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初恋と嫉妬

抑制剤が効いているおかげで、その日の夕方まで、無茶な発情は起こらずに過ごすことができたので、幸弥は安堵していた。 日も暮れてきて、窓の外も幾分暗くなってきた頃、車のエンジン音が聞こえてきたので、窓から覗いてみると、時政の車がガレージに駐車しているところを確認できた。 発情期が始まってから、一度も時政と顔を合わせていなかった。実際はそんなに長い時間ではないが、なんだか妙に久しぶりのような感覚だ。 しかし、幸弥は時政にどんな態度で接して良いか不安であった。 幸弥に自分と番になることを時政は望んでいるが、今の幸弥には、本物の運命の番と思われる英臣が現れてしまったのだ。 幸弥は英臣に惹かれているが、同時に時政のことも放っておけなかった。英臣を想うと、必ず時政の存在も現れてくる。 その時政に対する感情は決して悪いものではなく、愛情と呼んで間違いではないと思われるものであった。このどっちつかずの感情を早くハッキリさせたいとは思っているが、幸弥の心は揺らいだまま確定されずにいた。 とりあえず、こもりっきりもなんだと思い、家の主人である時政を出迎えに行った方良いだろうと、幸弥は玄関の方へと向かって行った。 それに顔を合わせて話をすれば、何かしら気持ちに進展が見られるかもしれないとも思っていたので、不安ながらも早く時政に会いたかった。 玄関に着くと、ちょうど時政が家に上がり、こちらに向かってくるところで、前から向かってきた幸弥を見つけ、軽く微笑んでみせた。 「英臣から聞いた。発情期に入ったみたいだな、身体の具合は大丈夫なのか?」 「おかえりなさい時政さん。良い抑制剤を用意してもらったおかげで、だいぶ身体は楽ですよ」 「そうか、それは良かった。だが、あまり無理はするな」 時政は幸弥の肩に手をおき、愛しいものを見る瞳で幸弥を見つめていた。 幸弥の方もその優しく視線に心地よさを感じながらも、照れてしまい、見つめ返すことができずに顔をうつむかせてしまった。 少し遅れて英臣が玄関を開け、家の中へと入ってきた。 「英臣さんもおかえりなさい」 玄関の扉を閉める英臣に向かい幸弥が声をかけると、英臣も幸弥の方に気づき、返事を返した。 「ただいま幸弥さん」 英臣に名前を呼ばれた瞬間にまた首筋あたりがかっと熱くなり、それと同時に時政と英臣は「うっ」と小さく低く呻き声を出し、時政は眉間に皺を寄せ、苦しげな表情になり、英臣も顔を曇らせてしまった。 この時幸弥の身体からは、まるで熟れきった果実のような、鼻の奥を刺激し、脳髄を蕩かすような甘美な芳香を放っていて、アルファである時政と英臣はその芳香を嗅ぎ取っていた。オメガがアルファを誘惑するフェロモンである。 通常の発情期のものより強く、抑制剤でも抑えきれないほどのオメガフェロモンの影響で、幸弥は全身が熱く火照り、後孔は男の熱いモノを欲しがり、蜜液を垂らし潤ませていった。 眩暈に似た感覚に陥り、視界はかすみ、思考もぼうっとしてしまっている。 「はぁっ……、あっ……あっ」 息を荒げて、足元をふらつかせながらも、オメガの本能が運命の番を求めて男の元へと歩みを進めた。 「あっ……、英臣さん、欲しい……」 幸弥は英臣の胸に倒れ込むようにしがみつくと、理性も飛んでしまい、いやらしく男を求めて擦り寄っていく。 「……幸弥さんっ」 英臣の理性も限界に近かった。オメガの甘美な芳香は思考を歪ませ、欲情を急き立てていき、今すぐ、目の前の男を孕ませたいという欲望でいっぱいになっていた。 呼吸は乱れ、苦しそうに開けられた英臣の口元からは、ベータやオメガでは見られない、鋭い犬歯が覗き、幸弥はその犬歯を確認すると、頸を差し出し、今すぐにでも歯型を付けてもらいたいという衝動に駆られた。 ーー噛み付いて その言葉が喉まで出かかり、寸でのところで言葉を飲み込んだ。