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第2話

生まれて初めて買った花束。 生まれて初めてのサプライズ。 …正直、ここまで緊張するものだとは思っていなかった。 八城は震える指でインターホンを押し、紙袋から花束を取り出した。 左手にはビジネスバッグとさっき買ったお酒。それから花束が入っていた紙袋。混雑する左手にはロマンの欠片もないが、そんなことにまで気は回らなかった。 「はーい…」 「慎。誕生日、おめでとう」 八城は男が扉を開けるやいなや、背中に隠していた花束を差し出した。 最初はきょとんとしていた神崎の顔には、徐々に喜びが満ちていく。 「これ、僕のために?」 「当たり前だろ。ちゃんと三十五本にしてもらったんだから」 「周一…」 花束を大切そうに持ったまま抱きついてくる男が、俺には愛おしく思えてたまらない。 「ありがとう。…すごく、すごく嬉しい」 まっすぐに八城を見つめる神崎の瞳には、今にも零れ落ちそうなほどの涙が溜まっている。 「分かったから…。泣くな」 八城は右手で涙を拭う男を家の中へ入れ、後ろ手でドアを閉めた。 鍵をかける音は二人だけの時間が始まる合図だ。 「ん…っ、ちょ…待って」 何度か啄むようなキスをしていると、突然ぐっと肩を押された。 「何?」 「これ、ちゃんと花瓶に入れないと…」 「そんなの後でもいいだろ?」 「ダメだよ。…できるだけ長く咲いてて欲しいの」 「…じゃあそれが終わったら、な?」 神崎は顔を赤く染めて小さく頷き、急ぎ足でリビングへ向かう。どうやら早く触れ合いたいという気持ちは彼も同じなようだ。 プレゼントの日本酒を開けるのは、もう少し後にしよう。 ** 男をベッドに組み敷いたのは まだ七時にもならない頃。 首元に唇を寄せた際に香ったのは、八城を求めているがゆえのものだった。 「石けんの匂いする。…風呂入ったの?」 「今日は、その…するかなって思って。いつ帰ってきてもいいように…早めに済ませておいた」 「…期待してた?」 朱に染まった耳朶を軽く噛むと、神崎の体は小さく跳ねる。 野暮なことを聞こうとする男を恨めしく思いながら、神崎は口を開いた。 「あ…当たり前だ」 「良かった。…俺だけじゃなくて」 八城の小さな呟きは、神崎の耳には届かなかったようだ。 「なに?…ごめん、聞こえなかった」 「いいんだよ。聞こえなくて」 「何それっ…ん、ん…」 何度か触れるだけのキスを繰り返していると、遠慮がちに首へ腕が回された。 自分を求めてくれる恋人の姿に、八城の理性は揺れ動く。 「…しゅ、…周一?」 キスをやめれば神崎は困ったような顔でこちらを見つめてくる。 右手でそっと上気した頬に触れると、まるで猫のように擦り寄ってくる男がひどく愛らしくて、八城はつい自分らしくないことを口走ってしまっていた。 「今日は、優しくしたい」 「…どうしたんだよ。急に…」 神崎は明らかに困惑しているようだったが、それだけではないことを八城は知っている。何年も共に過ごしていれば 恋人の言わんとすることは、自然と分かるようになるものだ。 「慎がして欲しいこと…全部叶えてやるから、言ってみな」 「…ふふっ」 「何だよ。…笑うなよ」 「ごめん。だって、そんな余裕なさそうな顔で言われても…」 神崎には自分より三つだけ歳上の恋人が可愛らしく思えて仕方がなかった。長く付き合っていれば いつか気持ちが冷めてしまうものだと思っていたのに、全くそんなことはなくて。むしろ日に日に彼に対する愛情が膨れ上がっていくのを神崎は感じていた。 「…いいよ」 「ん?」 「したいこと、して」 「だから、今日は慎のしたいことを…」 「僕が…して欲しいの。周一がしたいこと、全部して欲しい」 何とか理性を保っていた八城にとって、その言葉は殺し文句も同然だった。 二週間ぶりの行為に、自らの欲望を抑えられる自信はない。 「…無理させたら、ごめん」 それだけ告げて八城は男の唇を奪った。

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