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第9話【孤独な愛】「免罪符にもならない」
絶対だなんて約束できない。
八歳年下の義弟が言ったように――何が起こるか分からない。
君の誕生日は絶対一緒に過ごそうと約束をしながらも、僕はマイコプラズマ肺炎にかかった。
発症し入院してから、一日が経ち、二日、三日と時が過ぎ…相変わらず発熱は続いている。
そして10月13日、僕は壁に掛けられたカレンダーをぼんやりと眺めながら「矢張り、無理かぁ」と気力なく呟く。
あの子と一緒にいたかったなぁ。
滅多に笑わない彼が、祝福の言葉に唇を綻ばせるのを想像するだけで、不思議と幸せな気持ちになった。
「初めから駄目だと分かっていたのでしょう。」
そろそろ点滴を始めてから一時間が経過する。
看護師ではなく若狭直々に、様子見と針を抜きに来たのだ。
そして「貴方は本当に愚かですね」と冷やかに見下ろしてきた。
それが患者に向ける目かと思わず突っ込んでしまう。
「失礼。諦めの悪さが見苦しくつい。」
「ひ、酷いっ。可哀想な患者に向かい酷いっ。」
「酷いのは貴方でしょう。錦が気の毒です。」
気の毒と言うのは、約束を違える事ではない。
現時点で錦は僕が入院していることを知らないのだ。
入院当日まだ諦めきれなかった僕は、錦に連絡をしなくてはいけないと分かっていても連絡が出来なかった。
嫌、違う。
出来なかったのではなく連絡をしなかっただけだ。
約束を取り付けていた自分が病気で反故にするなんて格好悪すぎる。
情けない。最低最悪だ。――ただ、これだけの理由で連絡をしなかった。
「素直に、マイコプラズマ肺炎になったと話せば良いのに。」
「いやですよ。そんなこと言ったら錦君夜も寝れないほど心配するでしょ!?あの子性格きついけど優しいんですから!」
よよよと、泣き真似をするが若狭相手にこんな事をしても無意味だ。
「嘘ばかり。貴方が錦の前で格好付けていたいだけでしょう。」
「ばれたか。」
錦が優しいのも事情を知れば死ぬほど心配してくれるのも想像に難くない。
しかし連絡をしない理由として無関係であれば若狭の言う通り、嘘になる。
錦の為ではない。錦を心配させたくないからではない。
子供じみた理由のため、つまりは僕の為だ。
若狭は責めているわけではない。ただ呆れた口調で苦笑する。
この男は僕の不誠実を責める程、他人に興味がある訳でも情が深い訳でもない。
「知っておりましたが、本当に誠意の欠片もない男ですね。」
窘められ、僕はそこで嘘泣きを止め無理にでも笑ってみせる。
「何を今更。自己中心的なのは良く分かってますよ。」
おまけに打算的だ。
加えられた若狭の言葉に声を立てて笑い、続けて咳き込んだ。
僕に誠意が有れば、入院決定日にすぐに錦に連絡をして事情を説明しているはずだ。
そしてありとあらゆる言葉を駆使し、錦の不安を払拭してみせただろう。
残念ながら僕は狡く嘘吐きな男なので、正直に事情を話すつもりなど最初から毛頭無い。
取り敢えず「必須単位を取る為のレポートが間に合わないので、約束守れそうにないです。御免許して」等と言う言い訳で乗り越えようと思ったのだ。
連絡を入れてしまえば、そこで約束自体が終わってしまう。
だから未練がましく連絡を入れるのを躊躇っていたが、――約束の日へと迫りやはり無理だろうと悟った時、下らない意地の為に、それに見合う下らない言い訳を思いついた。
未練を切り捨て思いついた言い訳に、こうなれば約束当日ぎりぎりに切羽詰まったように連絡を入れた方が、真実味があると厭らしくも感情と行動の帳尻を合わせたのだ。
「根性の腐った方だと理解はしておりますが…貴方、錦を馬鹿にしすぎでしょう。貴方が思う程あの子は幼くありませんよ。」
「え?子供じゃないですか。あれだ、大人びていても、僕の前ではただの子供、唯の天使なんですっいやもう、そんな所も可愛い…あいたっ痛ててて‥腹が滅茶苦茶痛い…。」
「そういう意味ではありません。貴方多分錦に泣かされますよ。」
「泣かされるより泣かす方が好きです。」
年齢にそぐわない大人びた思考に価値観。
若狭の言いたいことは分かっているが、錦は箱入り特有の世間知らずだ。どう考えても騙されやすい。
隙が有れば付け込みたくなるでしょう?