発情期の暴走した思考で軽はずみにこんなことを言ってはいけないと思い止まったのだ。 英臣の方は一切動かず、荒い息を必死に整え、少しでも理性を取り戻そうと努力していた。 「英臣っ!幸弥から離れろ!」 同じくフェロモンに当てられ、苦しげにいた時政は、目の前の二人の醜態に怒りの声をあげ、英臣に家から出て行くように命じた。 英臣はハッと我に返えると、幸弥をその身から離し、すぐ後ろにあった玄関の扉を開けて、外へと出ていき、支えを失った幸弥はその場にへたり込み、苦しそうに蹲った。 身体に力が入らず、蹲っている幸弥の腕を掴みあげ。 「オメガってのは、本当に淫乱だな」 息を荒げながらも幸弥を見下ろし、吐き捨てるようにそう言うと、そのまま掴んだ腕を引っ張り上げ、立ち上がらせると、強引に部屋へと引きずるように連れていった。 幸弥の部屋のベッドに押し倒すと、時政は悲しみの混じった怒りをぶつけてくる。 「そんなに、お前はあの男がいいのか?俺より、あの男を選ぶのか!」 両手を捕らえられ、鼻先まで顔を近づけて、嘆きに近い言葉を投げかけてくる。 「時政さん、僕っ……」 その後の言葉が見つからない。オメガの運命に振り回されたくないと思っていたのに、実際は振り回されてしまっている自分が情けなくなった。結局、オメガという性には抗えないのか。 それに、優しく自分の意志を尊重してくれようとした時政にも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 「絶対にお前は俺の番にする。あんな奴に奪われてたまるか!」 そうまくし立てると乱暴に唇に吸い付き、口を開かせ、口内の唾液を奪い盗るように舌を擦り合わし、絡ませては吸い上げる。 「ふぅっ……はっ、はぁっ……」 貪るような口づけに、呼吸もままならなかった。息苦しさと蕩けるような快楽に、意識が遠のきそうになりながらも、身体はもっと先にある快感を求めていた。 口づけは唇からおとがいに移っていき、更に首筋を伝い、舌で舐め上げられると甘苦しく疼き、背筋をゾクゾクさせた。 着ていたTシャツとボトムを剥ぎ取られている最中、羞恥心はあったが、発情期で、しかも抑制剤が上手く効いていない状態なため、ろくに抵抗できずに、あっさりと肌を剥き出しにされてしまった。 白い肌が晒されると、胸の薄紅色の突起は、まだ触れてもいないのに、艶やかに湿り気を帯び、見たものを欲情させるように屹立している。 時政はその薄紅色を口で覆い、舌で形を確かめるように舐め上げた。 「やめっ……んっ……、ふぅっ、あっ……あぁっ」 時政の熱い舌の感触に対して、波打つような快感に襲われる。 ーーこんなの恥ずかしいはずなのに、気持ち良くておかしくなりそう。 舌で執拗に嬲られ、熟れたように膨らんだ乳首を、今度は歯を立て甘噛みする。 「痛っ……、んんっ……!」 チリリとした痛みから、疼きを含んだ気持ち良さに変化していき、幸弥の心臓の鼓動が速くなった。 快楽の感覚が集中してしまっているというくらいに敏感になっている乳首を音を立てて吸い上げ、やっと口を離した。 「……あっ……あっ……はあっ……!」 唾液で濡れた音と共に、幸弥の張り詰めていた局部も弾けて白濁を散らした。 「ここでも、感じたか?本当に可愛いなお前は、俺の方もそろそろ限界だ」 達したばかりで虚ろな瞳を時政の方に向け、下方を見ると、確かに時政の局部も張り詰めて、そそり立っている。 オメガである自分のモノしか、そんなにまじまじと見たことが無かったので、幸弥は初めて見るアルファの、しかもヒート状態で亀頭球が現れている時政の、その大きさに驚きと同時に恐怖心も芽生えてしまった。 「そんな……大きいの、無理……。それに発情期だから、赤ちゃんできちゃう……」 「ちゃんと避妊すれば大丈夫だ」 時政はコンドームを取り出すと、自身の局部に装着し、幸弥の身体をひっくり返して腰を持ち上げ抱え込んだ。