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椿の花が落ちる頃 九

――夢を見た。 口減らしのために、遠い村から連れられてきた時の夢。 他の女子供もいたが、途中で皆バラバラに売られてしまった。 でも、村にいるよりいいと思う。 ろくにご飯も食べられず、服もまともに着られない。 だから、神様は俺をここに連れてきてくれたんだ。 そう思うことにした。 初めは男に体をベタベタ触られるのなんて辛かったけど、もう慣れた。 色んな客もいたし、体も重ねた。 「椿」 優しい声。 俺を支配する声。 燭台の火がゆらりと揺れた。 ひんやりとした冬の風が入り込んだため、俺は目が覚めた。 弥三郎が障子を開けたらしい。 「寒い…」 俺は弥三郎に文句を言った。文句と言っても、ぼそりと呟いただけだけど。 「起きた?」 「…あの薬、もうやめろよな」 「あの薬?…あぁ、これのこと?」 弥三郎は懐から小瓶を出した。 媚薬が入っていると思うと、何か禍々しく感じる。 弥三郎は小瓶をちらつかせながら、蓋を開けて、薬を指に出す。 俺はびくりとした。 「ま、またする気かよ…っ!」 ニコニコしながら、弥三郎は指につけたそれを俺の唇に押しあてた。 「や、やめ…!」 こんなの口に入ったら、もっとおかしく……あれ? 「………甘い」 蜂蜜のようだ。 というより蜂蜜そのもの? 「椿が蜂蜜でよがる姿は、とても良かった」 「~~~!!!騙したな!!」 俺は真っ赤になって、怒った。 「騙したなんて、人聞きの悪い。媚薬だなんて言ってないじゃないか」 弥三郎はクスクスと笑っている。 た、確かに言ってなかったけど…! 「弥三郎様のバカっ!」 俺は悔しくなって、悪態をつく。 客に、しかも上客にこんなことを言ったなんて知られてたら、番頭から折檻(せっかん)決定だな。 「またそんなことばかり言って、本当に椿は口が悪いな」 弥三郎は、口ではそう言うものの、クスクスと笑った。 普通だったら怒るところなのにな。 本当に変な奴。 弥三郎は毎晩律儀に通い、ついに今夜で一ヶ月となる。 昼に起き、井戸で顔を洗った。 今夜来てくれたら、俺は身請けされるのか。 なんとも実感が湧かないが、そういうことらしい。 「おはよ、椿」 「菖蒲(しょうぶ)、おはよう」 紫の浴衣を着た菖蒲が顔を洗いにやって来た。 菖蒲も昨夜、遅くまで仕事だったから、眠そうだ。 「なぁ、鈴蘭と話とかしてるか?」 急に菖蒲は鈴蘭の話題を出した。 「いや、挨拶くらいはするけど…前みたいに話はしないな…避けられてるみたい」 「そっか…。椿、鈴蘭には気を付けろよ」 「え?」 「あいつ、自分が狙ってた旦那が他の子を贔屓しだすと邪魔するらしいから」 「邪魔する…?」 頭の中で、可憐に微笑む鈴蘭の顔が思い浮かんだ。 仲はいい方だったと思う。 けど、俺に身請けの話が出た途端、避けられるようになった。 弥三郎のことを狙ってたのだろうか。 鈴蘭は金持ちの客を特に大事にしていたし、お小遣いや贈り物もよく貰っていた。 金持ちであろう弥三郎に目をかけられたのが、自分ではなく、俺だったのが面白くなかったのだろう。 「とにかく、今日で一ヶ月だろ?気を付けろよ?」 菖蒲は心底心配そうな顔をしていた。 本当にいい奴。 「ありがとう、菖蒲。気を付けるよ」 俺はそう返事をして、部屋に戻った。 ―――――― 店の裏手側は昼だというのに、薄暗い。 そこに人影が二人。 一人は桃色の着物で着飾った美少年、もう一人は無精髭を生やした紺色の着物を着た男。 男はヤクザ者で、名前を藤一(とういち)と言った。 普段は賭博場で働いており、その金でここによく遊びに来ては、椿を贔屓にしていた。 ……最近、椿が身請けされると聞いたため、買うことが出来ずにいるのだが。 「おい、本当にやるのか?」 無精髭を撫でながら、美少年に聞く。 少年は、スズランを模した髪飾りをすっと抜いた。 「勿論。あんたは椿を贔屓にしてただろ?」 「まぁな…」 藤一はあまり気乗りはしていないようだったが、少年――鈴蘭は、髪飾りを藤一に渡す。 「これ、螺鈿(らでん)でできてるらしいんだ。売ったらそれなりになるんじゃないかな?それとも、ヤクザ者は、これくらいじゃ動いてくれない?」 男はクルクルと髪飾りを指で回すと、懐にしまった。 鈴蘭の計画を聞いて、藤一は正直迷っていた。 椿の強気な態度が可愛いと思ったことはあるが、奪ってやりたいと思うほど、惹かれてはいない。 組の中でも藤一はそれなりに上の方で、仕事もまぁまぁこなしてはいるが、ふらふらと遊びに出掛ける方が良かった。 ただ最近、椿が買えないせいもあって、暇なのだ。 (まぁ、暇潰しくらいにはなるかなぁ…) 藤一はぼんやりとそんなことを思いながら、鈴蘭の計画に乗ったのだ。

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