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 ―― 幸せのいろどり(65)

「…… 透さんだって……、」  衣服を整えていると、後ろから直くんの押し殺したような声が聞こえてきて、振り向けば、涙をいっぱいに溜めた大きな瞳と視線が合った。 「…… 俺が、何?」 「俺の事、好きでもないくせに…… ッ」  今にも泣き出しそうに顔を歪ませながらそう言って、直くんは俺から目を逸らした。 「他に好きな人がいるのに、俺を抱いたくせにッ」  投げつけるように放たれた声は、怒りでなのか震えている。 「…… 他に好きな人って?」  ―― 他に好きな人?  婚約者のことを言っているのだろうか。  直くんは、俺の婚約のことを知っていたのだろうか。  でも、直くんの他に好きな人なんて…… 俺にはいない。 俺が好きなのは、直くんだけだよ。 ―― そのことを言いたくて、君に逢いに来たのに……。  だけど、喉まで出かかっているのに言葉には出来ない。  激情にまかせて酷い抱き方をしてしまった俺に、そんなことを言う資格はないから。 「…… いつも一緒にカフェに来ていた綺麗な人だよ! もう彼女は結婚したのに、まだ写真を部屋に飾ってて、昨日は腕を組んで歩いていたし…… ッ」  それは、俺にとっては、思いもよらない誤解だった。 直くんが、そんなことで悩んでいたなんて。  あまりにも予想外のことに俺は言葉に詰まってしまって、すぐに口を開くことができずに、気まずい沈黙が流れた。 「…… 直くん、あの子はそんなんじゃ……、」 「だからっ!」  言いかけた言葉は、遮られる。  直くんは、携帯を取り出して操作して、その画面を俺の方に向けた。 そこに表示されていたのは、俺の連絡先。 「…… 俺、もう、連絡しないっ、もう透さんには会わないっ、」  そう言って、全てを消していく。  連絡先だけでなく、今までの履歴も全部。   直くんが操作する携帯の画面の上に、涙が静かに一粒落ちたのが見えた。  それが…… 終わりの合図のようにも思えた。 「…… わかった……」  俺には、ただ、それだけしか言えなかった。  激情のままに乱暴に抱いて、冷たく放ってしまった言葉も何もかも、直くんが傷つくのを分かっていて、俺は……、身体よりも直くんの心を犯した。 ―― 赦されなくても仕方ないことだと思う。  ***  コートを羽織り、乱れた髪を手ぐしで整えて、身支度をしている間、直くんは床に座り込んで俯いて、此方を見ようともしない。  ―― 泣いているんだろうか。  思わずその髪に指を伸ばしそうになるのを堪えて、俺は玄関に向かい靴を履いた。 「…… ごめんね、直くん」  俺の声に少し反応したけれど、まだ直くんは俯いたままで……。 「帰るね」  ドアのノブに手をかけて少しだけ開くと、もうこれで逢えないのだという思いが込み上げてきて、胸が苦しくなる。 「直くん、最後に誤解だけは解きたいから言わせてね」  今更、そんなことを言っても、何も変わらないのは分かっているけれど。 「…… いつも一緒にカフェに行っていたのは、俺の妹だよ」  それだけ言って、ドアを大きく開けて外に出て、未練を振り切るように前を向いたまま、ドアを閉める。  だけど……。  ドアが閉まる直前に、堪え切れずに振り返ってしまった。  隙間から、此方を見る直くんの顔が見えて…… 思わず閉まりかかったドアノブに、手をかけそうになるけれど……。  パタンと音を立てて、目の前で閉まったドアに、掌をあてることしか出来なかった。

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