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お客さん 2
「なんか乗りきれなくてさ・・・」
三田さんは僕の部屋の床に座りながらビールを飲みだした。
僕だって嫌いじゃないのに、仕事だから飲めない…。
「そしたらなんとなく早退したくなってさ、会社でたら一人ですることもない。
郁ならこの時間でも家にいるだろうなって」
自分より年上にみえるくせに、こういう時はまるで子供みたいだ。
「テレビとか適当に見てて。僕はシャワーをあびるから」
そう言ったものの、先に何か食べることにする。三田さんも何か食べた方がいいだろうし
冷凍してあったピザ生地に適当な具材を載せてオーブンにつっこんだ。
焼きあがるまでの時間で手早くシャワーを浴びる
一人だったら素っ裸でウロウロするところだけど、そうもいかないのでTシャツとジーンズを履く。暑いな・・・
三田さんは、フィリップ・マーロウの本をパラパラしていた
「郁?これさ。ハルキじゃないの?」
「ハルキ?小説書いてる、村上春樹?」
「おお~それそれ」
「村上春樹が訳をしているから話題にはなったけれど・・・『ロンググッドバイ』は大好きな本なんだ。
村上春樹には特に思い入れはないな・・・。でも彼が好きなら、あとがきだけでも買う価値があるかもね。
このあとがきは最高だった」
ちょうど焼きあがったピザをとりだし、ダイエットコークをグラスに入れる。
「つまみにどうぞ、僕もご飯にするよ」
本の最初のページを読んでいた三田さんが、おお~っと嬉しそうに声をあげた
「なんかいいにおいしてたから期待はしてたんだけど、予想以上の出来だね、これは」
「異動の打診があったんだ」
自分がどうしたいのか、正直わからない僕はなんとなく三田さんに話してみようと思った。
「どんな異動?」
「昼間のシフトで、あとリーダーにならないかって」
「へえ~。なればいいじゃん」
・・・随分簡単に言うね、三田さん。
「まるで時間が逆になるし…」
突発的に話してしまって、僕自身が困惑してしまった。
そんなことを言われても、正直困るだけだろうと思い当たって、三田さんに申し訳ない気持ちになる。
「郁は仕事できるんだろうな・・・」
ぼそっと三田さんが言うから、思わず顔をあげる
ピザを片手に持ったまま、窓の外を見るともなしに見ている顔は、初めてみる表情だった。
『沢田はできるんだからさ、もう少し自信を持てよ』
あの人の声が蘇る
仕事ができる・・・それに意味はあるのかな。
出来るようになりたいと思って、あの人の助けになればと思って我武者羅だった僕
誰にも見つからないように深夜に仕事をこなしていた僕
どれも僕だけれど、僕の意志じゃない…
いや、意志なんだろうな…。隠れていようとしているのに、どこか自分を確立させたい顕示欲は消せないのかもしれない
「俺さ、仕事できなくはないんだけど、モチベーションの問題でね」
可笑しそうに笑いながら三田さんが口を開いた
「企画とかさ、勢いあまって出すんだけど、結局さ、持続できないの。
たぶん他人に生かされないと俺、自分を維持できないタイプなんだろうな。
まあ、郁の場合違うだろうけど」
よくわからないよ、そんなこと
「この本貸してくれよ、興味がわいた」
「いいですよ」
CSドラマのエンドロールが流れた
「郁、昼間のシフトに移んなよ・・・。そしたら俺と時間が合うだろ」
僕は何も言わなかった
三田さんも、それ以上何も言わなかった
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