど分かる……」 　とにかくアイツは、スキンシップを望んでいるような気がする。 「じゃあ、まずはそれをしてあげること。ふたつ目は、ちょっとでもいいから、自分がそのときに思ったことを、口に出して伝えることですよ」 「……ちょっとでもいいから、口に出して伝える――」 「はい、そうなんです。これをよく郁也さんにも言ってるんですけど、口に出して言わないと伝わらないんですよ、そのときの気持ちって。意外と鮮度が命なんです、想いを伝えることは」 　ねっ、郁也さんと小さく呟き、隣にいる桃瀬に念を押すように顔を覗き込んで、じと目をした涼一くん。 「周防の気持ちが見えないから、太郎は不安になっているだけだ。あれこれ言わなくていい。短い言葉でも、結構伝わるもんだぜ」 　わざわざ立ち上がって俺の頭を、手荒にガシガシ撫でてくれる優しい桃瀬。何だか、勇気を貰った気分だよ。 　そんな俺たちを見て、柔らかく微笑んだ涼一くんが口を開く。 「善は急げじゃないけど、今週末の学祭に行って、太郎くんの頑張ってる姿をしっかり見て、周防さんの気持ち、伝えたらいいんじゃないですか？」 「きっと周防が行ったら喜んで、ムダに頑張る姿が目に浮かぶけどな」 　楽しげにほくそ笑むふたりに、しっかり頷いてみた。 「そうだね。恋人としてしっかりアイツの姿、見てやらないと」 　桃瀬と涼一くんから勇気をたくさん貰ったお陰で、何とか立ち上がることが出来そうだ。 「ちゃんと自分のキモチ、伝えてくる――」 　歩のために、素直なキモチを伝えようと決心した。