そして、後方から耳元に顔を近づけ。 「だが、俺的にはお前を孕ませたくて仕方ないんだがな」 そう囁くかれ、頭の芯が溶けてしまいそうなる。 「十分濡れてる。いくらでも俺を受け入れてくれそうだな」 指で後孔の状態を確かめるように抜き差しをし、押し広げてゆく。幸弥は深い息を吐きながら小さく呻き、苦しそうな表情を作った。 「力を抜けよ」 指を引き抜き、代わりに熱く滾っている時政のそれを押し当て、じわじわと淡紅色の窄みから中へ挿入していく。熱い塊が痛みと共に自分の中へと入り込んでくる感覚に、反射的に筋肉が強張り、背中が仰け反ってしまう。 「ああっ!やだっ、痛い……怖い」 「もっと楽にしろよ。そうしてれば、段々気持ち良くなってくるはずだ」 そう言われても、下腹部に異物が進入してくるような違和感で、眩暈を起こしそうになり、気持ち良さを実感する余裕などなかった。 「……はぁっ、あっ、あぅんっ……」 それでも内側を熱いものが擦り合う度に、嬌声をあげてしまう。腰を使い挿入を繰り返しながらも、少しでも幸弥が良くなるように、大きな 手で幸弥のものを優しく握ると、芯から愛液を絞り出させるように動かした。 「あっ、あっ、んんっ……はぁっ!」 局部を愛撫され、後孔を責められ、同時の刺激に堪らなくなり、つい達してしまった。 「幸弥、俺も出すからな」 一気に奥の方へと突き上げられ、中で熱い感触に襲われた。コンドームをしていても完全に安心はできない。もしものことを考えると、怖くて仕方がなかった。 「時政さん……もう、抜いて……」 「一度ヒートになると最低でも二十分は抜くことができない。大丈夫だから、もう少し俺を感じてろ」 時政はゆっくりと幸弥の中に自分の痕跡を残すように動かし、かき乱していった。 「なぁ、ここ。噛んでもいいか?」 甘ったるい匂いを放ち、アルファの欲望を刺激してくる頸に、その香気を楽しむように鼻を擦り付けながら問いかける。 「……まだ、嫌だ」 か細い腕を首筋に伸ばし、手のひらで自分の頸を隠し、やんわりと時政の要求を拒絶した。 「やっぱり、あの男がいいのか?」 口調は冷淡だが、その奥に嫉妬と悲嘆の念が感じられる。幸弥は頭を横に振り。 「そうじゃなくて。こんな形で決めてしまいたくないんだ」 自分自身のオメガという性に、始めこそショックを受けたが、今は少しつづ受け入れている。しかし、アルファばかりがオメガを支配するというような関係性には、まだ納得がいかなかった。 アルファが噛むことで番が成立し、アルファが番を解消したければオメガは捨てられる。 「自分の運命は自分で選択する。僕の中では、まだ番になる時じゃないんです」 「ゆっくり決めさせろってことか。なかなか生意気なオメガ様だ」 時政は頸に口づけをするに留まり。その晩はヒートの猛りが治り、幸弥への支配欲が満たされるまでシーツを乱し、時政は幸弥を朝が訪れるまで抱きしめた。 ーー抑制剤、飲まなきゃ。 朝になり、幸弥が目を覚ますと、まず最初にそう思った。 窓から白色の日光が差し込み、その眩しさに眼の奥が痺れような感覚になる。昨日の行為で身体中に痣ができてしまったのではないかと思うくらい、あちこちに痛みが走り、起き上がるのが億劫なほど疲弊していた。 それでも抑制剤を飲まなきゃという義務感と、シャワーを浴びたいという欲求で、無理矢理でも満身創痍の身体を、乱れきったベッドから起き上がらせた。 ふと、振り返り、時政の様子を見てみた。 まだ、熟睡していて、当分は目を覚まさないだろう。昨日のヒートでだいぶ体力を使ったみたいだ。 見るものによっては、冷たい印象を与える切れ長の目も今は閉じられ、髪もボサボサ。 隙がない完璧な男のイメージの時政が、今は隙だらけの無防備な格好をさらけ出している姿を見ると、なんだか可愛らしいとも思えなくもないなかな、と思ってしまう。 時政を起こさないように、静かに部屋を出て行くとバスルームに向かい、熱いシャワーを全身に浴びた。