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第10話「侵食」

 終業式が終わった正午過ぎ、重い足取りで帰宅する優穂の前に、北見の運転する車が停まった。助手席には景子の姿もあり、今から仕事先へ向かうようだった。 「輝弥君に送ってもらうの。…多分、今日は輝弥君も戻らないと思うわ。優穂、一人だけど、大丈夫?」  きらきらした景子の笑顔とは対照的に、若干、北見は苦笑している。 「大丈夫だよ。仕事、頑張ってね。」  今日は北見が帰らないと聞いて、心底ほっとした。しかし、気を抜いてはいけないと自分を戒める。二人が乗る車を見送ってから、またパスワードの解析に専念してみようと、歩を進めた。  北見のパソコンの前で開いてくれない画面と格闘しながら、優穂はスマートフォンで金田に連絡を取っていた。 「あ、金田?俺、優穂…。」 「優穂から電話、初めてじゃねぇ?…何?急用?」 「…でもないんだけどさ。明日、お前ん家に泊まりに行けたらなって思って…。」 「明日?…実は明日からさ、法事も兼ねて母親の実家に泊まりがけで行くんだよね。多分、三日は戻らないと思うんだ。」 「そうなんだ…。」 「ご免な!帰ったら連絡するよ。」 「うん。待ってるよ。」  肩を落として、次に小学校以来の親友、前原洋治にも電話を掛けた。金田の時と同じように切り出すと、やはり困ったような返事が返ってきた。 「え、明日?…明日は従兄弟が遊びに来るんだよね。多分、優ちゃんの寝場所ないと思うからさ…。ご免。」 「こっちこそ、急にご免。また連絡するよ。」  パスワードも不明で、親友二人にも振られた優穂は、潔くパソコンをシャットダウンした。いっそパソコンを壊してやろうかとも思ったが、どこか安全なサーバーに保存している可能性もあり、無駄なことのように思えた。 ――やることは、まだある。  優穂は初めて家の中を散策した。途中でハウスキーパーとして来てくれている五十代前半といった女性とすれ違う。 「いつも、有難うございます。」  優穂が挨拶すると、女性は嬉しそうに微笑んだ。 「あの、この家を掃除する際に、何か事前に注意する事とか、言われた事ありましたか?」  女性は首を傾げる。 「かなり前からご利用頂いているんですけど、注意された事とかはないです…かねぇ。」  特に得られる情報もなく、優穂は自ら家を調べ始めた。今まで入ったことのない部屋を隈なく見て回り、扉の鍵の有無も確認もした。  鍵付きなのは一階の夫婦の寝室と、二階の書斎だけだった。その鍵は外からも開けられるように鍵穴があり、優穂は籠城出来る場所は自室のみであることを改めて確認した。  ハウスキーパーが帰り、邸宅に一人になった午後七時頃、優穂はあり合わせの材料でパスタとサラダを作った。一人だけの夕食の時間に浸り、食べ終わると、食器の片付けまでして、バスルームへ向かった。浴槽にお湯は溜めずに、シャワーだけで済ます。九時には自室に籠れそうだった。  何気にスマートフォンをいじっていたら、時計は午後十一時を過ぎていた。喉の渇きに耐え切れず、部屋を出て階下のキッチンへ向かう。  家の中は所々常夜灯が頼りなく灯っているだけで、少し不気味な感じがした。足早に冷蔵庫まで行き、ペットボトルの水に手を伸ばした。  その瞬間、背後から男の腕に抱き締められる。 「!!」  声も出せないほど優穂は驚き、体を硬直させた。 「今日は帰らないと思って、安心していたんだろう?」  優穂を脅かす聞き慣れた声に、部屋を出たことを後悔させられた。 「放せ!」  必死にもがくが、一層強く抱き締められる。 「君を驚かせようと思ってね。細心の注意を払ってこっそり家に入ったんだ。…ガレージに車を停める時、気付かれたかも知れないと思って冷や冷やしてたんだけど、…部屋から出て来てくれて嬉しいよ。」  北見は息を弾ませ、優穂の体を無理矢理自分の方向に回転させた。唇が近付くのを察し、優穂は慌てて顔を背ける。 「…帰って来てよかったんですか?母の事を愛しているって信用させないといけないんですよね?」 「彼女は今日は上機嫌でね、急ピッチで酒を飲んで潰れてしまったよ。」  