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第16話「侵入」~PENETRATION~

 午後三時を回った頃、優穂と姫川は北見邸の前に到着した。 「防犯カメラも監視カメラも全て静止画像に差換えたし、人感センサーもオフったから大丈夫。」  キャップを目深に被った姫川が、ノートパソコンのキーボードを叩きながら言った。優穂が鍵を掛け、玄関を開けると、姫川はパソコンを一時的にショルダーバッグに仕舞い、黒い薄手の手袋を装着した。 「手袋するんだ?」 「一応、犯罪者なんでね。」  その言葉に優穂は責任を感じさせられる。 「ご免…。」 「気にすんなって。今のとこ、通報される心配はないと思うし。」  二人は真っ直ぐに二階の書斎へ向かった。姫川は優穂にデスクトップのパソコンの電源を入れると、横にノートパソコンを設置して作業を始めた。 「優穂、メモって。全部小文字でneglect13y。これがこいつのパスワード。」  優穂はデスクの上のメモ帳に書き込みながら、「ムカつくパスワード」と、小さく呟いた。  姫川が速やかにパソコンの中身を探り出していく。 「うん、やっぱりローカルにもおいてたね。根こそぎ削除しちゃう?」 「そうして。」 「はい…デリート完了。後は復元防止もぬかりなく…。」  ソフトに作業をさせている間に姫川が壁一面の本棚を見物し出した。窓寄りの端まで移動すると、本を数冊取り出して何やら探っている。 「何してるの?」 「ここの奥にスイッチがあって、押すと…。」  カチリと音がして、続いて四分割されている本棚の中央二つが、ゴトリとひと棚分後ろへ下がった。そのまま左右に分かれて両端の本棚の裏にスライドしていく。 「隠し部屋的なの登場。…これゲームの世界だろ!」  本棚の裏に隠れていたのは、一畳分幅くらいの狭い部屋で、その幅に収まるような据付のベッドが現れた。その正面の壁には北見が買いたがっていたという、優穂がモデルになった景子の作品が飾られていた。優穂は愕然とする。 「どうして、分かったの?」 「家の設計図データを見たんだよ。隠し部屋っていうより、隠しベッドだね。あの絵のモデル、優穂?」 「うん。十二歳くらいの時のやつ。…こんなところにあるなんて最悪!」  姫川がベッドに上がり込み、コンコンと壁をノックしてみせた。 「この壁を挟んで優穂のベッドがあるんだろう?」 「うん。本当に最悪!」  薄い壁一枚挟んで北見が隣に寝ている姿を想像すると、優穂は虫唾が走って眉を顰めた。彼は時折、優穂が自慰をするのを此処で待っていた事があったのかも知れなかった。 「この引き出し、二つとも鍵付きだね。開けられるかな?」  姫川がベッドのヘッドボードの、二つ並んだ引き出しに目を付けて言った。そしてポケットから小さな折り畳みナイフのような物を取り出した。それを開くと様々な形の細い金属が五本姿を現した。ピッキングツールだ。 「…君って何者?」  優穂の中で姫川のイメージが王子から怪盗に変わっていく。 「俺?姫川燈、十五歳。普通の男子高校生だよ。」 「いや、普通じゃないって。何でそんなの持ってるの?」 「俺の保護者にね、ピッキングツールは何かの時に役立つからって言って、持たされたんだよね。」 「何、その保護者の人!…その人って、何かの組織の人間?」  詮索嫌いの姫川に恐る恐る質問してみる。 「…それには答えられないな。想像だけは自由にしていいけど。」  やはり答えてはもらえず、優穂はもやもやとし始める。その間に姫川が引き出しを開けた。 「…デジカメにCD-ROM、USBメモリー…それとSDカード。」  姫川が引き出しの中身をベッドの上に投げ出した。その中身は容易に推測できた。 