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この恋すいーつ2
***
きれーなおにーさんに付き添われ、救急車で大学病院まで、連れて行かれた俺。
病院に着くと早速、頭の中の写真を何枚も撮られ、疲れきったトコに、母親と妹が心配そうな顔で到着し、病室に入ってきた姿を見て、ベッドに横たわる俺の傍にいた、キレイなおにーさんが素早く立ち上がって、きっちりと頭を下げる。
「このたびは、息子さんにケガをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」
「頭を上げて下さい、周防先生。息子がいつも、お世話になっているというのに。逆に、お礼を言いたかったんですよ」
キレイなおにーさんは、すおー先生というのか。
頭を上げて、切なげな瞳をした横顔を、じっと見てしまった。
(――未だに信じられねぇ。こんな人が俺の恋人なんて……)
「周防先生のところに通うようになってから、学校の呼び出しがなくなりましてね。成績のほうも以前に比べると、すごく良くなっているんですよ。きっと先生が、うちの息子の面倒を見てくれているんですよね?」
「いえ……それはきっと彼が、命に関わる病がきっかけになり、考えることがあったからだと思いますよ。私はただ、ちょっとだけ手を添えて、お手伝いをしているまでです。しかし今回、ケガをさせてしまったのは、こちら側のミスですので」
あまりにも自分が悪いと連呼し、ミスを引っかぶる姿に、胸が痛くなってしまった。
「アンタが悪いワケじゃねぇだろ。俺があんな恰好して、高いトコに上がったのが原因なんだから、そんな風に謝んなって!」
意識が戻って気がついたときに、自分が着ていた犬の着ぐるみ……どうしてそんな格好をしているか、全然ワケが分からなかったけど、傍に倒れていた脚立が、すべてを物語っていたんだ。
「こらっ、歩。周防先生に、何て口の聞き方してるの」
「いいんですよ、普段はきちんとしていますから。今は私に関する記憶がないせいで、こんな喋り方になっているだけです」
「お兄ちゃんっ、本当にすおー先生の記憶、なくなっちゃったの?」
妹の茜がベッドに近づいて、顔を覗き込むように訊ねてきた。その視線をやり過ごすべく、プイッと横を向いてやる。
「歩くんが検査中、画像を見せてもらったのですが、異常は見られませんでした。後頭部に出来たタンコブも、脳内で血腫になっていなかったですし、大丈夫です。頭を強打したために見られる、一時的な健忘症でしょうね。私以外のことは、しっかりと覚えていますので、生活には支障がないと思います」
詳しくは脳外の先生からも、お話がありますが……と静かに言って、俺の顔に視線を飛ばしてきたすおー先生。
目が合った瞬間、胸の奥がぎゅっと絞られる感覚がした。
「そうですか。有り難うございます」
「頭を打っているので、念のため一日だけ入院になると思いますが、完全看護なので」
「分かりました、先生のお話を聞いてから帰ります。歩、何か必要なものはない?」
和やかに話し合う親たちを見ているだけで、何でか分からないけど、イライラするしかない自分。
――どうして大事なことを、忘れてしまったんだろう?
「別に何もないし。検査で疲れたから、早く寝たい」
俺のセリフを聞き、みんなと一緒に出て行こうとする細い背中に、慌てて声をかける。
「すおー先生は、ちょっと待て! 話があるから」
「分かったよ。それではここで、失礼します」
扉の前でしっかりと頭を下げ、親たちを見送ってから、ベッド脇に置いてある椅子に静かに腰掛ける。
「話って何だ?」
「……あの俺たちってホントに、恋人同士なのかなって。未だに信じられなくて」
キレイな顔を窺いながら言葉にすると、難しそうな表情を浮かべ、顎に手を当てて考えはじめた。
「説明するとなると、ムダに長くなる。正直、面倒くさい……」
(その面倒くさいトコが好きって、言ってたクセに!)
「それでも知りたいんだけど。えっと、俺がアンタをナンパしたんだっけ?」
「そうそう。そのあと病気で倒れたから、仕方なく面倒を見てやった。一緒に生活している内に、恋人になりました。めでたしめでたし」
説明しながら、手をパチパチと鳴らしてくれるオマケつき。大事なトコが知りたいっていうのに、何なんだ。
「説明省きすぎだろ、ちゃんとしてくれよ」
「事実を知ったら間違いなく、今以上に混乱するけど、それでもいいのか?」
「それを知ったら、上手いこと記憶が戻るかもよ!」
俺が微笑むと逆に、すおー先生はすっげぇイヤそうな表情を浮かべ、眉間に深いシワを寄せる。
「アンタの記憶、戻ってほしくないのかよ?」
「戻ってほしいけど。でも今はあまり、無理してほしくないんだ」
長い睫を伏せ俯く姿に、ますます知りたくなってしまった。この人にこんな顔をさせるなんて、俺ってば罪な男かもしれない。
「俺は、どうしても思い出したい。アンタを見てると、知りたくて堪らないんだ」
右目尻のホクロに手を伸ばし、そっと触ると体をビクつかせた。
一瞬だけ俺を見てから、あらぬ方向を見たまま、諦めたように話し出す。触れている頬が熱を持ったのが、指先から伝わってきた――
「病院前で倒れたお前は、自分の正体を知られたくなかったから、名前を教えてくれなかったんだ。それで俺が、太郎って名づけた」
「へえぇ、なるほど」
「他にも突然、犬になってな。散歩に連れて行けとワンワン吠えたり、困らせることばかりして、かなり手を焼いていたんだ」
Σ( ̄⊥ ̄lll)・・・い、犬!?
