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第38話

「御馳走様」 「いえ」 ファミレスを出たのはもうすぐ10時になりそうなころだった。 暖かい店内から出ると寒さに身ぶるいしてしまう。 首をわずかにすくめスマホを眺めポケットにしまう智紀さんに視線をとめた。 智紀さんが顔を上げ目が合いそうになるところで少しだけ逸らす。 平日だというのに夜の街並みは人が多い。 人の流れを見ながら俺は落ち着かない気持ちを持て余していた。 「ちーくん」 「……はい」 「本当美味しかったよ。ちーくんが会いにきてくれて嬉しかったな」 「……いえ。ホワイトデーだし」 今日は―――平日だ。 明日は智紀さん仕事だし、もうすぐ10時。 明日のことを考えるならここで解散するべきだよな? 「ホワイトデーがこんなにいい日だなんて初めて知ったよ」 「はぁ」 「ちーくん」 「……なんですか」 「ホワイトデーあと二時間あるけど、付き合ってくれる?」 「……明日も仕事じゃないんですか」 視線を感じてようやくさりげなく合わせる。 俺っていつからこんなにヘタレなんだっけ。 ヘタレっていうかなんか―――。 「俺若いから平気だよ」 「でも最近忙しいみたいだし疲れてるんじゃ」 「千裕」 勝手に気まずさを感じてる自分に内心ため息がでる。 智紀さんは相変わらず一見爽やかな笑顔を浮かべているけど、俺を見つめる目はからかいを含んでいた。 「……」 「NOって言わないってことは俺さえよければイイってことだろ?」 言葉につまる。 実際そうで。でも馬鹿みたいだとわかってはいても素直に頷けない自分がいる。 「……ホワイトデーだし」 「ホワイトデーだね。じゃあ、ちーくんにたくさん御奉仕してもらおうかな」 「……は? あの智紀さ」 「千裕。寒いし行こう?」 俺の言葉を遮り、智紀さんの手が俺の手をとった。 冷えた指先が暖かさに包まれる。 ギュッと指先を握りしめられて引かれる。 ―――今日はホワイトデーだから。 なんていう事実だけど言い訳じみた言葉を胸の内で呟きながら、 「奉仕なんてしませんから」 それだけ何気ないそぶりで言って歩き出した。 小さく笑う気配がしたけど、それは聞こえなかったふりをした。 *** ―――明日大丈夫なんですか、本当に。 ―――大丈夫大丈夫。スーツの替えとか会社に置いてあるしね。 そう言った智紀さんに連れられてきたのはラブホテルじゃない普通のビジネスホテルだった。 よく利用するのか慣れた様子で入っていく部屋。 予想していたよりも広い室内はセミダブルのベッドがふたつくっついているハリウッドツイン仕様になっていた。 「ホワイトデーだからラブホテルって多そうかなーと思ってさ」 普通のホテルを選んだ理由を言いながら智紀さんはごく自然にっていうか、さも当然というように俺をベッドに押し倒した。 「日本人ってイベント好きですからね」 「俺も大好き」 にっこりと俺に微笑んで見せる智紀さんに苦笑が漏れる。 出会って三カ月。 正月に再会してからわりと―――会っていると思う。 こうして押し倒されることに慣れてしまうくらいには。 「好きそうですよね。バレンタインも派手だったし」 まさか男から花束やチョコを貰う日がくるなんて思ってもみなかった先月の同じ日。 唖然とする俺はわけがわからないままホテルに拉致られた。 あの日もラブホテルじゃなくて普通の―――ただジュニアスイートくらいの部屋だった。 『あの……俺、男ですけど』 『平気平気』 なにが"平気"なのか答えになっていない気楽な口調でベッドに沈められたバレンタインのことは一カ月経ったいまも鮮明に思い出せる。 なんせチョコもらったのは俺だけど結局食いつくされたのは俺だったわけだし。 「花束差し出したときのちーくんの顔面白かったなー」 「……あたりまえじゃないですか。俺、男ですよ」 「男とか女とか関係ないよ。あげたいなって思ったから贈ったんだから」 特別な子にはそう思うでしょ、とさらりと言われて俺はどう反応すればいいのか。 この人のことだから俺の反応を見て楽しんでいるだけだろう。 歯の浮くようなセリフも言い慣れてしまうくらいには遊んでいるだろうし。 だからあまり深く考えないようにはしている。 「そうですか。……それより上着脱がないんですか? 皺になったら」 「ちーくんが脱がせて」 「……」 押し倒したくせに起き上がらせて「はい」と軽く両手を広げる。 子供かよ、とツッコミたいけどそうしたところで絶対変なこと言ってくるような気がするから黙って上着を脱がせてあげた。 ネクタイに指をかけて緩めた。 俺の動きを追う視線。 「ちーくん」 「なんですか」 その眼差しが段々と欲を孕んでいっているのがわかる。 「ちーくんの指食べたいな」 ネクタイを引き抜く俺の手を掴んで妖しく智紀さんが口角を上げる。 「……変態くさいんですけど」 いつもながら、と言えば、男なんてそんなもんだろ?、なんて返されて指先を食まれた。 指一本だ。 たったそれだけ咥内に含まれて舌が這う。 なのに指先から疼くように刺激がじわじわと身体中に広がっていく。 食べる、っていうか、フェラされてるような感覚。 この人といると認めたくないのに、身体中のどこだって性感体になるんだって思い知らされる。 「……っ」 指だけだろ、って堪えるけど少し吐息がこぼれてしまったら目があった。 楽しそうに眇められる目から視線を逸らしたいのにできない。 「千裕」 濡れた指先を軽く噛まれて恋人繋ぎってやつで指絡められて引かれて、距離が狭まる。 「今日ホワイトデーなんだよね? だったら千裕からキスしてほしいな」 ダメ? と、甘く囁く声。 出会ってまだ三カ月なのか、もう、なのか。 「それくらいなら……いいですよ」 あまりハードル高いのは無理ですから。 と、返す俺。 えーそうなの、残念―――と笑う智紀さんに顔を近づけて形のいい薄い唇を塞いだ。 敵いはしないだろうけど、出会ったころよりも多少成長しているだろうってくらいには―――この人とのキスの仕方を俺は覚えてしまっていた。

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