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第3話

 続いて来店したのは、先の三人より年配の二人だった。  カウンターの奥に手招かれた二人は正反対の印象で、ダンディなヒロシと素朴なおじさんといったサトルを交え、場はいっそう賑わった。 「ナオト、誰がタイプだ?」 「え? いや、違うって」  ボックス席で顔を突き合わせてニヤニヤ笑う、引き締まったカズキの頬を殴ってやる。そうしながら、カウンターの一番右端に座る、愛嬌あるゴマ塩の顎にチラチラ横目を走らせた。  それから十分ほど空け、カウベルが響いた。 「マサさん! こっち」  入り口に近いコーイチに呼ばれ、のんびりと店内を横切ったのは、知的で端正で、独特の雰囲気を持つロングコートの男性だった。ふわりとセットされたロマンスグレーの長めの髪は老年の色だが、すっきりと背を伸ばした大きな歩幅は年齢不詳で、上質なコートも品良く深い光沢があった。 「ごめん、遅刻だ」 「なんのなんの」  気負いのない掠れた声もセクシーだった。べつにタイプというでもなく、勝手に鼓動が乱れて驚く。空けられた席に腰掛けた足は長く、場を一瞬でしっとりさせた美老年の迫力に、ナオトは感嘆の目を向けた。  店内には少しずつ人が増え始めていた。滅多にないそれに、手伝おうかと声をかけたカズキにシオンママは「良いわよ、待たせりゃいいのよ」とペースを崩さず、酒とツマミの準備をしている。  騒がしくなった店の入り口で、チリンとカウベルが響いた。 「悪い悪い」  息を切らせて入ってきたのは、ギターケースを担いで、ふんわりと白い髭を口と顎に蓄えた老人だった。 「遅ぇぞ、ソウさん!」 「寄り道したらつかまっちゃったよ」  声を張り上げたコーイチに、老人は明るい声を返した。スタジアムジャンパーにチェックのワイシャツ、少々腹の緩んだイージーパンツの出で立ちで誰ぞに声を掛けられ、おお! と瞳を丸めて挨拶を返す姿は、近くで見ればなかなかに男らしい。日に焼けた肌と、白い髪を束ねた茶色いリボンが、不思議とチャーミングに似合っていた。  座の中心に迎えられたソウの前に、ボトルとグラスが置かれた。続いて置かれたアイスペールに喋りながら手を伸ばしたのはサトルで、当然のようにロックを作る短い白髪混じりの背中が、妙に場にマッチしていて可笑しい。  なんか弾いてよ、と甘えて強請るママに、ソウはいいよと快く応じた。  渡されたグラスに口をつけ、ギターを取り出す。ケースはママが引き取り、両隣のマサとサトルがそれぞれ身を引く。  開いたスペースで爪弾かれたギターは、丸みを帯びていて耳触りが良かった。ソウは手慰みのギターで朗らかな髭で笑い、仲間と会話を楽しんでいた。 「かっこいいな」 「だな。良い人だぜ、ソウさん」 「話したことあるの」  店内に流れていたジャズ風の音楽は、いつの間にやら途絶えていた。 「気さくなんだよ。全然陰がない」 「ミュージシャン?」 「セミプロじゃないか? 普段は千葉で民宿経営してて、そこでライブやってるって聞いたよ。ちなみに、マサさんより一つ下」 「えっ」 「七十だったかな」 「こら」  耳ざとく振り向き、目配せで笑ったマサに二人して泡を食い、赤面した。  可笑しげに愛嬌を滲ませたマサの黒目は、しっとりと濡れていた。頬に寄ったシワは深く、耳に残る掠れた声に、ナオトは妙にドキドキした。 「ヤバかった……落ちそうになった、いま」 「おい、マサさんには行くなよ?」 「なんだよ、行くなって」 「この後のお楽しみ」 「なんだそりゃ」 「おまえ本当に知らないんだな」  にんまりと色を乗せて笑う、悪戯っ子のようなカズキの顔に呆れた。なんのことやらさっぱりだ。それにとナオトは、右に視線を走らせた。  さっきからどうにも気になるのはカオルだった。ちらちらと盗み見る屈託無い笑顔に、胸が騒いで止まらない。 「なあ、カズキ」 「ん?」  テーブルに身を乗り出し、こっそり耳打ちする。 「あのカオルってひと、幾つなんだ? 七十には見えないけど」 「六十そこそこじゃないか?」 「ああ、そう」  それでも六十。まあそうだよなと納得せざるを得ない。ナオト自身、四五歳と、気付けば加齢臭のする中年の域だ。いっぱしの大人と思っていた三十代が、今はどうにも幼く思える。 「カオルさんは狙い目だぜ?」 「え?」 「乗ってくる率高いって話」 「……へえ」  そう言われると、気も失せる。小綺麗な身なりのナオトはこの界隈では受けが良く、壮年の今でも遊び相手には事欠かない。  なにを期待していたのかと、ふと冷静になって辺りを見回し、瞬いた。 「ずいぶん人が増えてないか?」 「まあね。そろそろじゃね?」  カウンターの奥の七人が、またなと笑って、グラスを鳴らした。ママがソウに耳打ちし、茶色いリボンが笑って頷く。  椅子から立ち上がった白髭のソウの、ギターの響きが変化した。  掻き鳴らされた六弦の、短く甘い余韻に歓声が上がり、口笛が響いた。小さな空洞から広がる、アコースティックな哀切と情熱。鈍く擦れ、消え、膨れる和音と小気味好い打音。  ソウの十指から生まれる音色にナオトは意識を奪われ、カウンターに入るリボンのギター奏者を恍惚の顔で見送った。 「すごいな」 「年季入ってるよな。いっぺんソウさんに抱かれてみたいね」  下卑た感想だが同感だった。情感たっぷりの巧者のギターに五感を囚われ、こんな官能もいいもんだなと、店内の熱気に目を細めた。それからふと視線を感じ、ナオトはドキリとスーツの肌をざわめかせた。

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