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この恋すいーつ6

***  結局、周防小児科医院まで、迷うことなく歩いて来てしまった。ここまでの道のりを、頭がしっかりと覚えてる。というか…… 「ここに来るのが、当たり前って感じに思えたな。習慣ってすげぇ」  そんな自分に驚きつつ、ドキドキしながら病院の扉を開いた。靴からスリッパに履き替え、恐るおそる中へ入ると。 「あっ、太郎のお兄ちゃん! 今日は会えたね」  待合室にいた子どもがひとり、俺に向かって走ってやって来た。残念ながら、誰か分からない。どうしよう―― 「お、おぅ。こんにちは! 元気そうだな」  内心おっかなびっくり。妹よりも小さいコの面倒なんて、ちゃんと見れるのか!?  わーいと足元に抱きつかれ、おどおどしてると、他の子どもたちも傍にやって来てしまい、うわぁとパニックになる。 「太郎のお兄ちゃん、今日はどんなの着てくれるの?」 「へっ!? どんなのって……」 (もしや、あの着ぐるみのことだろうか?) 「僕はワンコがいいなぁ。背中に乗って遊びたい」 「私はうさちゃんがいい! 可愛いもん」 「え~っ、にゃんこも可愛いよ!」  唖然呆然とするしかない。俺ってば、ここで何をやってんだろ。 「あらあら大変。大丈夫、太郎ちゃん?」  倒れたときに傍にいた、おばちゃん看護師さんが声をかけてきた。 「あの、はい。何とか……」 「みんなゴメンね。太郎ちゃん今日は、ちょっと用事があるから、また今度にしてあげて」  みんなの頭を撫でつつ、上手いこと俺を連れ出してくれる。  処置室と書かれたところに案内され、気さくに肩を叩かれた。 「周防先生から話は聞いたわ。あのときからの記憶が、一部分だけなくなっているって。大変だったわね」 「はい、すみませんでした。倒れたときバタバタして、お礼言えなくて。しかも記憶がなくなって、すげぇ失礼な態度をとっていたと思います」  いろんな申し訳なさを込めて、しっかりと頭を下げる。 「いいのよ、そんなこと。太郎ちゃんは太郎ちゃんだもの。歩くんって言ったほうが、いいのかしらね」  さっきの子どもたち同様に、頭を撫でてきた。それだけなのに、ものすごい安心感が芽生えてくる。不思議な人だな。 「今までどおりでお願いします。そのほうが何だか、思い出せそうな気がするので」 「分った、遠慮なく同じように呼びますね。でも無理しちゃダメよ。案外焦らないほうが、ひょっこりと思い出すものだから」 「そうですね。気長に過ごしてみようと思います」 「周防先生の自宅、2階にあるんだけど、冷蔵庫にオヤツを入れてあるから食べるといいわ。そこの廊下を真っ直ぐ進んだら、階段があるから」  指を差して丁寧に説明をし、処置室を出て行くおばちゃんに、もう一度頭を下げてお礼を言った。  言われたとおり階段を上がって扉を開くと、見慣れないリビングがそこにあり、思わず面食らう。 「俺が勝手に入っていいんだろうか。まるで泥棒の気分……」  オヤツに釣られて入ったとはいえ、他人の家なのだ。他人だけど一応、恋人の家だったりするワケで。  ドキドキしながらあちこち見渡して扉を開け閉めし、勝手に見て回ってしまった。 「意外と小奇麗にしてるよな。すおー先生の、見たまんまのイメージって感じ」  医者っていう職業だからか、清潔感のある色使いがされてる家具や小物、使いやすい物の配置なんて、見習いたいくらい。  そして意味なく、寝室の中をじーっと眺めてしまった。 「俺はここできっと……あの人のことを――」  ドキドキしながら想像してみたけれど、残念なことにぜんっぜん思い出せない。ちょっとした映像くらい、気を利かせて流してくれてもいいのに。 「自分にとって大事なことが、ぜーんぶ思い出せないのが、マジで悔しいよな」  印象に残らないワケがないんだ。なのに俺ってホント馬鹿。  ガックリと肩を落して、その場を立ち去ろうとしたら、いきなり後頭部を容赦なく叩かれる。  ばこんっ! 「あだっ!?」 「何、人の部屋を勝手に覗き込んでるんだ。金目のものはないぞ」  腰に手を当てて俺を見上げる、すおー先生が後ろに立っているではないか! 「ごめっ、つい……その何か、思い出せそうな気がして」 「お前の頭じゃ無理な話だな。せいぜい卑猥なことでも、アレコレ考えてたろ」  ギクッ! ∑(*゚ェ゚*) 「……その顔は図星だね。困ったヤツ」  言葉は文句なのに、口元が何だか嬉しそうに見えるのは、気のせいなんかじゃない。  身を翻して出て行こうとする、すおー先生の腕を掴んだ。 「あ、あのさっ」 「何だ? 俺の休憩時間は15分だけなんだ。お前に割く時間はないんだよ」 「抱きたいんだっ」  いきなり口走ってから、ハッとして掴んでた手を離す。顔面蒼白じゃなく、猛烈に真っ赤だと思う。 「やっ、えっとあの。深い意味じゃなくって、あー……もぅ。ワケ分かんねぇ////」 「……分かったよ、好きにすればいい。来い」  俺が言ったことをそのまま飲み込んだのか、目の前をさっさと通り過ぎ、ベッドに横になって、(*・`ω´)∂゛くいくいっと誘ってくる。 「ただし、さっきも言ったように俺の休憩時間は15分。延長はなしだから」 「はっ……はぃ」  休憩時間だからか、いつも着ている白衣がない姿を、ちょっとだけ残念に思いつつ、遠慮なく跨って恐るおそる抱きしめてみた。  