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麝香

「中間管理職の、おっさん……?」 きっと今、大層間抜けな顔をしているに違いない。 目を見開き、頭上では幾つもの疑問符が犇めき、あんぐりと口を開けている。 最も気に掛かった言葉を復唱するも、結び付けられる事柄を見付けられるはずもなく、一層戸惑いを深めて暫し固まってしまう。 予想の斜め上をいく事態に、これから何が起ころうとしているのかますます分からなくなり、胸裏が騒がしくなるも答えは見出だせない。 え、なんで……? さっきまで何の話をしてたっけ……。 恨み、仇討ち……? その、おっさんに……? いや、なんで!? 「え? なんで……。え、ちょっと待って下さい」 「はははっ、動揺し過ぎだろ!」 「二井谷」 「いや、だってなぁ、おもしれえだろ。お前も」 あからさまに動揺すると、一部始終を眺めていた二井谷が大笑いし、傍らから静かに制されている。 右から左へと流れ、ろくに話を聞かぬまま物思いに耽るも、時間ばかりを浪費して頭が疲れてしまう。 「薊さんと……、何の関係があるんすか?」 「おいおい、お前。何でもかんでも薊さんに直結させんなよ。関係あるわけねえだろ、あの人が」 「え、じゃあ……、アンタ達と?」 「バカ、お前……。何を聞いてたんだよ、さっきまで」 「さっきまで……?」 顎に手を添え、思い返せば先程の会話がすぐにも蘇り、これから仇討ちすると二井谷が言っていた。 驚いて失念していたが、件の人物の不幸を願う依頼者がいる事も明かされており、彼等が代わりに恨みを晴らそうとしている。 そんな……、普通に暮らして、仕事してる、ただの一般人じゃねえか……。 相手だって、きっとそうだよな……? 視線を泳がせ、口にせずとも心の声が感情を揺さぶり、本来なら交わらない世界がどうして混ざり合っているのかと混乱する。 「薊さんは、関係ない……。そう、だよな……」 呟いて、ひっそりと言い聞かせるように頷く。 でも、彼等と仲間であるからには、詳細を知っているのだろうかとも過る。 「その、なんで……、そいつが? 依頼者とやらに、恨まれてるんすよね?」 「ああ、そうだな。酷い上司だったらしいなあ」 「上司……。て、部下なんすか?」 「元な」 由布は黙り、二井谷は助手席から外を窺いつつも、問いには答えてくれる。 幾分かは冷静になり、会話によって状況も少しずつ整理されてはきたが、だからといって納得は出来ていない。 「どうやって……、知り合えたんですか? アンタ達と……、住む世界全然違うじゃないすか」 「あ? さあな、ンな事どうだっていいんだよ。金になりゃいい。それに……、こっち側の入口なんてな、何処にでも転がってるもんなんだよ。必要ねえ奴は気付かず素通りするだけでな」 「そんなに……、恨んでんだ。アンタらなんかに、自分から関わるくらい。汚点残すようなもんじゃねえか……」 「おいおい、言葉に気を付けろよ。依頼者には俺会ってねえけど、黒瀧曰くかなりやつれた顔してたってよ。復讐しか見えてねえなんて、不幸な奴だよなあ」 「黒瀧さん……?」 「ああ、元々アイツから振られた仕事だからな。ん~、窓口みてえな? そういうもん」 由布に喋り過ぎるなよ、と横槍を入れられるも、二井谷は軽口を叩いて情報を提供し、笑っている。 入口なんて何処にでも転がっている。 それはそう、確かにそうだと思考を巡らせる。 それでも、頭では分かっていても呑み込みきれなくて、自分は何にショックを受けているのだろうかと考えるも、靄がかかるばかりで言葉が出てこない。 なんで……? そればかりが占めていて、後に続く台詞なんて見当たらず、思えばずっと頭を悩ませている。 「お」 「来たな」 「よしよし、いい子だな」 難しい顔をしていると、監視を続けていた二井谷が声を上げ、由布も外を見つめて声を上げている。 にんまりと二井谷が笑み、標的であろう人物を眺めながら子供でもあやすような台詞を紡ぎ、次いで由布と視線を交わらせる。 「とちるなよ」 「任せろ」 「お前にもしもの事があったら……、代わりは幾らでもいるからいいか」 「おい!! そこはもっとこう、激励とかする場面じゃねえの!?」 「行けよ。見失うぞ」 「へいへい。お前ってそういう奴だよ」 不服そうな二井谷を余所に、由布は追い払うようにしっしと片手を振っており、ぶつくさ言いながら再度外へと視線を向ける。 施錠が外れた音を機に、助手席のドアを開けて二井谷が飛び降り、振り返ることもなく閉めて歩き出していく。 「え?」 躊躇いもなく、余韻も残さぬままに飛び出してしまうので、思わず運転席と助手席の間へと突っ込み、二井谷の後ろ姿を目で追う。 一定の距離を保つ先には、一人の男性が鞄を持ちながら歩いており、仕事を終えて帰路についている。 きっと昨日と同じ、いつもと変わらぬ日常を過ごしていると疑わず、家に帰れると確信しているだろう。 追っ手に気付かず、度々行動を見張られていただなんて思うわけもなく、黙々と夜道を歩いている。 二井谷といえば途中から、着ていたパーカーのフードを被り、とても追跡しているようには見えない。 次第に姿が遠退くと、これまで鼓動を止めていたワンボックスが息を吹き返し、由布がハンドルを握る。 運転席と、二井谷の後ろ姿を交互に見て、えもいわれぬ焦燥感に駆られていく。 「俺……、あの、二井谷さんについて行っていいすか!?」 「あ? 先に言ったはずだが」 「邪魔はしない。詮索も……、しない!」 「信じられるかよ」 「止めたりなんか……、しない。しないから!」 「あ、おい!」 早くしないと見失ってしまう、と気が急いて、許しを得ぬままに後部座席のドアを開けると飛び降り、一目散に走っていく。 「だから嫌だったんだよ、ガキのお守りなんか」 夜であろうと全力で駆けていく様は目立ち、車内から視界に収めながら舌打ちすると、由布は盛大に溜め息を漏らして額に手を当てている。 しかしそんな事は当然知れようはずもなく、二井谷に追い付くべく前を見据えて追い掛けていた。

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