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第4話
そうっと向けた右目の先、いつの間にやらこちらを向いたカオルが、照れ臭そうに仲間と笑い合っていた。
「頑張れよ」
ふと肩を小突かれ、どういう意味だと見上げる先で、カズキが席を立った。タイミングを合わせたように、カウンターではコーイチが、続いてカオルが立ち上がり、グラスを手に歩み寄ってくる。
「相席いいかな」
「はい」
コーイチが通り過ぎ、腰を屈めたカオルのつぶらな瞳に、鼓動が乱れて沸き立った。向かい合って腰掛けた、短い黒髪と垂れた眉。愛嬌ある目元の柔らかなシワ。
どうもマズいな、と泳ぐ目端でカズキを探した。
「あいつ、マサさんに行ったな」
ナオトの視線を追い、勇気あるなあと可笑しげに喉を鳴らしたカオルの可愛い目元に、ナオトの鼓動は忙しない。いいなと思って見てはいたが、今はなんだか妙な気分だ。ソウのギターにすっかり乗せられ、気持ちも体も落ち着かない。こんな状態は久しぶりだ。
ナオトは恍け、カオルを倣ってカズキを眺めた。カウンターに残ったマサの周りは十人弱の人だかりで、カズキはその中程で無邪気にマサにじゃれ付き、強引にグラスを合わせて中身を一気に飲み干した。
「隣、いいですか?」
テーブルの横に二つの影が立った。
視界を遮るそれに顔を上げると、店では見かけない青年が二人、カオルとナオトに愛想を向けていた。
「ごめん、俺はこの子だ」
カオルはあっさりと手を立て、ナオトを指差し、誘いを辞退した。
ナオトはそれに動揺し、熱を帯びそうな頬を隠して、もう一人の青年に断りを入れた。
「あ、いや、いいよ、気にしないで」
「いやいや、気にしますよ」
「見てた気がしたんだけど、違った?」
不意打ちの直球だった。ナオトは言葉に詰まり、素直に言えば負けな気がして、話を逸らした。
「これ、なんの騒ぎなんです?」
丁度いいと、カオルに状況説明を求めた。店内は賑やかしく、バラバラに散った老年五人のそれぞれに人だかりが出来ている。
「大したことじゃないよ。ちょっとした賭け」
「賭けですか?」
「ママとあの、ギターのおじいちゃんがスポンサーでね、年に一回、俺たち六人の誰か落としたら、アルコール無料券十枚進呈っていうの、知らないか」
「あはは」
そういうことか。
「もう年寄りだからね。いろいろ工夫して。これで必死なのよ」
「またまた」
「ほんとだって、俺とあっちの、入り口のところのサトルさんて、あの斑ら白髪のおっさんは人気ないのよ」
「そんなことないでしょう」
弱さを装い、こめかみを掻いて笑う少々あざとい老年に、ナオトは意地悪く、好意的な笑みを浮かべた。
「サトルさんも、可愛いおじさんて感じで良いですね。無精髭とか、ぼくは好みなんですよ」
「アレ? これフラれるコース?」
「いえいえ、ハハ」
恍けたところのあるカオルは、あまり歳を感じさせない、話しやすい男だった。そのくせ、一度合った視線を絶対に離さない執拗さがあった。
ナオトはカオルのつぶらな瞳と、ソウのギターにスーツの身を晒し、腰のあたりが落ち着かなくなって弱ってしまった。
「その、落とすっていうのは————」
口に出してから、しまったと思った。これでは、気になっているのがバレバレだ。
向かい合うタレ眉と、愛嬌ある目尻のシワに、微かに強かな色味が滲んだ。
「するしない、でもいいし、付き合う付き合わない、でもいいんじゃないかね? そこは自己申告で、あとはソウさんとママの判断」
「へえ……」
「カオル」
「ん?」
カオルと背中合わせのボックス席で、コーイチがぞんざいに首を捻じ曲げた。そうしてナオトに皺深い目を投げ、ゴマ塩ヒゲになにやら耳打ちしてニヤニヤ笑う、地黒の細い顎にムカッときた。
「なんですか?」
「いーや? なんでもぉ?」
一転して、コーイチは人好きする笑みで手を振り、前を向いた。兄貴風を吹かすその左腕には、店では見かけない頑健な体つきの、若い男が収まっている。馴れ馴れしく頭を傾けるアッシュグレーに、満更でもなく大きな身を寄せ、楽しそうに酒を飲む若者の姿を、ナオトは少しだけ羨ましく眺めた。
「それでな」
「あ、はい」
グラスに口をつけかけ、身を乗り出したカオルの真面目ぶった顔に、居住まいを正した。カオルはチラリと背後に視線を投げ、それから僅かに耳の縁を赤らめ、声を潜めてみせた。
「単刀直入にいうと、俺はナオトくんとまあ、背中のおじさんみたいなことがしたいわけよ」
「ああ、はは」
「ダメかな」
「いえ、ぼくでいいんですか? もっと若い子じゃなくて」
ナオトも同じように身を乗り出して照れを誤魔化し、カオルに合わせた小声で返した。内緒話を楽しむナオトに、つぶらな瞳が情けない上目になった。
「俺はさ、ナオトくんがいいんだ、今日は最初からきみばっかり気になっちゃって……ああ、マズい、言っちゃった」
————マズくない。嬉しい。恥ずかしそうに辺りを窺う丸いゴマ塩の顎に、好ましい思いで鼓動が逸る。
カオルは諦めた体でタレ眉を更に下げ、後頭部を掻いて口元を尖らせた。
「ただその、ぶっちゃけ、踏み込んだことを言うと俺はタチなんだけど」
「ああ、はい、それは」
ナオトは八割型ネコだった。半世紀近く生きて言い出しにくくなったそれに、多少目が泳ぐのは勘弁してほしい。
「無理ならそっちは無しでもいいんだ。ただもうちょっと、……出来れば人目の無いところできみと話がしたいなあとか」
奇遇ですね、とナオトは軽く笑い、相手に合わせる顔の一息で、グラスを空にしてみせた。
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