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Dinner ‐1‐

想像よりも雑然とした部屋に少しだけ驚いて、少しだけ安心する。会社のデスクは割と整理整頓されているけれど、ちらほらとメモ用紙や付箋が乱雑に置かれている事も多く、目につく事がよくあった。 ジャケットを脱ぎながら、クローゼットから出したハンガーをひとつ渡される。 「お高いスーツ、シワにするわけにはいかないんで」 いつでも葛城はどこかしら上から目線の物言いをする。そのために近寄りがたいイメージを同僚たちに与えていた。相変わらず仕事以外での交流はほとんど持たない。 だから、勘違いしてしまったのだろう。 上から目線の物言いの中にある微かな気遣いと、俺とだけは仕事以外での交流を持っていたから。 玄関から部屋への廊下は男二人がギリギリすれ違える程の幅しかないが、使い込んでいるのがわかるそれなりのキッチンと冷蔵庫と洗濯機が並んでいる。恐らく備え付けのものだ。反対側にひとつだけ扉があったから、きっとユニットバスなのだろう。 扉の向こう側、全体的にモノトーンで統一された部屋で一番目立つのはパソコンデスク。隣には本棚があって、仕事関係の本からベストセラーの小説や漫画もあった。本棚の隣には部屋の広さと比べると、やや大きめのテレビが置かれていた。 向かい側にベッドと、そのすぐ近くにラグマットが敷かれていて、ローテーブルが置いてある。ベッドを背もたれにしてテレビが見れるような配置だ。 「そんなジロジロと人んちを舐め回すように見るのはやめてくれませんかね」 渡されたハンガーにジャケットをかけて持ったまま、立ち尽くしていた俺に呆れたような声をかけてくる。ローテーブルに缶ビールを置くと俺からハンガーを奪ってクローゼットへしまった。 「腹減ってます?冷蔵庫ん中、ろくなもの入ってないの忘れてて」 「いや…大丈夫。それでいい」 促されるまま俺はラグマットの上に座り、葛城はベッドに座る。 沈黙が痛い。 密室に二人きりになるのはずっと資料室での密会の時だけで、他の場所では初めてだ。 わからないから話す、と葛城は言ったが、一体何を話せばいいのだろう。とてもじゃないが、心に秘めた想いなど口には出せない。けれどゲイである事を恥じていないから自分は外でも構わないと言ったのは、やはり密会に関する話だろう。 「課長は」 背後からの突然の声にビクッとしてしまった。どこまでも情けない。惚れた方が負けとはよく言ったものだ。のこのことついてきたくせに、告白するより先にフラレたも同然なわけだから、改めて拒まれる言葉を言われたくなくて緊張している。 もらった缶ビールを飲む事しか出来ずにいると、葛城は躊躇せずに言葉を続けた。 「俺とキスするの、嫌なんですか?」 想定内の話題だが、直球過ぎて答えられない。嫌だったら非力だろうと断固として応じないのに、と心の中で思う。 「……俺はゲイじゃない」 「知ってますよ、そんなの」 返答がため息まじりの声になる理由もわからない。 「ゲイじゃないのに、なんで何度もキスをされるとわかっていて資料室に行くんですか?」 沈黙から理由を悟ってくれと願わっても、葛城は怯む事なくつ問いかけてくる。 「俺のキスが心地良い、なんて理由だけじゃないですよね」 一体、どう答えたら納得してもらえるのだろう。飲みきってすらいない缶ビール程度で酔う程、酒に弱くないのに思考がまとまらず、ふわふわと良い具合に酔っているような感じがする。 「想う相手と気持ちのない関係を続ける方がキツイのかもって、どういう意味ですか」 一番触れて欲しくない失言に容赦なく踏み込まれた。賢く目敏い葛城がその言葉の意味をわからないはずがないと思うのに、何故こんな詰問がごとく俺は言われっぱなしなままでいるのか。 「それ、は」 続きを言葉にするのは憚れて俺はまた黙り込む。