「ほらな、混乱してるだろ。頭が痛くなる内容に、余計ワケが分からなくなるって」
心配そうな顔をして頬に伸ばしていた手を、ぎゅっと握りしめてくれる。
「とにかくもう、これ以上は考えるのは止めろ。バカ犬のお前が、もっとバカになったら困るからな。そろそろ横になれって」
椅子から立ち上がり、俺の身体を押し倒したすおー先生。その腕を掴んで簡単に逆転してやり、ベッドへと強引に押し付けた。
『…っ、やめっ……病室なんてリスキーな場所でそんなこと、出来るワケないだろ』
次の瞬間頭の中に、艶っぽい声が流れる。まるで今の行為が、以前にもあったみたいだ。
白衣姿のすおー先生が、何も言わずにじっと俺を見上げた。
「……どうした? 勢いよく押し倒したクセに、怖気づいたのか。ん?」
挑発的な言葉に、誘うような視線――今すぐにでも手を出したいのに躊躇ってしまうのは、何とも言えない違和感があったから。
頭の中は覚えていないけど、身体が何かを訴えてる。身体が……いや、心がこの人をこんな気持ちで抱いちゃいけないって、言ってるみたいだ。
「ゴメン。今の俺は、アンタに触れちゃいけない気がする……すっげぇ大事な人だって、分かってるから」
「歩――?」
「アンタを見てるだけで、胸が痛くて堪らないんだ。今すぐにでも手を出したいのに、迂闊に抱いてしまったらきっと、滅茶苦茶にしそうで怖い……」
思い出したいのに、思い出せない。掴めそうで掴めない記憶――大事な人なのにどうして、俺は忘れてしまったんだろう?
横たわっているすおー先生が、俺の頭を引っ張って、自分の胸元に押しつける。少しだけ早い鼓動が、煩いくらいに耳に聞こえてきた。
「このままお前の記憶が戻らなくても、俺は構わないと思ってる」
「えっ!?」
少しだけ、すおー先生の鼓動が早くなった。
「今のお前が俺のことを、好きになればいいだけの話だ。またはじめから、やり直せばいい」
「やり直す?」
「ああ……今度は俺が、お前を落としてやる。俺なしではいられないくらい、溺れさせてやるから、覚悟しておけ!」
ぎゅっと身体を抱きしめたと思ったら、力任せに回転させ、ベッドに張り付けにされた。見下ろしてくるすおー先生の瞳が、今にも俺を食いそうな獣に見える。
狙い澄ました目が怖すぎて何も言えず、呆然と見つめるしか出来ない自分。
「優しい歩もいいけど、大人ぶって強引な歩もよかったよ。憎らしいほど、惹かれてしまう……」
壮絶なほど綺麗な顔が近づいてきて、寂しげに薄く笑うと、優しいキスをしてきた。
互いの唇が重ねるだけの行為――柔らかい唇が俺の気持ちを掴むように唇を包み込み、そこから貪るようにちゅっと吸われる。
何となくだけど、なくなった記憶が引きずり出されそうな感じ――
身体は覚えてるんだ、この人のキスを知ってる。さっきから胸がドキドキしっぱなしで、ずっと高鳴り続けているから。
震える両手を、目の前にある身体に近づけたけど、ふっと空を掴んだ。
すおー先生の身体を抱きしめ返して、そのキスに応えたいのに、思い出せない俺は躊躇してしまう。この人が求めているのは、愛しい人の記憶がしっかりある、優しい俺なんだ。
(今の、俺じゃない――)
どうにも辛くなって、すおー先生の両肩を押し退けたら、あっさりと身体を離す。だけど視線を外さず、切なげな表情をそのままに口を開いた。
「頭を悩ませるように無理して、俺のことを思い出さなくていいから。とにかく今は、ゆっくり休みなさい。分かったな?」
まるで子どもに言い聞かせるみたいに告げてから、オデコにそっとキスをして、さっさと帰ってしまう。
取り残された俺はやるせなくて、ベッドの上で暫くの間、呆然としたままでいたのだった。
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