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話をする、少しだけ
「郁、俺さ、猛烈に酢豚が食いたい」
「酢豚ね。でも中華屋さんは近くにないよ。僕たち運転できないよ、呑んじゃったしね」
「クックドゥとかで作れんのかな?」
「いや、あんなのなくても作れるでしょ」
「郁、つくれんの?」
子供みたいな目をしている三田さんをみると、ついついほほ笑んでしまう。
この人といると、こういうとき幸せな気分になる
僕は前より随分笑えるようになった
何度か笑い、話しを少しだけする
三田さんの投げてよこす視線を受け止めながら
この視線の意味するところは明らかだ。でも僕はまるで気がつかないフリをする
前にも進めていない自分が誰かを受け入れるなんて無理だ
僕には資格がない
繰り返すだけの毎日に変化がおきて、少しだけこの街がすきになってきた
仕事も前よりも内容に幅ができて、必要とされる事を実感できる。かつての日常が戻ってきていた。
月に1度だけ「元気でやっている」という短いメールをしていた妹に、2年たって初めて電話をした。
電話の向こうで泣いている妹にすまない気持ちで一杯になりながら、ゴメンとアリガトウを何回も言った
あの時妹が来ていなかったら、僕はここにはいなかっただろう
離れてしまった両親や、沢山の人達…
でも妹だけは僕を想って泣いてくれる
僕は泣きながら、妹の存在とその温かさを幸せに感じた
「郁の笑顔って、俺好きなんだ」
ソファにもたれてベランダの柵にとまる雀をみていた僕は、テーブルの向こうの三田さんを見た。
テーブルに頬杖をつきながら僕を見ている
いつものように強い視線で
『お前はいつも寂しそうに笑うよな。お前が悪いんだ、そんな顔をするから…目が離せなくなった』
そう・・・言われた。好きだとか愛しているとか絶対に言わない人だったから、こんなことを言われてものすごく嬉しかったことを思い出す
「そう?自分の顔はわからないよ、三田さん」
「寂しそうに笑うんだよ。でもさ、見ていて悲しくなったりはしないんだ。寂しそうだけど好きな顔だよ」
僕は自分のどこかがコトっとなったのを聞いた
「前にも言われたことがあるんだ。僕が悪いんだってさ、寂しそうに笑うから目が離せなくなったって」
自分に回される温かい腕を恋しいと思った
「でもね、だんだんとよくわからなってきているんだ。
あの人が恋しいのか、誰かを好きだった自分が恋しいのか・・・
一緒に食べたものや、行ったところは思い出せるけれど、どんどん、あの人の顔は薄くなっていく。
でも消えてはくれない…。」
「俺は残念ながら恋しいと思えない、そんな終わり方をした。いや・・・はじまりもしなかった。できることなら消してしまいたい」
少しだけ挑戦的な視線が投げかけられる。
何も知らないくせにね。僕の終わり方だって最悪だったんだよ、三田さん。
妹以外のすべてが無くなってしまった。
ある意味「はじまりもしなかった」ほうが幸せかもしれないよ?
僕の顔は少し意地悪になったのかもしれない
テーブルの向こうの挑むような視線が、すこし揺れたから
「郁の相手は・・・年上だったんだね。俺みたいなガキには言えないような口説き文句だ」
三田さんに逢って初めて、自分が年上だと感じた。
とても脆そうな中身が透けているようだ。今まで僕は、この人の何をみていたのだろう
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