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椿の花が落ちる頃 十四
雪はしんしんと降り、積もっていく。
廊下をわたり、様々な部屋の前を通ると、陰間に愛を捧ぐ声や湿り気を帯びた音、陰間たちの溺れるような喘ぎ声が聞こえる。
俺もきっと、こんな感じだったのだろう。
冷静な目でみると、動物のようにまぐわう地獄だと思う。
「ここだよ」と俺を下ろす。
やっぱりうまく立てなくて、廊下にへたりこむ。
「あのさ、鈴蘭が何かしてきても手を出さないで」
「血が出るようなことをしようとしたら、止めるよ?」
俺は頷いた。
この部屋だけ他の部屋と違って、しんとしており、静寂が部屋に満ちていた。
明かりもなく、雪明かりだけが、畳の上に人がいることを教えてくれた。
俺は立てないから、障子を開けて、這うようにして部屋に入った。
鈴蘭は俺に背を向けるように座っていた。
「鈴蘭」
俺は呼び掛けると、少しだけ俺の方を向いて、また背を向ける。
「……何しにきたの?」
「話を、しに来た」
俺は這いながら、鈴蘭に近づいた。
「何で這ってるの?」
「これは……その……」
やり過ぎて、立てなくなりましたとは、今は言いにくい。
多分、鈴蘭は弥三郎のことが好きだったから。
「あぁ、自慢しに来たんだ。あの人に可愛がってもらったって」
鈴蘭は自分の計画が上手くいかず、さらに俺が弥三郎に愛してもらったことが、気にくわないのだ。
「違う。そうじゃないよ……どうして、藤一まで使って、こんなことをしたのか……聞きたくて」
「『どうして……?』」
鈴蘭は俺の言葉を繰り返すと、すっと立ち上がり、俺の目の前までスタスタと歩いてきた。
「どうして、こんなことしたのかって……?そんなの、お前の邪魔をしたかったからに決まってるだろ!?」
可憐な笑顔とは違い、顔を歪ませて怒る鈴蘭に、俺は驚いた。
「お前みたいに、器量も教養も劣る奴に……何で僕が……」
「どうして、金持ちにこだわるの?」
「金持ちじゃなきゃ、身請けなんてしてくれない!僕は……ここを出たい……出たいんだよぉ!!」
涙を浮かべながら、叫んだ。
鈴蘭の心からの叫びだ。
「鈴蘭……普通の暮らしに戻りたいんだな。でも、きっと身請けされても、普通の暮らしなんて、戻れないよ」
身請けされるということは、借金を肩代わりされるということだ。
つまり、場所と所有者が変わるだけ。
きっとすることは変わらない。
「……っうるさい!!」
鈴蘭は思いっきり、俺の頬をぶった。
パンっと乾いた音が静寂に響く。
そして、その一発を皮切りに、鈴蘭は俺の体に馬乗りになって、何発も殴った。
「お前みたいな……っ、根っからの貧乏人に何がわかる……!僕は……大きなお店 の跡取り息子だったんだ……っ!父が騙されて、借金背負わされて……お店が乗っ取られて……僕だけが、僕だけが、取り残されて……っ」
殴る力はだんだんと弱くなる。
頬が腫れて痛いけど、それよりも鈴蘭の心が壊れていくのを感じた。
「わからない……俺は確かに貧乏人だし、口減らしのために連れてこられたから。けどここは、ご飯も食わせてもらえるし、着物もくれて、暖かい寝床もある。鈴蘭は良いところで育ったから、きっと地獄に落ちたって思ってるかもしれないけど、俺は最低最悪な地獄から、少しだけましな地獄に移っただけだと思ってる」
村にいたときのことを思い返す。
食べるものもなくて、いつもひもじかった。
垢もたまって、汚かくて、心も汚かったように思う。
「俺はここに来て、辛いこともあったけど、楽しいこともあったよ。菖蒲と鈴蘭に会えた。それが何より楽しかったよ」
俺は泣いている鈴蘭を抱き締めた。
「鈴蘭が、生きることを諦めてないなら、少しだけ、力を抜いて。あれもこれも欲しがって、頑張っても苦しくなるだけだから」
鈴蘭も俺を抱き締め返した。
「……ごめんなさい」と小さな小さな声で言ったのを俺は聞き逃さなかった。
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