5 / 64

第5話

俺がしてたキスってなんだったんだろ。 脳内に響く唾液の絡まる水音に溶けていく理性の端でそう思う。 キスは智紀さんが俺の腰を引き寄せて密着することでさらに深くなって。 「……っふ……ん……っ」 息継ぎの合間から漏れる声が誰のものか信じたくない。 それに―――。 「……ん…っ!」 ゆっくりと股間に這う手に―――自分が反応してることを知る。 な……んで。 羞恥と―――快感。 おかしい、って思うのにズボン越しに触れるだけで身体が震える。 舌を吸い上げられるたびに意識が揺れて智紀さんにしがみついてしまう。 ―――忘れられ……る? そう思った瞬間、身体が急に解放された。 すばやく軽く耳朶を噛まれて、低い声が響く。 「先、戻ってるね」 え、なに。 反応する間もなく智紀さんは俺を残してトイレから出ていった。 呆然としてると入れ換わるように入ってきた客。 洗面台に手をついて立ち尽くす俺に不審そうに視線が向けられて我に返った。 さりげなさなんて装えてなかったと思う。 慌てて個室に入って鍵を閉めた。 ドアに背をつけてそっと溜息をつく。 でも心臓はありえないくらい鼓動が激しくて目眩がした。 どう考えてもおかしいだろ、俺。 なんで反応してるのかわからない。 ぐるぐる頭の中がパニクってまわる。 席に戻って智紀さんの顔を見るのが怖かった。 俺はとんでもない男に捕まってしまったんじゃないのかと気づく。 なのに身体が疼いて心が揺れた。 ――痛みを忘れるために別の痛みを。 普段なら迷うことなんてしないのに。 きっと……酒のせいだよ……な? しばらく俺は身体が落ち着くのを待って――― 智紀さんのところに戻った。 *** 「……あの、ここって大丈夫なんですか」 ついさっきタッチパネルで部屋を選んだ智紀さんのあとについて、エレベーターの中。 最上階に向かうここは歓楽街の一角にあるラブホテルだった。 「大丈夫って?」 なにが、と智紀さんは不思議そうに首を傾げる。 「……その男同士で入って」 確か前、ラブホテルには男同士では入れないって聞いたことがあった。 「ああ、平気だよ。ここ同性でも利用オッケーなところだから。それとも普通のホテルがよかった? 御希望ならスイートとるけど?」 「え、いや……大丈夫です」 「そう? 今日は急だったしね、こういうところがいろいろ揃ってるから、ね?」 この場に不似合いにも思えるくらいの爽やかさ。 でも言葉の内容自体はそうでもないよな。 いろいろ揃ってる、のいろいろってなんなんだろう。 いや、それより、俺なんでここにいるんだろう。 二軒目の居酒屋で、あのトイレで智紀さんにキスされて。 あり得ないことに俺はそれに反応してしまっていた。 鈴以外の女に興味さえもてないのに、なんで男であるこの人に誘われるままこんなところまで来てしまったんだろ。 エレベーターが最上階で静かに止まる。 俺とは違って迷うことなく足をすすめていく智紀さん。 どこまでも余裕な雰囲気はかわらない。 その笑顔も。 「ちーくん」 ドア、閉まるよ。 可笑しそうに笑いながら智紀さんがエレベーターに残ったままだった俺の手を引いた。 「……すみません」 そのまま手は繋がれて部屋まで行く。 男と手を繋ぐなんて小学生とか幼稚園とかそんなとき以来じゃないか? 指と指を絡めた恋人繋ぎってやつで部屋へと連れて行かれる。 ラブホテルなんて数回しか来たことない。 ドキドキと心臓がうるさいのは不安と緊張と後悔。 カードキーで部屋の鍵を開ける智紀さんに引っ張られて中に入る。 足を踏み入れた瞬間、後悔する――と同時にそれだけじゃないよくわからない感情が"帰る"っていう選択を押しとどめる。 部屋に入って智紀さんの手は離れていった。 一人進んでいくその背中を立ちすくんで見た。 ついては来たけど、必ずそういう行為をすると決まったわけじゃないし。 そんなありえないいい訳を考えながらゆっくり智紀さんのあとを追った。 VIPルームらしい部屋はモダンインテリアでシティホテルとは違うけど、オシャレで広くて綺麗だった。 リビングと寝室にわかれているらしい。 寝室はやたらと大きなベッドがドンと置かれていた。 そして風呂はめちゃくちゃ広いし、そのうえに露天風呂まであった。 外に設置されたジャグジー風呂に驚いてたら後ろから声がかかる。 「先にお風呂入る?」 背広はもう脱いでいてネクタイを緩めながら智紀さんが目を細めて俺の肩に手を置いて外を覗き見る。 「……えっと」 「ちーくんはさ、温泉とか苦手な人?」 「え……。いや、平気です」 俺が言うと智紀さんは「よかった」って満面の笑顔を浮かべた。 「じゃあ一緒に入れるね」 「はぁ………エッ!?」 「えっ、って、だって男同士だし恥ずかしいことないでしょ」 まるでやましいことなんかないように言われたら―――頷くしか、ないのか? 智紀さんは外に出てジャグジーにお湯を溜めだす。 ラブホテルに来た時点で覚悟を決めなきゃいけないんだろうけど。 ……いきなり一緒に風呂はハードル高くないか。 「まぁでも並んで身体洗うのも微妙だし、俺が先に入るから、ちーくんはあとで入っておいで」 洗い場は内湯のバスルームにだけだ。 少しだけでもタイムラグがるのならそっちがましだし。 鼻歌歌い出す智紀さんに対して俺は身体が固まったように動けなかったけど。 それでも目が合うと一瞬俺を絡め取るような眼差しを向けた智紀さんに、逃げだしたいのと同じくらい、身体の奥が疼くのも感じた。 ネクタイを外した智紀さんは俺がいるにも関わらず服を脱ぎだした。 予想外にバランスよく筋肉がついた締まった身体つきに思わず見てしまう。 それは変な意味じゃなくて、同じ男として羨ましいなって見惚れただけだ。 「やっぱり一緒に洗いっこする?」 からかうように笑われて、慌てて脱衣所から出た。 リビングに戻ってソファに座ってテレビをつける。 『……っあん、ぁあ!』 「……」 ドラマで見たことあるようなお約束のように流れてきたAVにリモコンを探してチャンネルを変える。 AVはさすがに見たことあるし、別にビビったりはしない。 けど――風呂までいまの聴こえてないかなというのは少し心配だった。 だってひとりで見てたら智紀さんに絡まれそうな気がするんだよな。 それにしても……ラブホ、だよなぁ。 ベッドがないからつい忘れそうになるけど……大人の玩具の自販機もあるし。 メニュー表を開けてみればレンタルコスプレだのなんだの乗っていて、やっぱりラブホだなと実感した。 ――鈴もいつかはこういうとこに来たりするんだろうか。 彼氏が出来て、もう鈴は"女"になってしまってるけど。 考えなきゃいいのに、考えるまでもなくそんなことが頭の中を埋め尽くしていく。 一生告げるつもりのない気持ちを封印したはずなのに、気を抜くとあっけなく蓋は開いてしまう。 ため息ひとつついて冷蔵庫からビール取り出して飲んだ。 プロ野球ニュースを眺めながら余計なことを考えないようにする。 試合結果だけを目で追ってたら、考えなさ過ぎて突然聴こえて来た声にびくりとしてしまった。 「ちーくーん」 心臓がばくばく速くなる。 視線を向けると脱衣所のドアから智紀さんが顔をのぞかせていた。

ともだちにシェアしよう!