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あの人 5
教わったとおりに・・・厳しい時こそ厳しく。
マグを離し、手の平が両肘におかれる姿を見て心を決める。
「自分が死んでいないと気がついた病室で、あなたの・・・奥さんが・・・流産したらしいことを聞いて」
『まだ安定期前で。』『ダメだったんだ』
何度も噴き出しそうになって押し込め続けてきた・・・でももういい。
「僕は、絶望したんです。あなたの血をひく命を奪うことになったっていうことを受け止めたのは、一人で逃げ出した後になってからです。これを聞いた時、僕は・・・心がよじれて、もう抑えきれなかった」
あの時、僕は奈落の底にいた
「あなたは・・・もともと僕と違うから・・・。
でも僕たちは特別なんだって思っていた、勝手に。
僕らは特別だって・・・だから。
勝手に、そう勝手になんですけど、奥さんを抱くとことはないと思いこんでいて。
でも流産したと知った時、なにも特別じゃなくて、ただの関係だったんだって・・・。
ものすごくショックをうけて、初めてあなたに怒りを感じました。
僕は裏切られていたと。嘘をついていたんだって。あなたの顔をみたくなかった。
僕だけに注がれる笑顔じゃない、僕にだけくれるキスじゃない。
僕にだけ・・・僕だけが知っていると思っていたものが、全部違ったって・・・世界がひっくり返りました
だから逃げだしたんです。弁解も嘘も言いわけも何も聞きたくなかったし、僕のことを特別だと、そう思っていたあなたしかいらないから・・・僕は逃げ出した。
一人になって随分たってからです。亡くなってしまった命のことに思い当たったのは・・・。
逆に打ちのめされました。自分は分別ある心を持っている人間だと思っていたのに・・・
情に左右されるちっぽけな人間だったんだって・・・嫉妬に我を忘れる様な単純な人間だったって現実に。
僕だけを。。。と信じていたんです、勝手かもしれません。
でもあなたは・・・同性愛者じゃないから、僕は真実の関係だって・・・そう思っていた。
でも違った。
そして逃げ出した・・・あなたが欲しかったのに・・・」
知らずに涙が溢れた。ぬぐうこともしなかった。流れるままにした。
週末にみる映画で流す涙と違う・・・熱いくらいの涙が頬をつたう
心のかけらが一緒に流れるような涙―綺麗でもなんでもない
僕のドロドロしたものと、熱い想いと、哀しさと何もかもを洗い流すようにどんどん流れる涙
「僕はあなたが欲しかった・・・だけだったんです。信じていただけです」
「沢田、信じられないかもしれないが・・・お前がすべてだった
この写真を一番好きな本に挟んでいた」
取り戻しかけていた自分が崩れそうになる
怒りを、当時投げつけたかった言葉を言えた。
そして、あなたのことを懐かしんでいる自分をみつけた・・・はずだった
はずなのに、心臓の鼓動が早まる
「男二人ならどこでどうやったって、どうにかなると、いやお前とならどうにでもできると。
決めてしまえば楽になった。たぶん俺の決心はあいつにも見えたんだろう。
普段俺の本にさわりもしなかったのに、この写真をつきつけられた」
息苦しくなってきた
この先は聞きたくない。でもその先を欲しがっている僕がいる
「俺は別れを切り出し、あいつは泣き喚いた。
前から疑っていたらしい・・・この写真が決定打になった。
同僚との写真だぞと言ったが、あいつにはそう見えなかったらしい。
まあ・・・破られて俺の手元には残っていないが、今こうやってみると本当にまる見えの二人だな」
端にいる二人のうえを指がなぞる
僕もそうやって何度もなぞった
「別れるしかないと言われて異論はなかった。で、最後に抱けといわれてな。
本当に沢田を見る様になってからは一度もそんなことはなかった。
でも結果からいって1回も100回も一緒だな・・・まさかそんな状況でできているとは、ああなるまで知らなかった」
「・・・奥さんのシナリオ通りだったんですね。完敗だ」
僕が持ってない手札だ。勝てるはずがない
ずっと疑っていて証拠も手にいれた。そして僕にできない方法であなたを繋ぎとめようとした。
僕が絶対に勝てない方法・・・
「何も考えずに、お前と一緒に逃げればよかった。
全部捨てればよかったんだ。あんなことになる前に・・・・沢田」
僕はノロノロと視線をあげる
そこにはやっぱり見たくないあなたの表情があった
いつも欲しいと思っていた、僕を見つめる熱くて暖かい視線があった
「お前が言いたいことがあるのに言わずに逃げたように、俺もお前に言いたかったことがあったのに、ずっと言えずにいたんだよ。」
僕が欲しかった言葉がそこにあった
すがっていいのか?ずっと待っていたと言っていいのか?
なんでもっと早くとなじっていいのか?
あなたのせいだと、いや僕が女だったら簡単だったのにとでも言えばいいのか?
「・・・そんな顔をするな沢田」
僕はもう自分を保つことができなかった
勝手に嗚咽が漏れてきて、せき止めていたものも全部溢れて・・・
暖かい腕の中で声をあげて泣いた
あの人の腕のなかで本当はあの時にしたかった、するべきだったことをようやく僕は得た
僕の中から色々なものが
ほどけて・・・落ちた
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