優穂は震える心と戦い、冷静を装う努力をした。 「…今回の件を仕組んだのは、あなたですよね?」 「中々いい計画だったよね。ヌードを描くっていうのがポイントなんだ!」  自画自賛の北見は、隠す気がないようだった。 「仕組まれた事だって、気付いたら母は…!」 「違うよ、優穂君。母親をネタに脅迫しているのは僕の方だ。…母親を傷付けられずに済んでよかっただろう?そのパターンもあったんだから。」 「…傷付けたら、終わりだ。」 「どうかな?…色々方法はあるんだよ。…ねぇ、言う事きいてくれるよね?」  優穂は言葉を発せないまま、首を横に振る。 「ひとつ安心させてあげるよ。…今はまだ準備期間だから、手は出さない。その代わりに、酒の相手でもしてもらおうかな?」 「俺は未成年です。」  逆らう優穂を逃がさないように、北見は彼の手首を強く引く。 「酒を過度に摂取すると、男性機能は鈍るんだ。…僕を酔い潰すことができれば、君の貞操は守られると思わないか?」  そのまま手を引かれ、リビングルームへ連れて来られた。北見は灯りを点け、優穂をソファに座らせると、キャビネットからブランデーのボトルとグラスを二つ持って、隣に座った。 「向こうでは余り飲めなかったからね。…すごく飲みたかったんだ。」  北見は二つのグラスに酒を注ぎ、一つを優穂に渡した。そして飲んでみるように促す。氷すら入っていない原液の酒に、優穂は躊躇させられる。ただでさえ喉が渇いているのに、これを飲むと、更に渇いてしまいそうだ。  それとは対照的に、北見はどんどん酒を煽っていく。 「君がモデルになった絵が数点あったよね。彼女の個展で初めて見たんだけど、それだけは誰にも売らないって言われたんだ。」  再び酒は注がれる。 「…君が十二歳くらいの時の絵かな?あれには二百万の値を付けたけど、断られてね。残念だったよ。普段はネグレクトっぽいのに、その時は息子への愛情があったんだなって思えたよ。」  優穂は少しだけぴくりとする。母親に構ってもらえない事は多かったが、ネグレクトだとは一度も思ったことがなかった。 「…だけど今は全ての絵が僕の家にある。あの絵も今や僕の財産のひとつだ。」  北見が肩を抱き寄せてくる。最悪な客についたキャバ嬢の気持ちがわかる気がした。 「酒、飲めない?」  優穂からグラスを取り上げた北見は、徐にその酒を口に含んだ。そしてそれを優穂の口を捉えて流し込んだ。不意を突かれた優穂は激しくむせ返る。  気管支を含め、喉が燃えるように熱くなった。その苦しんでいる最中、ソファに押し倒され、あっという間にスウェットのハーフパンツを下着ごと下ろされた。 「話が…違う…!」 「君が飲んでくれないからさ…。」  ハーフパンツと下着は遠くに放り投げられ、今度はTシャツに手が掛かる。 「わかったよ!飲むから、やめて…!」  しかし、その願いは聞き入れられず、Tシャツも剥ぎ取られ、全裸の状態でソファに横たえられた。 「…大分、大人になったじゃないか。」  北見の手が恐怖で縮こまっているものを優しく撫でた。拒絶しているにも拘わらず、そこは徐々に質量を増していく。 「…準備…期間のはずだ…。」 「そうだね。だけど、君の方が耐えられないんじゃないのかい?…神経質な君の事だ。僕の気配を怖れて、ずっと出してないんだろう?」  事実だった。優穂は全てが彼の術中だったと今更ながらに気付く。 「だから今日は、君だけをイかせてあげるからね。」  そう言って北見は、先走りの透明の液が浮かんできたそれを口に含んだ。優穂に初めての衝撃が走る。 「嫌だ!…やめて!…あぁっ!…あっ…は…ん…。」  抗う力は減退していく。優穂の怒張を見計らったような強い吸引に、遂に耐え切れず熱いものを放出した。北見はごくりとそれを飲み干す。 「明日の夜は、ちゃんとセックスするからね。そのつもりで待ってるんだよ。」  不敵な笑みでそう告げると、北見は部屋を出ていった。一人残された優穂は体を震わせ、嗚咽を始めた。

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