10 / 16
椿の花が落ちる頃 九
――夢を見た。
口減らしのために、遠い村から連れられてきた時の夢。
他の女子供もいたが、途中で皆バラバラに売られてしまった。
でも、村にいるよりいいと思う。
ろくにご飯も食べられず、服もまともに着られない。
だから、神様は俺をここに連れてきてくれたんだ。
そう思うことにした。
初めは男に体をベタベタ触られるのなんて辛かったけど、もう慣れた。
色んな客もいたし、体も重ねた。
「椿」
優しい声。
俺を支配する声。
燭台の火がゆらりと揺れた。
ひんやりとした冬の風が入り込んだため、俺は目が覚めた。
弥三郎が障子を開けたらしい。
「寒い…」
俺は弥三郎に文句を言った。文句と言っても、ぼそりと呟いただけだけど。
「起きた?」
「…あの薬、もうやめろよな」
「あの薬?…あぁ、これのこと?」
弥三郎は懐から小瓶を出した。
媚薬が入っていると思うと、何か禍々しく感じる。
弥三郎は小瓶をちらつかせながら、蓋を開けて、薬を指に出す。
俺はびくりとした。
「ま、またする気かよ…っ!」
ニコニコしながら、弥三郎は指につけたそれを俺の唇に押しあてた。
「や、やめ…!」
こんなの口に入ったら、もっとおかしく……あれ?
「………甘い」
蜂蜜のようだ。
というより蜂蜜そのもの?
「椿が蜂蜜でよがる姿は、とても良かった」
「~~~!!!騙したな!!」
俺は真っ赤になって、怒った。
「騙したなんて、人聞きの悪い。媚薬だなんて言ってないじゃないか」
弥三郎はクスクスと笑っている。
た、確かに言ってなかったけど…!
「弥三郎様のバカっ!」
俺は悔しくなって、悪態をつく。
客に、しかも上客にこんなことを言ったなんて知られてたら、番頭から折檻 決定だな。
「またそんなことばかり言って、本当に椿は口が悪いな」
弥三郎は、口ではそう言うものの、クスクスと笑った。
普通だったら怒るところなのにな。
本当に変な奴。
弥三郎は毎晩律儀に通い、ついに今夜で一ヶ月となる。
昼に起き、井戸で顔を洗った。
今夜来てくれたら、俺は身請けされるのか。
なんとも実感が湧かないが、そういうことらしい。
「おはよ、椿」
「菖蒲 、おはよう」
紫の浴衣を着た菖蒲が顔を洗いにやって来た。
菖蒲も昨夜、遅くまで仕事だったから、眠そうだ。
「なぁ、鈴蘭と話とかしてるか?」
急に菖蒲は鈴蘭の話題を出した。
「いや、挨拶くらいはするけど…前みたいに話はしないな…避けられてるみたい」
「そっか…。椿、鈴蘭には気を付けろよ」
「え?」
「あいつ、自分が狙ってた旦那が他の子を贔屓しだすと邪魔するらしいから」
「邪魔する…?」
頭の中で、可憐に微笑む鈴蘭の顔が思い浮かんだ。
仲はいい方だったと思う。
けど、俺に身請けの話が出た途端、避けられるようになった。
弥三郎のことを狙ってたのだろうか。
鈴蘭は金持ちの客を特に大事にしていたし、お小遣いや贈り物もよく貰っていた。
金持ちであろう弥三郎に目をかけられたのが、自分ではなく、俺だったのが面白くなかったのだろう。
「とにかく、今日で一ヶ月だろ?気を付けろよ?」
菖蒲は心底心配そうな顔をしていた。
本当にいい奴。
「ありがとう、菖蒲。気を付けるよ」
俺はそう返事をして、部屋に戻った。
――――――
店の裏手側は昼だというのに、薄暗い。
そこに人影が二人。
一人は桃色の着物で着飾った美少年、もう一人は無精髭を生やした紺色の着物を着た男。
男はヤクザ者で、名前を藤一 と言った。
普段は賭博場で働いており、その金でここによく遊びに来ては、椿を贔屓にしていた。
……最近、椿が身請けされると聞いたため、買うことが出来ずにいるのだが。
「おい、本当にやるのか?」
無精髭を撫でながら、美少年に聞く。
少年は、スズランを模した髪飾りをすっと抜いた。
「勿論。あんたは椿を贔屓にしてただろ?」
「まぁな…」
藤一はあまり気乗りはしていないようだったが、少年――鈴蘭は、髪飾りを藤一に渡す。
「これ、螺鈿 でできてるらしいんだ。売ったらそれなりになるんじゃないかな?それとも、ヤクザ者は、これくらいじゃ動いてくれない?」
男はクルクルと髪飾りを指で回すと、懐にしまった。
鈴蘭の計画を聞いて、藤一は正直迷っていた。
椿の強気な態度が可愛いと思ったことはあるが、奪ってやりたいと思うほど、惹かれてはいない。
組の中でも藤一はそれなりに上の方で、仕事もまぁまぁこなしてはいるが、ふらふらと遊びに出掛ける方が良かった。
ただ最近、椿が買えないせいもあって、暇なのだ。
(まぁ、暇潰しくらいにはなるかなぁ…)
藤一はぼんやりとそんなことを思いながら、鈴蘭の計画に乗ったのだ。
ともだちにシェアしよう!