すっげぇ興奮してるのに、すおー先生のニオイを嗅ぐと、何だか落ち着いてくる。   「はぁはぁ……あの、触ってもいい?」  落ち着いてくるとはいえ、やっぱこの状況は興奮するワケで。ただ抱きしめてるだけじゃ、物足りないのである。  俺の吐息が肌にかかるたび、右側の跳ねた襟足の髪がピクピク揺れて、感じてるのを伝えるアンテナみたいになっていた。  ――ああ、すっげぇ可愛い。 「……触るって、どこをだよ?」  ちょっと困ったような、声の響き。そりゃそうだよな。 「大丈夫っ、変なトコ触らないし。上半身だけ!」 「変なトコって、お前……バカっ////」  その途端、触れ合ってる部分が一気に熱をもったのが、じわじわっと伝わってきた。  横目ですおー先生の顔を見たら、長い睫を伏せてあっちを向いて、頬を真っ赤に染めているではないか!  どうしてくれよう……こんな顔されたら、変なトコも一緒に触りたくなる! 「耳元で、ハァハァ煩いぞバカ犬。落ち着けって」 「おっ、落ち着いてる。ただちょっとその、すおー先生の顔が可愛すぎるのが罪っていうか、何て言うか」  起き上がり、目の前にあるシャツのボタンを震えそうになる指先で、ひとつひとつ外していくと、そっぽ向いたまま視線だけで、ジロリと俺を睨んできた。 「可愛い顔をしてるつもりはない。ただ、真昼間からこんなことをしてるのが、どうにも恥ずかしいだけだ。そんな顔して、じっとこっちを見るな!」  ううっ、何を言われても、許してしまえる可愛さがある。  最後のボタンを外し、いそいそとシャツをめくったら、白い肌が目の前に現れた。  綺麗なラインをしている鎖骨や、ちょっとだけ陥没気味の乳首とか、ほっそりとした脇腹……  ――今の俺には、全部眩しすぎる!  触るって言ったけど、どこから触ったらいいか困ってしまい、両手を空中に彷徨わせたままのバカすぎる俺に、すおー先生は苦笑いをする。 「何をやってんだ。時間がなくなるぞ」  そうなんだよ、時間制限があるのに! 「あのさっ、うつ伏せになってくれない? 触るついでに、マッサージしてやるよ」  すおー先生の上半身を見てるだけで正直なトコ、触るだけでは終わらなくなりそうだったので、あえてうつ伏せを提案。その白い肌に口をつけたくて、無性に堪らなくなってしまった。 「分った。よいしょっと」  言われたとおり、うつ伏せになりこっちを窺うように見る。その視線が色っぽいのなんの……泣きボクロのせいだろうか。  襟足の跳ねた髪も一緒になって、可愛さに余計拍車がかかっていた。きっと俺は、この人のこの角度から見る横顔が好き。だと思う。 「ううっ……」  そう考えただけで何だか、鼻の奥がツンとして切なくなってしまった。  マッサージすると言ったのに、思わずその背中を抱きしめてしまう。そして頬をすりすりした。  このニオイも体温も滑らかな肌も、全部好きだと思う。 「まったく。記憶が合ってもなくても、やってることが一緒だぞお前」 「そう、なの?」  いつもの俺なら、迷うことなく手を出している。だけど、すおー先生がすっげぇ上物すぎて、どうしていいか分からないのだ。俺ってば翻弄する立場なのに、すっかり翻弄されまくり。  俺の呟きに応えるように、こっちを見ている瞳を細め、色っぽく見える唇の口角を上げた。 「それって、俺のことが好きってことで、いいのか?」 「それは、その……////」  この胸の疼きは間違いなく、それを表している。だけどそれを安易に口に出せないのは、記憶のない俺がすおー先生に言っちゃいけない気がするから。  抱きたいのに抱けないもどかしさ同様に、ほとほと困ってしまう。 「こんなことまでしておいて、言ってくれないのか。お前ってば酷い男」  はーっとため息をついて、跨ってる俺を力任せに突き飛ばし、脱ぎ捨てられたシャツを、さっさと着込んでしまった。 「悪いけどタイムリミットだから。オヤツを食べて、勉強しておきなよ」    ガシガシッと頭を撫でて部屋を出て行く後ろ姿に、下唇を噛みしめた。 「――よかったな」 「へっ!?」 (どこがだよ……) 「後頭部のタンコブがなくなって。俺がさっき叩いて、お揃いを作ってやろうとしたのにさ。残念だった」  こちら側に振り返り、小さく笑って肩を竦める。その笑みですらドキドキした。 「俺が戻ってくるまでに、ちゃんと勉強しなよ。出かけるからさ」 「出かける?」 「そ、約束の場所に」  静かに閉じられた扉に、ぼんやりするしかない。約束の場所って、どこなんだろ? 「ちょっとだけ寂しそうな顔してたのも、何気に気になる」  とにかく一緒に出かけるべく、言われたとおりにちゃんと宿題をしなきゃな。  乱れてしまったベッドを元に戻して、まっすぐキッチンに行き、冷蔵庫からプリンを取り出す。 「……プリン。なぁんか胸の中が、モヤモヤするものがあるんだけど」  しかめっ面をしながら、手作りプリンを頬張る歩。  その一方で、診察室にいる周防先生は―― 「……やっぱり、思い出してはくれないよね。俺の魅力が、足りないせいなのかな」  机に突っ伏して、反省しまくっておりました。  さてさて、この先のふたりは一体、どうなってしまうのでしょうか?

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