残りのビールを飲み干してローテーブルに置いた。 意味なんてひとつしかないのに。 背後で呆れ果てたような大きなため息をつかれたのがわかる。同じくビールを飲み干してテーブルに手を伸ばして空き缶を置く。そのままベッドへ戻ると思った手が俺の頬に添えられた。 ───あったかい 思わず擦り付けようとした自分を叱咤する。もうやめると決めたばかりだ。何より、何度も繰り返されていたキスに込められていた気持ちが一致していないのだから、出来るわけがない。 なのに手の平は頬に添えられたまま、指先だけが動いて撫でてくる。優しさを感じて堪らなくなる。 「……他にも、こうして触れる相手がいるんだろう?」 ずっと触れていて欲しいと思う気持ちとは反対に、俺はその手を振り払った。 「はぁ?何の根拠があってそんな事を言われなきゃならないんですか。つーか、あんた俺の事をそんな風に見てたの」 苛立ちを隠しもしない葛城に腹が立って振り返る。当然、見下ろされていた。それが決して越えられない壁のように思えて悔しささえ覚える。 「あんな場所で、何度もキスをして、あ、足を開かす事も出来るって言ったのはお前の方じゃないか…!」 俺は間違った事など言っていない。お手軽にそういう行為に及べる理由なんてそれ以外に思いつかない。これも坊ちゃん的な考えだと思われるのかもしれない。それでも俺にはそうとしか思えないのだ。 葛城は心底呆れて見下した視線を向けたまま、俺をベッドへと引き上げて押し倒してくる。 「なら、ベッドの上なら足を開いても構わないって事?」 憮然とした物言いにさらに腹が立った。葛城はわかっている。わかっているだろうと思っていたが、確信した。俺が葛城を拒まない理由を。 「違うっ!……俺が言いたいのは」 「気持ちの問題、だろ」 すべてわかっているのに、何故こんな事になるんだ。男に、それも部下に、押し倒されても口だけでしか抵抗らしきものを出来ていないのに。 「あんた、ゲイの事をバカにしてんだろ」 「え……」 「男なら誰でも良くて、落ちそうなヤツなら隙を見てこうして足を開かせてヤれたらいいって」 「ちょっ…やめっ…」 言葉通りに俺の足の間に体を入れて足を開かされた。好きだと思っていても、ここまでされたらさすがの俺もじたばたと抵抗する。 バカになんてしている気はないが、事実現状は葛城の言った通りの状況になっている。必死に抵抗しても、腕力が違い過ぎる事と、ほんの少しの期待が邪魔をして押し退ける事が出来ない。 「俺はあんたを可愛いと思っているよ」 抵抗の末に顔を背ける事しか出来なかった俺に、予想外の声が聞こえてきた。必死だったせいで息も絶え絶えになっているから聞き間違いだったかもしれない。なのに体は一切の抵抗をやめた。 こんな事、言いたくなかった、と不満気な言葉がしっかりと届き、小さな期待が背けた顔を葛城へと向けてしまう。 声質と同じく不満気な表情。 「あんたにムカついて嫌がらせでキスしてたのは否定しねぇよ。あんただってわかってただろ」 ゆっくりと葛城の体が離れていく。合わせて俺も起き上がった。 「なのにあんた、全然嫌がらないし。そのうちキスにも夢中になってくるし。わかんねぇのは俺の方だよ」 どういう意味なのかさっぱりわからない。お互いにわからない事だらけだ。だから葛城は話そうと言ったのか。 「確かに、ヤレたらそれでいいって思う時もあるよ。あんたらと違ってお付き合い、なんてもんがあっさり成り立つわけでもないからな」 「……あっさり、なんて。どんな物事だっていくわけない。例外なんてない」 俺の言葉をどう受け止めたのかはわからなかったが、再び頬に手の平が添えられて、何度も繰り返し続けた中で一番優しいキスをされた。

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