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 ―― 身体と愛と涙味の……(31)

「……透さんだって……」  やりきれない思いが一気に押し寄せてきて、声が震えてしまう。 俺は唇を噛み締めて、透さんを見上げた。  背中を向けて服の乱れを整えていた透さんが、ゆっくりと俺の方へ振り向いて……、それで漸く目が合った。 「……俺が、何?」  透さんの暗く冷えた眼差しと、抑揚のない冷めた声に、俺の心も凍りついていく。 「俺の事、好きでもないくせに……ッ」  本当はこんなこと、言いたくなかった。  自分の言った言葉に、胸が締め付けられる。  この感情が、怒りなのか、哀しみなのか、自分でも分からなかった。 「他に好きな人がいるのに、俺を抱いたくせにッ」 「……他に好きな人って?」  透さんは、一瞬考えるように眉根を寄せる。 「……いつも一緒にカフェに来ていた綺麗な人だよ! もう彼女は結婚したのに、まだ写真を部屋に飾ってて、昨日は腕を組んで歩いていたし……ッ」  そこまで言って言葉が続かなった。 堪えていた嗚咽が漏れてしまいそうで。   ほんの数秒、二人の間に重い沈黙が流れた。  その空気を先に破ったのは、透さんだった。 「……直くん、あの子はそんなんじゃ……」 「だからっ!」  言い訳とか訊きたくなくて、なんか怖くて、気が付いたら透さんが言いかけた言葉を遮るように叫んでいた。  もう何がなんだか分からなくなってきて、さっき見た透さんの冷たい瞳で、これ以上何か言われるのが堪えられなくて。  俺はきっと臆病なんだ。 子供なんだ。 だから……もう……。  携帯を取り出して、透さんの連絡先を表示させる。 「……俺、もう、連絡しないっ、もう透さんには会わないっ、」  透さんの目の前で 表示された連絡先を削除した。続いて受信履歴も全部消していく。  携帯を操作する俺の頭の上で、……わかった……と、小さく掠れた声が落ちてきた。  ***  透さんが、コートを羽織り身支度をしているのを、俺は俯いたまま気配だけを追っていた。 「……ごめんね、直くん」  玄関で靴を履くと、俯いたままの俺に透さんは静かに声をかけてきた。 「帰るね」  ドアのノブを回す音に、(ああ、行ってしまうんだ)って胸が苦しくなっているのに、顔を上げることも出来ないでいる。  外の喧噪が小さく聞こえてきて、ドアが少し開けられたのが分かる。 「直くん、最後に誤解だけは解きたいから言わせてね」  さっきまでの冷めた声じゃなくて柔らかい声音に、縋り付きたい衝動を抑えて、更に俯いてしまう。 「……いつも一緒にカフェに行っていたのは、俺の妹だよ」  ――え……?  聞き間違えたのかと、思わず顔を上げて、ドアから出て行く透さんを目で追った。  最後に俺の目に映ったのは、閉まる寸前のドアの隙間から見えた、透さんの憂いを含んだ瞳。  パタンと音を立ててドアが閉まってしまう。  立ち上がって、追いかけて、『今、なんて言ったの?』って、透さんの腕を掴んで引き留めたいのに……。  透さんの靴の音が階段を下りて段々小さくなっていくのを、俺は身動きもできずに、ただ耳で追っていた。 「ズボン……穿かなきゃ」  下半身に何も付けていない状態に、乾いた笑いが込み上げてくる。  立ち上がるとシンクに洗いかけの苺。 「一緒に食べようって思ったのに……」  ひとつ摘んで口へと運ぶ。 大振りの苺は一口では食べれない。  歯をたててかじると、甘い果汁が頬に飛んだ。 「なんかこの苺、しょっぱいよ、透さん」  指で摘んだ食べかけの残りを、口の中へ放り込む。  ポタポタと水滴が頬を伝って、シンクの中に落ちていった。  あれ?  俺、なんで泣いてんの。  哀しくなんてない。  哀しくなんてない、のに。  ―― 透さんに貰った苺は、涙の味がした。

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