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第6話
霖に貰った朝飯を食べ、どこか落ち着かないままあっという間に昼を迎えてしまった。特に時間の指定は無かったが時計を見ると12時を回っている。ただ隣の、しかも男の部屋に行くだけなので何も気張る必要は無いのだが、適当に身なりを整えそろそろかと部屋を出た。数歩歩いて手を伸ばせばもう霖の部屋だ。こんなに近いのも何だか不思議な感じがする。意味も無くスマホで時間を確認すれば一呼吸置いてインターホンを鳴らしてみた。すると中から足音が近付くのが分かった。
「…あ、ちゃんと来たんですね。いらっしゃい、どうぞ」
「そりゃ行くに決まってるでしょうが。…お邪魔します」
まさか霖の部屋に上がる日が来るとは。しかも出会って間も無くだ。中からは既に作っていたのであろう料理の匂いが微かにだが漂ってきた。まだ越して来たばかりという事もあり、所々に段ボールが積み重なっていて思わず笑ってしまう。
「何も無くて申し訳無いんですが、適当に座ってください」
「はは、気にすんなよ。…それよりお前のその格好の方が気になるんだが」
朝ぶりに見る霖はやはり全身真っ黒の格好をしていた。黒のパーカーに黒のジャージ。初めて彼を見た時と全く同じ格好だ。
「…そんなに気になりますか?」
「出会いがあまりにも衝撃的だったもんで、頭に焼き付いちまってて。その服装」
「一番動きやすくて楽なんですよ。色は単純に黒が好きなので、って理由です」
普段の立ち振る舞いを見ているとしっかりした印象を受けるがこっちが本当の姿か。しかしいくら何でも俺に気を許しすぎなのでは…。まあ悪い気はしないが、こいつはどうも初対面とは思えない感じがする。
「はい、どうぞ。今日はシーフードパスタを作ってみました」
ぐるぐる考え事をしているうちに霖が昼食の準備を終えていた。目の前には魚介の乗った随分小洒落た一品が。これはただのシーフードパスタではない。料理には詳しくないがこれはトマトソースだろうか、見た目も華やかで食欲を唆る。予想以上の出来に思わずパスタと霖の顔を交互に見比べてしまう。
「…これ、お前が…?」
「他に誰が居るんですか…。あ、魚介類とかトマトって大丈夫でしたか?嫌いなものも何も聞いてなかったので」
「余裕です。いただきます」
「…ふふ、…はい、どうぞ」
迷わず手を合わせると霖が頬を緩ませこちらを見つめてくる。こいつ、こんな顔もするのか。普段ほぼ表情を変えない霖を見ることがほとんどだからだろうか、それがヤケに新鮮に感じた。
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結局美味いぐらいしか言えずものの数分で平らげてしまった。いや、本当に美味かった。「今まで食べた中で五本指に入るくらいには美味かった」
「…それはありがとうございます」
「…ん?」
「五本指に入るくらい美味かったって」
食べ終わった皿を片付けながら微笑みを浮かべた霖が視線だけこちらに向ける。
「……今の声に出てたのか」
「出てました。思いっきり。作った甲斐がありましたね」
言うつもりの無かった感想が知らぬ間に零れ落ち、何だか無性に恥ずかしい。困った俺はとりあえず話を変えようと必死に言葉を探す。
「あー…、うん。美味かった、ありがとな。また…、…いや、またじゃなくて…」
「また作りますよ、喜んで」
「…それは、どうも」
話題を逸らすつもりが裏目に出てしまった。また食いたいなんて余計に恥ずかしいじゃないか。しかし霖の返事には内心喜びを感じつつ、今度こそ話題をすり替える。
「…ああ、それで、思い返してみればお前と連絡先の交換もしてなかったもんで、こういう時の連絡の為に教えておこうかと思うんだが」
なんとなく緊張はしたが相手は仕事仲間だ。連絡先くらい聞いておくのがお互いの為だろう。ほら、と、自分のアドレスと電話番号が書いたメモを霖に手渡す。
「そうでした、俺も聞きそびれていたんですよ。教えますね」
「助かる。どうせ隣だし何かあれば来てもらってもいいが、簡単な連絡くらいだったらこっちの方が早いだろ」
「…簡単な連絡」
「簡単な連絡」
「……じゃなくても、いいですか」
「…ん?それはどういう意味だ?」
「…、…いえ、何でもないです。連絡しますね」
疑問は残るがひとまず任務は完了した。首を傾げながら玄関へ向かうと、長居するのも悪いからと告げて靴を履く。
「…あ。…洗い物もしないで悪いな」
「呼んだのは俺なので、そんな事気にしないでください」
「んじゃ、今度お返しさせてもらおうかね」
「?なんですか?」
「何かはお楽しみ」
軽く言葉を交わしつつ別れ際霖の表情を窺う。不思議そうな表情をしていたが、目が合うと柔く微笑みを浮かべた。
「じゃあ楽しみにしておきます」
「はいよ。今日はご馳走さん」
外に出て別れ際、俺が振り返ると霖は軽く頭を下げた。ただ隣の部屋に戻るだけではあるが、心地いい時間だっただけに若干の名残惜しい気持ちを抱えながら、俺は後ろ手に小さく手を振り霖の部屋を後にした。
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