「全部、没収しとけば?」 「そうする。」  もう一つの引き出しも開錠された。 「こっちは違法ドラッグ関係だね。…どうする?」 「そっちは放っておくよ。」 「そう?…使われないように気をつけろよ。変態コレクションが全て無くなったって気付いたら、暴走してくるかも知れないぞ。」  優穂は顔を曇らせる。 「そうだね。…これからが戦いだよね。」  姫川がデスク前の黒皮の肘掛椅子に移動して腰を掛けた。 「幾つか提案があるけどさ…。」 「何?」 「ひとつはランサムウェア…身代金要求型ウィルスを使って、奴の会社のデータを暗号化して、その解除キーと引き換えに優穂に手を出さないように約束させる方法。勿論、キーコードを入手後に約束を反故にする可能性はあるから、それ用の爆弾も仕込んでおく。」  優穂は首を横に振る。 「それをすると、警察が介入してくるんじゃない?」 「要求は金じゃなくて、義理の息子に手を出すなって内容だし、公にせずに交渉出来ると思うんだけどな。」  考え込む優穂に、燈は次の提案を述べ始めた。 「もうひとつは、あの自殺した女の子の親に匿名で、自殺になった原因が変態北見であることを密告する。…そしたら、何らかの行動を起こしてくれるんじゃない?事件が明るみに出れば 社会的制裁は免れられない。」 「それは止めよう!」  優穂は即答で拒否する。 「死んでしまってるからって、彼女のあの過去を公表するべきじゃない。このまま原因不明の自殺にしておいてあげたい…。」  姫川は小さく「了解」と言った。 「ご免。…俺的にはやっぱり母親に話さなきゃいけないって思ってる。結婚してまだ一ヵ月くらいしか経ってないし、死ぬほど辛い思いをさせるかも知れないけど。」  いつの間にか傍に近付いていた姫川の手が、優穂の頭をくしゃりと撫でる。 「俺ん家に戻ってから考えよう。取り敢えず、ここを出る準備をしてこいよ。着替えとか、持ってきてなかっただろ?…十五分で準備して。」  姫川がちらりと腕時計に目をやると、優穂はカウントを取られたかのように速やかに準備に移った。優穂が部屋を出てから、姫川も片付けに入る。ベッドの上の記憶媒体の全てを回収して自分のバッグに入れると、本棚を元に戻した。それからパソコンの電源も落とす。  部屋を出ると、隣からボストンバッグとキャンバスバッグを手にした優穂が出て来た。 「何、そのでかいバッグ?」 「これ?B3のパネル張りしたやつが入ってる。…燈を描きたいんだ。」 「ダメだよ。優穂、デッサン力、めちゃくちゃ高いだろ。そんなの描かれたら、俺がこの町にいた痕跡になっちゃうからさ。」 「発表する気はないよ。ただ描きたいだけ。…痕跡っていうなら、燈、学校の生徒から結構盗撮されてたよ。」 「あ…マジで?SNSの類には出回ってなかったみたいだけど…。う~ん、分かったよ。だけど、絶対、表に出すなよ。」 「有難う!」  優穂は頬を紅潮させた。姫川の防御壁が時に緩くなるのを感じる度に、自分への好意なのだと解釈してしまう。  二階ホールへの扉を開け、階段の前まで行くと、姫川が美術品の並んだ棚の所で足を止めた。 「ここの花瓶、どうした?捨てちゃった?」  訊かれて、階段を降り始めていた優穂は、立ち止まって振り返った。 「捨ててないよ。母親の仕事部屋に片付けてる。」 「そう。」  姫川は飾り棚の扉を開き、中を確認する。ペットボトルは回収されているようだった。 「…今度さ、同じことして、あいつを階段から落としてやれば?」 「それ、いいね!やってみるよ。」  予想以上に優穂の反応は良く、思わず姫川は笑いを漏らした。 「何か食べてから帰らないか?」  姫川の住むアパートへ向かう途中、住宅街の入り口付近まで来た辺りで姫川が提案した。