石鹸の香りがバスルームに漂うと、やっと目が覚め、思考もすっきりしてきたと感じられる。 バスルームから出ると抑制剤を服用し、また部屋に戻って行った。 時政もさすがに目を覚ましていて、幸弥が戻って来た姿を見ると、どこか安心したような笑みを浮かべ、入れ違いにバスルームへと向かっていった。 ソファに座ると、だらしないくらいに全身の力を弛緩させた、まだ発情期特有の怠さが治らない。オメガの発情期はだいたい一週間前後くらいかかるので、あと五日くらいはこの状態が続くことになる。 革張りの滑らかな触り心地と適度な弾力のソファに身を委ねると、心地良さで再び眠ってしまいそうになる。 うとうと意識が途切れそうになっていると、時政が戻って来た。 バスルームで全身を清め、髪型も整えられた姿は、やっぱり見惚れるほど男前な姿で、さっきまでの無防備さなど微塵も感じさせなかった。 こちらに歩み寄り、幸弥の隣に座り込むと、二人掛けのソファは幾分窮屈になってしまう。たいぶ密着した状態で肩を掴み抱き寄せられると、幸弥は軽くたじろいだ。 「ちゃんと抑制剤は飲んだ。怖がらなくても無理矢理襲ったりしないさ」 こちらの意思を理解していて、先手を打って報告してきた。 「ただ、全く興奮しない訳ではないみたいだが」 引き寄せられ、後ろから抱き締められると、背後から時政の熱が感じられる。 しかし、優しく抱き締められる感覚は、妙に居心地がよく。なんだか離れがたい気持ちにさせたので、そのまま時政の腕の中に身を置いた。 「幸弥、どうしたら正式に俺の番になってくれる?」 時政は幸弥の肩に顎を乗せ、耳元に息がかかるくらい近くに顔を寄せると、良い返事を待ちわびるような甘い口調でそう問いかける。 「僕自身も、はっきり分からないんです。別に時政さんが嫌いな訳じゃなくて。でもまだ決めてしまいたくなくて」 幸弥自身も自分の気持ちの煮え切らなさに苛立ちを感じていた。しかし、どうしてもその頸に誰かの歯型を刻み込まれる覚悟が出来ずにいた。 「時政さんは、何でそんなに僕に構うんですか?時政さんくらいの人なら、他にいくらでも相手がいるんでしょ」 時政は幸弥の顔を覗き込み、頭からつま先まで吟味するように、しばらく見つめてから。 「何でだろうな。顔も地味だし、スタイルも貧弱だし。もっと美人でいい体した女なんて、今までさんざん付き合ってきたのになあ」 「ムカつく。そんなんなら、尚更僕じゃなくて、そういう人と付き合えばいいじゃないですか」 人のことをまじまじと見ておいて、発したセリフがそれかよと、地味で貧弱呼ばわりされ、幸弥は軽く時政を睨み付けると、少しむくれたように言い返した。 「でもそんな女達より、今はお前の方がよっぽど可愛いと思うぞ」 「そんな、男に可愛いなんて言葉、似合いませんよ」 「実際、可愛いと感じるのだから仕方ないだろう」 幸弥は時政の顔を見返してみる。男らしく、端整な顔立ちの時政にそんなことを言われると、男であってもうっとりと顔を紅潮させてしまう。 「僕がオメガだから、そんな風に感じるだけじゃないんですか。ただオメガが珍しいだけで、興味を持ってるだけじゃないんですか?」 一番気になっていた胸のつかえを、思い切って聞いてみた。オメガだから、ただそれだけで惹かれているに過ぎないのではないか。 「正直に言うと、最初はお前がオメガだから興味を持った。それは否定出来ないが、今、目の前に他のオメガが現れても、俺はお前を確実に選ぶ」 真っ直ぐな瞳。幸弥の心を射抜くように重みのある、誠実な意思が感じられる言葉だった。 ここまで思われているとは正直思っていなかったので、幸弥は少々驚いた。それと同時に、これだけの想いに、自分はちゃんと答えられることができるのだろうかという不安も出てきた。 時政を想う反面、どうしても英臣の存在も幸弥の中で膨れ上がり、消し去りようがない存在となっていた。 