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椿の花が落ちる頃 十一

「椿、遅いですねぇ」 鈴蘭が弥三郎をちらりと横目で見る。 弥三郎は相変わらず、煙管を吹かしている。 (この男、何にも焦らない。椿のこと、心配じゃないのか?) 鈴蘭も余裕たっぷりの表情を作ってはいたが、弥三郎が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。 「椿が」 弥三郎はそう言って、ゆっくり立ち上がり、鈴蘭の前に座った。鈴蘭の耳元に近づき、 「椿が、どこにいるのか、知ってるね?」 弥三郎は微笑みを(たた)えながら、囁いた。 鈴蘭はその声音にぞくりとする。 「知りません」 鈴蘭は声が震えそうになるが、ぐっと堪えながら言い切った。 表面上は、嘘だと分からないはずだ。 「そうか……」 弥三郎は鈴蘭の首もとに顔を埋め、くんくんと弥三郎は臭いを嗅ぐ仕草をする。 「君、におうね」 「え……」 「嘘つきの、においがする」 ―――― 「お願い……やめて……」 俺は震える声で、懇願した。 『やめて』なんて言葉、俺は言ったことがない。 そんな言葉を言ったら最後、ここには居られなくなる。 俺は諦めてた。全てを。 ここで生きることを決めた日から。 ずっと諦めてた。 なのに…… 『椿』 俺を支配する声が、指が、目線が、 俺に居場所をくれた。 「椿、お前……泣いてんのか?」 そう言われて気づいた。 頬を伝う温かな水。 久しく涙など流さなかったのに。 「俺……あの人の所に、行きたいんだ……後生だから……お願い……やめて……後生だから……」 嗚咽の間から、じわりじわりと言葉が溢れ出てくる。 『後生だから』なんて、残りどれだけの寿命があるのか知らないけれど、俺は弥三郎とともに生きたい。 この命が尽きるまで。 途端、藤一の手の力が緩んだ。 組み敷いていた体は離れ、俺は体を起こした。 藤一は頭をボリボリ掻いて、「やめたやめた!」と言った。 懐から、(かんざし)を一つ取り出して、俺に差し出した。 「やっぱり、こういうのは性に合わねぇ。これ、返しといてくれ」 俺は恐る恐るそれを受けとる。 それは可憐な鈴蘭を模した簪だった。 ―――― 弥三郎は怒っていた。 せっかく欲しいものが手に入りそうになっていたところに水を差してきた、この小賢しい少年に、心底腹が立っていた。 小賢しい少年――鈴蘭は、弥三郎の気迫にすっかり呑まれていた。 体は震え、表情は恐怖に引きつっている。 いつもの可憐な笑顔の鈴蘭はそこにはいなかった。 「君は確かに可愛らしいな。さぞかし、上客に人気があるのだろう。だけどね」 弥三郎は鈴蘭の襟元を掴みあげ、ぐっと顔を近づけた。 「君は、(したた)かで、諦めという気持ちがない。ここから這い上がろうともがいている。私は、そういう身の程を知らない奴が嫌いなんだ」 弥三郎は鈴蘭の襟元を離した。 鈴蘭は畳の上に落とされ、げほげほと咳き込んでいた。 「花は、そこに黙って咲き続けるから美しい」 咳き込んでいる鈴蘭の顎を掴み、ぐいっと自分の顔に近づける。 「君のように、誰彼構わず根を広げようとする雑草は嫌いだよ」 弥三郎はそう言い切ると、部屋から出ていった。 鈴蘭は、畳に根が生えたように動けなかった。

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