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3 二人の飲み会
午後八時。泉葉橋駅南口。
古本屋のある北口側と異なり、南口側は繁華街が広がっているだけあって、人通りが多い。
行き交う人々の足音や話し声をBGMに、購入した恋愛小説を捲っていると、とん、と左肩を軽く叩かれた。
「清正 さん、お待たせしました」
その声にはっとして顔を上げると、清水くんが片手を上げて立っていた。走って来たのか、その肩が上下に大きく揺れていて、白い頬も微かに赤みが差していた。
「寒かったでしょう。暖かい場所で待ってくれていても良かったのに」
「大丈夫だよ。寒いくらいが落ち着くから……くしゅっ」
言ってる傍からくしゃみが出てしまい、私は思わず頬を火照らせた。
清水くんはそんな私を見て目を細め、そっと私の手を取った。私よりも少し大きな彼の手は温かく、触れているだけで心地いい。
「早く体を暖めに行きましょう。清正さんが本格的に風邪を引いてしまう前に」
「……ありがとう」
私が清水くんの手を握り返すと、彼は翡翠色の目を輝かせてにっこりと笑った。
清水くんと手を繋いでやって来たのは、最近改装工事をしたばかりの居酒屋。昔は、薄暗くて、一人飲みのおじさんが目立つ居酒屋だった。が、改装により壁の色はパステルピンクに統一され、個室も増設されたため、おじさん客よりも若い女の子客の姿が目立っていた。
「僕は前の方が好きだったんですけどね。お客さんは仕事帰りのおじさんたちばかりで。その匂いがいいんですよねえ。それをツマミにおいしいお酒を飲むが好きでした」
私たちが案内されたのは、掘りごたつのある個室。私と向かい合う形で座った清水くんは、早速オーダーしたビールをあおりながらしみじみとそう呟いた。
綺麗にアイロンの当てられた薄緑のワイシャツに紺色のベストという、私服もきちんとしている清水くん。だが、常に微笑みを湛えて丁寧に対応する店員の時と異なり、こうやって二人で飲む時はどこかくだけたような印象になる。笑い方も穏やかというよりは、幼く見えて、それもまた私の心を大きく揺さぶる要因だった。
「君の好きな匂いって言うと、おじさんの加齢臭かい?」
「加齢臭もですけど、そこに煙草の匂いやお酒の匂いも加わると最高ですね。古本もそうですけど、ああいう独特の匂いって僕にとってはすごく安心できるんです。特に、清正さんの匂いはいいですねえ。今のところ、僕のベストオブ加齢臭です」
「はは、褒められているのか貶されているのか分からないなあ」
「もちろん、褒めてるに決まってるじゃないですか。僕は清正さんに恋してるんですから」
うっとりと目を細めながら、愛の告白をしてくる清水くん。
この三ヶ月、彼と会う度に言われるが、未だに慣れなくて体のあちこちがむず痒く感じてしまう。
冗談が上手いね。
無理にお世辞とか言わなくていいから。
……と、色々返してはみたものの、清水くんは決まってこう返してくる。
『いいですよ、信じてくれなくても。僕は本気ですけどね』
穏やかな笑顔でそんなことを言うものだから、ますます疑わしく思ってしまう。
自分と二十二歳も離れた四十四歳のおじさんを「一目」で好きになって、おじさんに振り向いてもらうためにこうやってデートをしたり、ホテルでセックスに誘ったりする若者がいるなんて、未だに信じられない。
おじさん自体が金持ちだとか、年をとっても性的に魅力に溢れているだとか、そういう分かりやすい理由があるなら、まだ納得できる。
だが、私には清水くんに好かれるような特別なものは何もない。……しいて言うのなら、彼が好きだと言う私の加齢臭……くらいだろうか。
「……清正さーん、黙っていられると寂しいんですけど~」
「あ、ごめん。何か言ったかい?」
「ええ、言いましたよ。清正さんが好きですって」
「あー……ありがとう」
「そろそろ『ありがとう』以外のいい返事が欲しいんですけどねえ?」
頬杖をつき、清水くんがじぃ、と私を見つめる。翡翠色の目がとろん、としているし、頬も既にピンク色だ。ビール一杯だけですぐに酔ってしまう彼は、本当に可愛らしいと思う。
「そうは言ってもねえ……」
「信じられないですか?」
「うーん……清水くんがおじさん好きっていうのはよぉく分かったよ。おじさん好きというか、おじさんの匂いフェチというか」
「今は清正さんフェチですよ、僕は。他のおじさんの匂いより、清正さんの項の匂いを嗅ぐ方が好きです」
「……やっぱり、褒められているようには感じないかなあ?」
「本当なのになあ」
肩を揺らしてくすくす笑いながら、ジョッキに唇を付ける清水くん。既に酔いが回っている状態なのに、彼は音を上げるまで飲むのを止めない。そのお陰で、ホテルに向かう時は必ず私が彼を支える形になる。そうすると、私の項に顔を埋めてすんすんと鼻を鳴らすのだ。そのくすぐったさに、いつも私は笑ってしまう。
その光景を思い出して私もくす、と笑い声を零したところで、簾の掛かった出入り口から「失礼します」と女の子の声が聞こえてきた。
「お待たせしました。今日の焼き鳥おススメ三種盛りでーす」
ソフトブラウンの三角巾とエプロンを身に着けた女の子が、香ばしい匂いを漂わせた焼き鳥の皿を清水くんの手前へ置く。
「ありがとうございます。追加で蜂蜜入り梅酒お願いします」
本屋でよく見る穏やかな笑みを湛え、背筋を伸ばした清水くんが空になったビールジョッキを女の子に差し出す。「かしこまりました」と返事した女の子の声は弾んでいて、簾の向こうへ引っ込む瞬間、見えた彼女の頬はほんのりと赤く染まっていた。店員の女の子が清水くんに見とれるなんて、何度も見てきた光景だ。きっと、大学でも同じように女の子たちから好意を寄せられているんだろうな、と思う。おじさん好きの中身はともかく、見た目はとても綺麗な子だから。
「清正さーん」
聞こえてきたその声は、さっき店員の女の子に向けていた穏やかな好青年のものじゃなくなっていた。視線を向ければ、再び頬杖をついた彼がうっとりして私を見つめている。店員の女の子が清水くんに向ける眼差しにそっくりで、私は思わず苦笑いした。
「清正さんに、触りたいです」
「え、も、もうホテル行くの? 注文、したばっかりでしょ?」
「ホテルも行きますけど、ご飯も食べますよ。触るって、別にエッチな意味で言った訳じゃなくて、単に肌に触れたいって意味です」
「そ、そう」
「手、貸して下さい」
にこにこしながら、私に両手を差し出す清水くん。その可愛らしさに目眩を覚えつつ、私は右手を差し出した。特別大きくもないし、指先が冷たいだけの私の手。だが、それを両手で包み込んだ清水くんの表情は蕩けていた。
「清正さんの手、好きです」
「そう、なのかい?」
「はい。この手に触られるのが、大好きだから……」
そんなことを恥ずかしげもなく言い放ち、掴んだ私の手へ自分の頬を擦り付ける清水くん。
そういえば、清水くんは、セックスの最中もよく私の手を取っては頬に擦り付けている。私の手がローションやカウパーで汚れていても、お構いなしに擦り寄ってくるのだ。彼のきれいな顔を汚してしまう罪悪感と、汚すことを許される立場にいることへの優越感。反する感情に挟まれながら、私は彼と体を重ねている。
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