「そういえば、英臣さんどうしただろう」 昨日のヒート状態から、そのまま玄関の外へと追い出すかたちになってしまっていた英臣のことを思い出し、心配になってきた。 住み込みで働いてもらっているので、ここが家となるのだから、他に行く当てはあったのだろうか。もし無かったら、一晩は外に放り出したことになってしまう。 「大丈夫かな、早く呼び戻してあげた方がいいんじゃないかな」 「大の男なんだから、それなりに対処してるだろう。心配要らない」 随分と冷淡な言い分だ。やはり、幸弥が英臣のことを気に留める様子は、あまり気分の良いものでは無いらしい。 「それより、あいつをこのままこの家に置いておく方が心配だ。またヒートを起こしてお前に手を出さないとも限らないし」 英臣の存在を時政は完全に良しとしていない。これは嫉妬と呼んで間違いない感情なのだろう。昨日のことで、この二人が本当の運命の番なのではないかということを、時政自身も薄々感づいていた。それゆえ、幸弥を奪われるのではないかという危擬の念はかなり強く時政の心情にのしかかっていた。 「悪いが辞めてもらって、別のベータのものを雇うことにするか」 「そんな、英臣さんは悪くないのに、一方的に辞めさせるなんて酷くないですか」 自分のせいで人ひとりの職を奪い、路頭に迷わすなんて、とても快いものではない。それに、アルファやオメガだとかいう理由で人が不当に扱われることは、幸弥のもっとも嫌いなことだ。 「あの時のヒートだって、英臣さんからは何もされなかったし、僕も気を付けますから、辞めさせたりしないでください」 英臣を庇う様子も正直なところ、気に入らなかったが、影を落とす長い睫毛をたたえた瞳で、上目遣いに請われると時政は弱い。こんな可愛らしい仕草を、なんの打算もなく自然と行うところも、時政が幸弥を気に入っているところの一つだ。 今まで、付き合ってきたアルファの女性は皆、時政の地位と容姿に惹かれて近づいてきたようなものばかりであった。 上っ面だけは綺麗に仕立て上げ、着飾り。実に耳触りのいい言葉と男を喜ばせる仕草で誘ってきて、その目の先には財閥の財力や隣にいて自慢できるという、見栄を張りたいという打算しか感じ取れない。 自分は純粋な恋というものをしてこなかったのではないか、そう思うと虚しく感じられ、いつしか、冷めた目でしか相手を見れなくなってしまっていた。 幸弥の媚びたりしない態度や、素直な性格は、時政にとって新鮮なものであり、好意的な興味を持つものであった。 「分かった。解雇の件は、取り敢えず保留にしておく。そろそろ俺も仕事に行かなきゃいけない時間だ」 少し力を込めて細い腰を抱きしめて、首元に顔を埋めると。 「それに、いくら抑制剤が効いているとはいえ、こんないやらしい匂いをいつまでも嗅いでると、また襲っちまいそうになるからな」 「いやらしいって、そんな匂いしてるんですか?自分では全然分からないんですけど」 幸弥は自分のTシャツの襟元を鼻に近づけて、匂いを嗅いでみたが、当然、オメガの自分自身のフェロモンなど分からず、無臭である。 「自分でも分からない匂いを出してるなんて、なんか嫌だなぁ」 「嫌がることじゃないだろ、なかなか悪くない匂いだぞ」 埋めるた首元に唇を寄せ、その首筋をなぞるように唇を這わせた。 「……あっ」 首筋に感じる温もりと柔らかな感触に疼いてしまい、幸弥の方がまた発情してしまいそうになる。 「本当に残念だ」 時政は名残惜しそうにその腕を離し、ソファから立ち上がると、幸弥の頭に手を置き、真っ直ぐな黒髪を愛しそうに撫でる。 出社するため、部屋を出て行った時政の後ろ姿を見送ると、急に発情期特有の怠さに襲われ、支えを失ったように身体中の力が抜けてしまい、幸弥はそのまま、ソファの上に横になり、この倦怠感をやり過ごしていくしかなかった。

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