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Supper ‐1‐

大人の付き合いに、明確な始まりの日が存在する事は稀だと思う。特に男はやれ記念日だとかは面倒に思うタイプの方が多い気がする。 個人的には一応、気にはとめておき、相手次第で行動を決めるようにしてきた。 さて、どうしたものか。 切りのいいところで一息ついて眼鏡を外す。疲れるとぼやけたりかすんだりするが、視力的には日常生活に支障はないため、見渡せば部下の姿は見える。一際目立つような気がして視線を向けてしまうのは、今までの習慣なのか、それとも。 あれから一週間が経ったが、特に変わりはない。変わったとすれば、昼食後の密会がなくなった事くらいだ。 密会を続けていた時に抱いていた葛城に対する不信感や不安がまったくなくなったせいか、確かに変化しているのだが、自覚としてその変化を感じないでいる。 あの日以来、キスすら一度もしていないのに、焦りを感じる事もない。子供じみた気恥ずかしい言い方をするならば、想いが通じ合って両想いになったから、だろうか。と、考えて、やはり幼稚な表現に恥ずかしくなって葛城に向けていた視線を目の前のパソコンへ戻した。 しかし、なかなか仕事に集中出来ない。毎日会社でこうして会っているし、食事を共にしてもいる。一週間の間に一度は二人きりで飲みにも行った。俺自身は特別不満はない。 だが、葛城はどうなのだろう。 確かに俺は男同士の恋愛がどんなものなのか知らないが、男女の恋愛にも決まったルールが存在するわけではないのだから、相手次第でどんな形にも変化するという点は同じだと思う。 つまり葛城がどう思っているのか、が重要なのだ。 わからないのなら尋ねればいい。安易にそう考えて、週末だった事もあり部下数人を連れて夕食を済ませた後にうちに来ないか、と葛城を誘った。一瞬だけ目を見開き、神谷さんが構わないなら、と答えた。 人前では今までと変わらず課長と呼ばれるが、二人きりの時は名前を呼ばれるようになったのも変化の一つなのに認める事が出来ていないのは、葛城がごく自然に使い分け、表情を変える事さえないからだ。初めて呼ばれた時の状況が状況だっただけに、ドキッとしてしまう心を悟られたくなくて平然を装っていた。 帰宅してから失態に気付く。誘ったのは俺の方なのだから、葛城の家に押しかけるのは失礼だと思い自宅に招いたが、ここは両親に用意された明らかに給料と見合わない部屋だ。 案の定、葛城は皮肉に笑う。 「本当、恵まれてますよね」 ここで謝るのは火に油を注ぐ行為にしかならない。けれど他に言葉が見つからなくて黙り込んでしまった。 不必要に広いリビングに置かれた複数人が座れるソファへ葛城は遠慮なく腰を下ろす。 「イヤミじゃないですよ。……妬み、かな」 自嘲気味の声に近付いて、隣へ座る。初めて本音が聞けるような気がして俺は黙って続きを待ったが、返ってきたのは可笑しくてたまらないからかいのこもった笑いだった。 「神谷さんは本当に…」 「なんだよ」 「わかりやすい」 「悪かったな」 期待が外れて不機嫌にジャケットだけ寄越すように促す。それもわかりやすい行動だったと自覚したのは、クローゼット代わりに使っている部屋へジャケットを片付けた時だった。 すでに軽くアルコールが入っているため、インスタントコーヒーを出すと、あんたもこんなもん飲むんだ、とまたからかわれた。 「お前と違って俺はこの程度の事くらいしか自分では出来ないからな」 すると少し驚いたような顔をしてからすぐに納得した表情を浮かべる。 「そういやうちに来た時、じろじろと観察しまくってたもんな」 使い込まれたキッチンの事だろう。この部屋のキッチンはほとんど使われた事がない。活用されているのは冷蔵庫と電子レンジくらいだ。 コーヒーを口にする葛城を見ながら、俺は安易な考えだとわからずに自宅へ招いた理由を単刀直入に言う。 「葛城は、俺たちの事をどう思っているんだ?」 「……はい?」 「いや、だから…その、付き合っ…て、る…んだよな?」 「疑問系なんだ?」 言葉選びを間違えたのだろうか。葛城の口調が不遜な態度に変わった。 呆れた様子でソファへもたれかかる。俺はやはり黙る事しか出来ずにいた。 「あんたはどうなんだよ」 「どうって…」 「男同士のお付き合いとやらが、どんなもんなのかわかってんの?」 「どうもこうも、付き合い方なんて人それぞれなんだから、男同士でも男女でもお互い次第なんじゃないか?」 思っているままに答えると、ソファにもたれかかったまま鋭い視線だけが俺を捕らえる。その奥にある正体のわからない何かに怯みかけた。 「本気で言ってんの?」 ゆっくりと起き上がって俺の体を拘束するようにソファの背もたれに押し付けられる。 「オトナなんだから、付き合ったらどんな事をするのかくらいわかってるよな?」 怯んだまま浮かんだのはたった一つだけだ。この一週間、俺が焦りや不安を感じずにいられたのはすべて葛城が背負ってくれていたおかげだという事と、視線の奥にあるものの正体もやっとわかって、怯んだ気持ちはどこかへ消え去る。 「俺は逃げないし、お前を離す事もしない。好きなんだから、当たり前だろ?」 そもそも驕りだとしても、声をかけてきっかけを作ったのは俺だ。戯れに応じ続けたのも俺なんだ。 今さら性別ごときの差などに戸惑う気持ちは一切ない。それこそオトナなのだから、経験がなくとも知識はある。 虚を衝かれたように今度は葛城が怯んだ様子を見せた。可笑しくて笑うと不機嫌に顔が歪む。その頬を両手で包んで、一週間ぶりのぬくもりに気持ちが高ぶるのがわかった。 「もう少し、俺の事を信用しろよ。それから…もっと、俺の知らないお前の事を教えて欲しいと思ってる」 葛城は不機嫌な表情のまま目を閉じて、あんたの手はやっぱりあったかいな、と言った。

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