僕は誠意の欠片もないし、狡猾なので彼の未熟さに乗じる事にした。
しかし、それは錦自身が知らなければ、不誠実な義兄は存在し無いも同然なのだ。
錦にばれなければ、錦と僕の間には嘘は成立しない。
――免罪符にもならないが、錦の誕生日は祝いたかったのは、嘘偽りはなかった。
「し、しかし…ごほごほ、うぅ、病気の所為か相手が錦君だからか…罪悪感感じるんですが…え?これ罪悪感?いや、これは、あれです、罪悪感ではない。恋のときめきなんです。」
「罪悪感があるのが普通なのです。恋のときめきだなんて、それは錯覚。貴方は罪悪感を感じているのです。貴方が最低なのはわかりますが、必要以上に偽悪的になるのも 自分を誤魔化すのもお止しなさい。不幸になるだけですよ。」
言われなくてもわかっている。だがそれが如何した。
僕にはやるべきことが多いのだ。
「うはぁっ、先生、洗脳は止めてください。おふっ、しかし可愛い錦君との約束を破るだなんてもう駄目です。 若狭さん僕死にたい…錦君を殺して僕も死ぬ。 錦君可愛いっ…ケホッコホッ‥あの子がもう少しでも良いから不細工だったらよかったのに。 待てそれは人類の損失だった。撤回します。」
うつぶせて咳き込みながらシーツを乱していると、嘲笑うでもなく怒るでもなく抑揚のない声で若狭が「分かりました」と答える。 頤を支えるように指を当て、思案顔だ。
「分かりました。強情で悪い子の海輝さんが死にたくないと懇願したくなる様な目に合わせて差し上げましょう。何分持ちますかね?」
「…あっ悪魔っ」
「白衣の天使に何を失礼な。医者のはしくれとして、患者に命の有り難さを理解して頂く為には苦痛を与えるのもまた一つの手かと思いまして。」
「…。うぅ、酷い」
こうして僕は高熱に苦しみながらもう一日を乗り越え、14日の午後に病室を出た。
たっぷりの水分で喉を潤し、嗄れた声に僅かでも滑らかさを取り戻す。
そうして重い体を引きずり病棟のエレベーター前に設置されている公衆電話ボックスへ入る。
オフフックし慣れた番号をプッシュする時は手が汗ばんでいた。
おかしい熱は微熱にまで落ち着いたのに。
リングバックトーンを聞きながらカウントしている時なんて、死刑宣告を待つような気持だった。
錦相手に、有り得ないだろう。
有り得ないと思いつつも、やはり誠意の欠片もない僕は、電話に出た錦に病気です等と言えず「大学のレポート期限がヤバい。許して御免。愚かな豚野郎と罵ってください。会ったら土下座して錦君の靴舐める。 靴と言わず足の指一本ずつぺろぺろするっ!…ん?待てよ。これ女王様プレー?ご褒美有難うございます。」と謝罪した。
暫く無言の錦に、ついに僕は「いややっぱり、そっち行く。提出物なんてどうにでもなる。」など口走ってしまう。
おいおい、海輝それは不味いぞ。
相手は免疫抑制剤を使用している為、免疫機能が低下してるんだぞ。
家庭内害虫並の生命力の持ち主である僕とは正反対の、感染症にかかりやすい生き物だぞ。
しかし、口に出した言葉は取り消せない。熱の所為だ。
冷静さを欠いていた。本当に死にたい。
一体どうしてしまったのだ。
僕は何をしている。何なのだこの矛盾は。
――『提出物の期限を守れない様な男とは同じ空気を吸いたくない。責任を果たすまでお前とは会わない。…変態め。病院行け。頭の中も見て貰え。』
相変わらず小学生とは思えないクールさ。
「何それ、何時もの脳外行け精神科行けとかいうやつ?錦君のいけずっ。でも埋め合わせするから!本当にごめ」『黙れ。煩い男は嫌いだ。』
言葉を遮られ、実に冷たい声で『俺は規則を守れない男は嫌いだ。お前が今週末忙しい事は分かった。 謝罪の言葉も聞いた。ならばお前がすべきことは今すぐ電話を切り義務を果たすことだ。俺の事などどうでも良い。お前はまず自分の事を考えろ。』 そう言うと、彼は僕の言葉を聞かず『無理をするなと始めから言っている。おいっ、呆けるな、もう切るぞ』と言い通話を終了させた。
…あれ?会話終了?
「え?錦君?嘘?錦くぅうん??」
ツーツーと響く不通音に僕は茫然とした。
モヤモヤとした気持ちが溢れそうなのに、空っぽになった様な喪失感。
――…あれ?
「錦君が物わかりの良い子でよかったー騙されやすくてラッキー」なんて下衆の極みとしては喜び安堵する筈が、胸糞悪い罪悪感で自己嫌悪に陥る。
この僕が自己嫌悪だと?
彼が不機嫌になれば僕は新たに懇願したが、錦はあっさりと約束を寸前で反故にした僕を許容した。
――錦の何時もの声音、執着を感じさせない言葉に、何故かショックさえ受けていた。
そんな馬鹿な。
何か別の反応を期待していたと言うのか。
――何故虚しいと思ったのか。
錦が「嘘つき」とでも駄々を捏ねたなら、今の様な虚しい気持ちにはならなかっただろうか。
「虚しい?いやこれ気のせいです。そうですよね!熱出て頭が可笑しいんですよ今。そうでしょう?」
部屋に戻りベッドの上で足をバタつかせる僕の傍らで、スポーツドリンクやミネラルウォーターを持参した若狭が僅かに眉間にしわを寄せる。
「頭が可笑しいのは元々でしょう。しかし我儘な男ですね。知ってましたけど。」
「若狭さん、もう僕今泣きそうなんで、慰めの言葉をくれないなら放っておいてくださいよぉ。え?やはりこれ、恋ですか?」
「僅かに残された良心、または純粋さと言う事でしょう。」
午後からオフだと言うのに、ご苦労な事だ。
マスクはそのまま白衣を脱いだ彼は、林檎の乗る皿ごと僕に差し出す。
形よく兎を模して皮が剥かれていた。 有り難いが、食べられる筈はない。
今はだいぶ落ち着いたが、咳をし続けた所為で、気管支や肺が酷く痛み、酷い時は肋骨に罅を入れたのではないかと疑う程の痛みが走った。
兎に角、肺と腹筋は常に痛むので食欲が全くないのだ。
「貴方、錦と違い変な所で捻くれてて子供なんですよ。」
――幸せになりたいなら、素直になりなさい。
「僕は素直ですよ。」
マスクを細い頤に引っ掛けて林檎を咀嚼しながら彼は「困った坊やですね」と溜息をつく。
本当に嫌な男だ、こんな時に正論なんか聞きたくない。
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◇10月16日の誕生花
花煙草(ニコチアナ):秘密の恋、孤独な愛
私は孤独が好き、一人にして、君あれば淋しからず
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