どうするか迷っていると、優穂のお腹が鳴った。 「よし!じゃあ、この裏に洋食屋があるんだけど、そこに行かない?…優穂の奢りで!」 「いいよ。…色々迷惑掛けちゃってるしね。」  路地裏へ回ると、白壁に緑の屋根の、まだ真新しい造りの洋食屋があった。中へ入ると、夕食時にはまだ少し早いせいか、カウンター席に中年のサラリーマンが一人と、四つ有るテーブル席のひとつに主婦らしき三人の女性客がいるだけだった。  二人は女性客から離れたテーブルを選んで席に着いた。 「ここ、燈の行き付け?」 「いや。…今日で三回目くらいかな。」  ギャルソン風の若いウェイターが水とおしぼりを持ってきた。続いてメニューを差し出すと、一礼して去っていった。二人でメニューに目を通す。 「わ!洋食屋なのに素麺とかある。俺、これにしようかな。」  意外なメニューに優穂が声を上げた。 「え、嘘だろ?…もっと栄養のあるもの頼めよ。ハンバーグとかさ。」 「知らないの?素麺って、うどんや蕎麦よりカロリー高いんだよ。」  姫川の推奨を無視して優穂は素麺を注文する。対して姫川はオムライスを注文した。 「あのさ…、洋ちゃんが燈のこと心配してたよ。」  ほんの少し生まれた沈黙を破る様に優穂が切り出した。 「洋ちゃん?…って、前原?」 「そう。一人暮らしだし、ちゃんと食べてるのかなって…。洋ちゃんにはプライベートな事も話してたんだね。」 「あいつね…。」  姫川は苦笑してみせた。 「良い人過ぎてさ、気を抜いてると心の壁を取り払われてて…。後で毎回話してしまった事、後悔してたよ。」  優穂は天然で優しい幼馴染を思い出し、深く納得する。 「連絡出来たら、前原家に招待したいって言ってたよ。」  姫川は嬉しそうに微笑んだが、直ぐに寂し気に目を伏せた。 「そっか…。でも、もう会うことないだろうな…。」  姫川が転校してしまう事を思い出し、優穂も胸が締め付けられ始めた。 「保護者の都合って言ってたけど、…燈の保護者の人って…。」 「実はさ、俺、国際的に指名手配されてるんだよね。」  優穂の問いを遮るように姫川が切り出した。優穂は予想外の衝撃を受け、自分の質問を忘れてしまう。 「ペンタゴンをハッキングしたらさ、なんかFBIに捕まっちゃって、その後、CIAに拘束されてたんだよね。」 「え…、じゃあ、アメリカにいたのって、それが理由…?」  優穂が神妙な面持ちになったところで、姫川が吹き出した。 「冗談だよ!…国外の連中に、そんな権限ないから。…信じたの?」 「信じ…たよ!」  優穂は燈の態度にムッとする。目の前で簡単にクラッキングしてしまう技術を見せつけられたばかりなのだ。信じてしまっても仕方がないと、自分自身を擁護する。  文句を言いかけたところで、優穂が注文した素麺が運ばれてきた。素麺の上にはプチトマトやベビーリーフやパプリカが散りばめられており、冷静パスタに近い形になっていた。 「ちゃんと洋風だったな。」 「ちょっと、食べてみる?」  優穂は箸を姫川に渡した。姫川は言われるままに箸で静かに麺を口の中に運んでいく。その静かさに優穂は少しだけ違和感を覚えた。 「もしかして、麺、啜れないの?」 「啜るって、吸うんだろう?一緒に入って来る空気をどう処理しよう…ってならない?」 「ならない。空気のことなんて考えないよ、普通。」 「そう?う~ん、…もっと太いやつなら、考えずに吸えるかなぁ?」  姫川の何気ない返しに、優穂は思わず卑猥な想像をしてしまい、軽くむせてしまった。 「どうかした?」  優穂は慌てて取り繕い、姫川のエロティックな妄想をなかったことにした。

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