5 / 21

第5話「逃亡」~AKARI INTERFACE~

 北見輝弥が母親の再婚相手として現れたのは、優穂が心に傷を負った時から僅かに一年と数か月が過ぎた折だった。  優穂は逃げるように自宅マンションを飛び出し、丁度来たバスに乗り込んだ。行く当てもないまま、駅のターミナルまで来てしまった。  駅は人混みので溢れているのに、知人は誰もいなかった。力なく備え付けのベンチに腰を下ろした。 ――何でよりによってアイツなんだ!  封印していた記憶が、堰を切ったかのように溢れ出て来る。幾度となく思い巡らせると、怒りだけは収まってきた。 ――わかってる。間違っていたのは俺…。男なのに…。あの時の俺はおかしかった…。だけど…。  少人数とはいえ、笑いものにされた記憶が再生され、胸が押し潰されそうになった。  ふと、まだ学校にいるであろう親友、二人の顔を思い出す。そうすると少し気持ちが和らいだ。  一人は小学校以来の親友、前原洋治(まえはらようじ)。ひょろりと背が高く、細い目でいつも笑っている。柔和で一度も喧嘩になったことはなかった。もう一人は金田祥平。前原とは対照的に小柄で、小動物のような印象がある子供っぽさの残る少年だった。  二人はまだ部活中だろう。電光掲示板の時計に目をやると、十七時になろうとしているところだった。  学校へ戻ろう。いきなり優穂は思い立ち、バスへ飛び乗った。  学校は部活動の生徒で賑わっていた。帰る生徒とは逆流する形で美術部の部室に向かい、その途中でトイレ帰りの金田とばったり出会う。 「あれ、優穂!帰ったんじゃなかったのか?」 「帰ったは帰ったんだけど、早めに用が片付いたからさ…。美人のモデル、見に来た。」 「それがさぁ…。」  金田は大きな溜息を吐く。 「モデルの子は前原のクラスの姫川燈(ひめかわあかり)って子なんだけど…。」 「名前からして美少女じゃないか。」 「だろう?だけどさ…。」  そこで金田は溜めを作ってから、失意の叫びを繰り出した。 「女じゃなかったんだ!」  一瞬、面食らった優穂だったが、幼馴染の人となりから経緯が想像できて吹き出した。 「まあ…洋ちゃんならあり得るか、男女の分け隔てがみられないもん。」  落胆する金田を宥めて部室へ向かう。 「なんだよ、都山。今日は部活欠席って聞いてたぞ。」  扉を開けると、部長がいち早く気付いて声を掛けてきた。 「美人のモデルが気になっちゃって…。」  金田に言った言い訳を繰り返してみた。 「あぁ、燈ちゃんね!」 「…ちゃん付け、やめて下さーい。」  部長が揶揄うように言うと、クロッキー帳を持つ生徒やキャンバスの置かれたイーゼルに囲まれた中央から、テンションの低い声が聞こえてきた。  視線を送ると、すらりとした体躯の少年が、声以上に不機嫌な表情で佇んでいた。その顔は決して女性的ではなく、少年特有の瑞々しさが備わった無駄のない造形美で構成されている。  優穂も彼を描きたいという意欲を掻き立てられ、自分の持ち場であるイーゼルの前に立った。 「そこの…今、入ってきた人!クロッキーだけの約束なんで、守ってくれよな!」  モデルに指摘されて、優穂は苦笑する。 「無理矢理連れて来たから、機嫌が悪いんだ。…普段は優しい子なんだよ。」  隣の前原が小声で姫川燈をフォローした。  チャイムが鳴り、下校を促す放送が流れてきた。姫川が終了と言わんばかりに、中央から抜け出す。 「あ、こら、あとちょっと…!」  三年の生徒が引き留めたが、聞き入れずに姫川は鞄を取った。 「前原、帰るよ!」  前原は慌てて、使っていた道具を片付け始める。 「片付けるから、ちょっとだけ待ってよ。」  頷いて大人しく待っている姫川を見て、こちらが本当の彼なのだなと独り言ち、優穂は彼を可愛く思った。  優穂と金田、前原に加わり、姫川も一緒に並んで校門に向かう。途中、すれ違う生徒数名が姫川に目を奪われていた。  何気に姫川と並んだ優穂は、彼の方がほんの少しだけ背が高いと気付き、なんとなくがっかりした。 「姫川君って、どこ中出身?」  他愛ない会話の合間に金田が質問した。姫川は一瞬固く唇を結んだが、しかし空気を読んだように答えを洩らした。 「中学の三年間は日本にいなかった。」 「帰国子女!?すっげぇな!何処の国?」 「…アメリカ。好きで行ってたわけじゃないから…。」  姫川はこの話を余りしたくなさそうだった。そんな空気を感じつつも優穂は湧き上がる興味に逆らえず、更に質問を加えた。 「もしかしてハーフなの?」  異国の血が混じっていると言われれば、それは十分納得できる要素を彼は持っている。 「たまに言われるけど、どうだったかな?…多分そうなのかも。」 「多分?」  曖昧すぎる返事に、優穂と金田はきょとんとする。そのタイミングで校門を抜けると、姫川は優穂達とは逆方向へ足を向けた。 「じゃ、俺はこっちだから。…良い週末を!」  足早に去って行く後ろ姿を、三人は暫く見送った。 「逃げたね。」 「逃げた。」  煮え切らない優穂と金田を、前原は歩くように促した。そして神妙な面持ちで呟く。 「姫川君、両親いないみたいなんだ。…詳しくは聞かなかったけど、あまり詮索しないであげてほしいな。」  優穂はもう一度だけ、姫川が進んだ方向に視線を走らせた。薄暗がりの中、その姿はもう見止められない。 「姫川君と仲良くなりたかったら、色々と詮索しちゃいけないんだよ。」  古くからの付き合いの前原の言葉に、優穂はふと自分にもある不可侵領域の事を思い出す。この優しい幼馴染は、優穂が誰にも言えない悩みで苦しんでいた時も、理由を訊かずに優しく接し続けてくれた。  その事からも姫川燈に踏み込んではいけない領域があると直感できた優穂は、湧き上がる彼への興味に、そっと蓋をした。

ともだちにシェアしよう!