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Brunch ‐2‐
目が覚めた時に同じベッドで眠っている誰かがいる、という状況に嬉しさを感じたのはどれくらいぶりだろう。無防備にすやすやと眠る神谷の姿は俺に安心感さえ与えてくれた。
自分が男にしか性的欲求を抱けないのだと自覚した時は、ひたすら混乱したのを覚えている。当たり前に友人たちと同じように、性的欲求は異性へ向かうものだと思っていたからだ。
初めての経験は、高校に入学して始めたバイト先の先輩。告白されて、ただただ嬉しかった。特に好きだったわけではなかったけれど、同性が恋愛対象である人と出会えた事に、嬉しさは好きだという気持ちへあっという間にシフトした。
誰もが初めて恋人が出来た時には盲目になるものだと思う。俺も例外なく、それはもう夢中になった。
しかし現実は甘くなかった。
相手が悪かったのかもしれない。
そいつには恋人とやらが複数いたのだ。当時の俺は若さ故に純粋だったから理解出来なかったし、そいつを責めた。
返ってきた言葉は、浮かれきっていた俺をあっさりと奈落の底へと突き落としてくれた。
『ゲイに純愛なんてもの、あるわけねぇだろ。お前だって良い思いしたんだから、それでいいじゃん』
さらにそいつは自由恋愛だとか言って、俺にも他の相手を探せとまで言ってきた。
許せなかった。
悔しかった。
きっかけが不純だった事は認めるが、付き合っていく日々の中で俺はそいつを本当に心から好きだと思っていたから。
思わず殴ってしまってバイトはクビになった。当然、親にはむちゃくちゃ怒られたし、理由も問われたが言えなかった。
それでも僅かに残っていた希望を捨てきれずに、何度か告白をした事もある。それは好きだと告げる事だけではなく、俺がゲイだという事実だけを打ち明ける事も含めて、だ。
結果は言うまでもない。
大学に入る頃には俺もそいつと大差ない付き合い方をするようになっていた。
万人に理解してもらおうなんて気はなかったし、その頃には自分がゲイである事を受け入れていたから恥じる事もなく、気の合う相手がいれば充分だった。
それが何故だろう。隣で眠る神谷に、幼い子供のような感情を抱いてしまった。きっとこの人が良い意味でも悪い意味でも素直だからだと思う。懐かしいくすぐったい気持ちに、良い意味で居心地の悪さを感じたと同時に空腹を訴える音がして、お飾りなキッチンへ向かった。そしてすぐに落胆する。
確かにお飾りなのは一目でわかったし、本人も昨夜インスタントコーヒー程度の事しか出来ないと言っていたが、ここまで酷いとは思っていなかった。
一人暮らしには大き過ぎるサイズの冷蔵庫の中には、500mlのミネラルウォーターと缶ビール、要冷蔵のほぼ使った形跡のない調味料。恐らく缶ビールのおつまみと思われるものしか食材は入っていない。あとは申し訳程度に冷凍食品があるだけだ。
せっかく、少し格好つけたかったのに。
再び浮かんだ幼い感情を振り払おうとしていたら、神谷が起きてきた。まだ少し眠そうな顔をしながらも、俺の言葉に反応してくれるのが嬉しい。
一通りからかって満足した俺は、少し早めの昼食を外でする事を提案してみるが、あまり気が乗らない様子だ。
「寝起きだし、コンビニで何か買ってきますよ」
そう言った俺に神谷は違うと言い張るものの、やはり煮え切らない感じがする。泳ぐ視線を両頬を包む事で捉えてやる。
「なに?どうしたの」
「……お前たまにそうやってなんかちょっとズルイ事するよな」
「はい?」
両頬を包む俺の手に神谷は自分の両手を合わせて目を閉じた。
「……昨夜、の、事…な、んだけど」
真面目に話したら居た堪れなくなりそうで、先に茶化したのに直球でくるのか。こういう素直だけど少しズレてる感じもいいなぁと思ってしまうのが気恥ずかしい。
「昨夜の事、後悔してるんですか?」
「ち、違う!そうじゃなくて、なんて言えばいいのか…」
否定するために開かれた裸眼は真っ直ぐに俺を見つめている。俺と自分の手で包まれた頬が微かに赤らんで熱を持ち始めた。神谷だけではなく、俺の熱もその頬を熱くしていく。
「じゃあ…良く、なかったとか」
正直これはないな、と思うがとりあえず聞いてみる。物理的に良かったとしても、寝て起きたら後悔する、なんてのはノンケによくある事だ。でも、これはすでに否定された。
ふるふると頭を振って俯いた顔を無理やり上げさせる程、俺は意地悪くない。
「……い、いれ、なかったじゃないか」
「……あんたね、なんて事を言い出してんの」
包んでいた頬をぎゅっと押し潰してやる。当然、整った顔が不細工になる。それでも構わずにぎゅうぎゅうと押し潰し続けた。
「何もないのに、最後まで出来るわけないでしょーが」
そもそもそれが目的ではなかったわけだし、俺の家ならともかくこの家に必要なものが常備されているわけがない。
「別に入れなくてもセックスはセックスでしょ。女はどうか知らねぇけど、入れたいならそれなりの準備ってのが必要な事くらいあんただって知ってんじゃないの?」
押し潰し続けていた両手を離されて、神谷が睨み上げてくる。なんだかんだで上司に睨まれると怯んでしまうのはサラリーマンの悲しい性か。
「ある」
「え、なにが」
「だから、必要なもの」
「え?えぇ?なんて?あるって…」
そうだった。この人は年上で、それなりに経験もあるのだろうし、男同士のみの行為ではなく、男女でも行われる事もあるのだから、知識があってもおかしくはない。でもまさか、このたった一週間の間に準備を整えていたとは思わなかった。
「かみ……。あつひろ」
熱が体中を駆け巡る。お互いが良ければ俺は挿入に拘らない。しなくてもいい、とは言わないが、しなければならない事だとも思っていない。
もう一度、今度は撫でるように頬に触れたら、神谷は少し困ったように笑う。
「子供みたいだよな」
まるで初めて恋に落ちたかのように浮かれて期待して、想像して不安になったり。
「とりあえず、ブランチに行くか」
甘い雰囲気をぶち壊した俺の腹の音に、困ったような笑顔は満面の笑みに変わる。
「健人」
名前を呼ばれて俺は敦宏に差し伸べられた暖かい手を握りしめた。
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