190 / 351
―― Moonlight scandal(14)
「透さんが、どう言ったのか知りませんけど、婚約の話はなくなったりしていません」
—— 婚約の話はなくなってない?
その言葉に、俺は呆然としてしまう。
「透さんは、あちらの会社を勝手に退職してきてしまったようですけど、美絵さんのお父様は寛大な方ですから、そんなことがあっても、予定通りにうちの社との業務提携のお話も決まっていますし」
—— それで、透さんと美絵さんが一緒になれば、こんなに良いお話は、ありませんでしょう?
そう続けられた言葉は耳には届いているけれど、それを頭で理解することが出来ない。
美絵さんはお母さんの隣で、少し俯き加減で頬を染めている。
…… そんな……。 でも透さんは絶対結婚なんてしない……。 だって透さんは……。
今の透さんには、そんな気持ちは絶対無い筈だって、信じてる、信じてるけど……。
なのに、何故か心が痛くて、膝がガクガクと震えだしていた。
その時、玄関のドアが開く音がする。
―― 透さんだ…… !
透さんが帰ってきたのが分かってるのに、膝の震えが治まらなくて、立ち上がることが出来ない。
「ただいま」と言う声と、リビングのドアが開く音に、椅子に座ったまま上半身だけ振り向くと、リビングのドアを開けて入ってきた透さんの驚いた顔が見えた。
「お、かえりなさい」
なんとか出せた声も少し震えている。 そんな俺に、透さんは少し微笑んで頷いてくれて、それから二人の方に視線を向けた。
「…… お久しぶりです。今日は、どうされたんですか?」
透さんの言葉に、美絵さんが頬を赤く染めながら、
「お帰りなさい透さん、お留守にお邪魔しています」と立ち上がって、可愛く微笑んで会釈する。
「どうされたんですか? は、ないでしょう? 透さん」
お母さんは微笑んでいるけれど、少し怒った口調で、そう言いながら、立ち上がった。
「先日、電話した時に、お父様が入院されたことを伝えた筈なのに、お見舞いにも行ってないらしいですね?」
—— え?! お父さんが入院?
お母さんの言葉に、俺は驚いたけど、透さんは表情を崩さずに、「はい」と頷いて、「ただの検査入院と訊いていますので」と続けた。
「電話でも話しましたけど、週末の提携記念のパーティーには、お父様の代わりに出席してもらわないと困りますよ。」
…… 週末?パーティー? 何のことだろう…… と、考えているとお母さんの視線を感じた。
俺は関係ないのに、ここにいたら不味いような気がしてくる。
「…… あ、あの透さん、俺、帰った方が……」
荷物を取りに行きかけると、透さんに腕を引かれる。
「…… いいよ、直くん。 話は直ぐに終わるから」
「…… でも……、」
—— お母さんの視線が怖いよ。
「そうね、申し訳ありませんけど、今日は帰っていただけないかしら。 美絵さんもいらっしゃることですし、透さんと一緒に夕食でもと思って、迎えにきたんですよ」
—— 美絵さんもいらっしゃる事ですし……。 と言う言葉が、胸に突き刺さる。
絶対に透さんは婚約しているつもりは無いと、信じているけど、それでも、このままこの場に居続けると、心が砕けそうな気がしていた。
「お、俺、今夜は帰るから、また連絡して」
それだけ言うと、俺は一礼してリビングのドアを開けて玄関へと走った。
「直くん! 待って!」
靴を履いて、玄関のドアノブに手をかけたところで、後ろから透さんに腕を掴まれた。
ともだちにシェアしよう!