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麝香

座面へと手を添え、身を乗り出しながら窓を見つめれば、外界が映り込む。 空を見上げると、相変わらず一縷の煌めきすらも無く、深い闇を湛えている。 今にも降り出しそうな、泣き出しそうな衝動を堪えるかのように、殻に閉じ籠もった曇天が広がる。 わき上がる想いはあれど、上手く言葉には出来なくて、ただただもどかしい。 僅かに唇を開いて、じっと夜空を見つめて、孤独に震える瞳は憂いを帯びる。 流されるまま濁流に呑まれて、やがて自分は何処へと打ち捨てられるのだろうか。 「おい」 物思いに耽れば、不意に助手席から声を掛けられ、我に返って視線を向ける。 すると、暫くは進行方向を見つめていた二井谷が、再び後部座席へと身を乗り出して此方を窺っている。 「……なんすか」 「後ろに毛布あるからさ、そいつに掛けといて」 「え……、毛布?」 「おう、見られると面倒だからな。念には念をってやつ? ハッ……、今……。俺スゲエ、プロっぽいことを言ってしまったのでは……?」 すかさず運転席から、そうでもないと言われて突っ掛かる様子を目の当たりにしつつ、立ち上がって背凭れを手で押さえ付け、後ろを覗き込む。 薄暗い座席には、確かにそれらしい物が陣取っており、体勢を立て直してから取りに移動する。 程なくして、無造作に置かれていた墨色の毛布を掴み、抱えて戻りながらやり取りを思い返す。 一瞬、二井谷が標的を憐れんでいるのかと思ってしまった。 現状を考えれば、そんな事は有り得ないと馬鹿でも分かるだろうに、情けに期待を膨らませていた。 僅かでも、親しみや好感を抱けるような部分を必死に探して、彼等を受け入れる事に労を費やしている。 善ならばある、誰にでもきっとあると、心の何処かで二人を肯定する為の理由を懸命に求めている。 「ああ、それそれ。外から見ても何だか分かんねえように、しっかり掛けとけよ?」 抱えて戻れば、見上げながら二井谷が声を掛け、指し示して促す。 言われた通りに、塞ぎ込む標的へと丁寧に被せ、特に爪先から見られないよう入念に隠す。 不意の刺激に、一瞬びくりと身体を震わせるも、柔らかな質感に覆われてすぐにも男は大人しくなる。 「これでいいですか」 「おう、上出来」 ぶっきらぼうに窺えば、にんまりと笑みを返される。 一度痛め付けられてからは、哀れな贄は無抵抗に横たわるばかりで、置物のように座席を占拠している。 毛布を掛ければ、いよいよ肩身が狭くなってしまい、後ろの席に移動しようかと視線を巡らせる。 「随分と寂しいところに入ってきたなあ。道、ホントに合ってんのか?」 「きらびやかな繁華街に呼びつけられるよりは信憑性あるだろ。お前の言葉なんか端から信用しねえけどな」 「しろよ!」 会話に耳を傾け、中腰で外を窺えば、灯に乏しい町並みが視界を過る。 心を閉ざすかのようにシャッターが下り、暗鬱とした空気が漂い、忘れられてしまった情景が次々に目の前で流れていく。 「この辺だな」 由布が呟き、速度を緩めて視線を巡らせ、二井谷も倣いながら周囲を見回している。 「お、アレか」 「……アレだな」 間もなく、声に導かれながら顔を向けると、暗がりに人影が浮かび上がる。 異様な光景に目を見張るも、逸らせないまま耳を傾け、由布と二井谷の動向を逃さぬよう集中する。 視界には、空き地で佇みながら顔を向け、此方を窺う者が一人、二人と複数映り込み、冷めた瞳からは心情を容易に探れない。 「うわあ、修羅場」 「アイツが首謀者だな」 「黒髪ロングのお嬢さん。アレ、可愛いじゃん。一緒にお持ち帰りしたらお得なのでは?」 「余計なことすんな」 「何だよ、冗談通じねえなあ」 「隙があればやる気だろ。余計な揉め事は起こすな」 停車し、暗がりを覗きながら由布と二井谷が喋り、どうやら此処が目的地で間違いはないらしい。 証拠に助手席では、おもむろにダッシュボードの中を漁り、何やら取り出して無造作に衣服の物入れへと仕舞い込んでいる。 「んじゃ、行きますか」 「あの……」 「あ? 何」 「俺は、どうしたら」 施錠を外し、早速降りようとする二井谷へ、咄嗟に声を掛けてしまう。 発してから気まずくなるも、一瞥してから二井谷は唸り、頭を掻きながら由布へと振り返る。 「何だ」 「仔犬くんがきゅんきゅん鼻鳴らしてる。お前どうすんの?」 仔犬? 何の話だ、と思いつつ見守れば、由布は憮然としたまま視線を寄越し、次いで深々と溜め息を漏らしている。 一瞬ムッとするも、答えを待たずに二井谷はドアを開け、早々に降りてしまった。 「いいか……、何も喋るな。出来るんだろうな」 「……はい」 「返事だけはいいな」 紡いでから由布も降り、暫し静止して考え込む。 「これって……、いいって事か……?」 分かりにくいにも程がある、と悶々とするも、気付けば由布が二井谷の傍らへ移動しており、慌ててドアを開けて後を追う。 そうして降り立ち、息苦しい車内から解放され、そよぐ風を心地好く感じる。 由布を挟み、三人で肩を並べていると、前方からは誰かが向かってくる。 黒髪を靡かせながら、少女としか思えないような美しい女が、微笑を湛えて歩を進めている。 自信に満ち溢れた足取りで、全てが思い通りになるかのような高慢さを覗かせ、臆することなく一同を見つめている。 「ちゃんと来てくれたんだ。騙されたかと思った」 視線を奪われていると、やがて目前にて立ち止まって笑みを深め、鈴を振るような声を聞かせる。 傍らの様子を窺えば、車内での様相から一変し、顔色一つ変えずに現れた者共を見定めている。 少女の隣では、同じ色の髪を風に揺らめかせている青年が居り、此方も動揺なんて微塵も湛えずに事の行く末を見守っている。 沈黙が流れ、落ち着かず視線を泳がせていると、更なる者達が奥から現れる。 目を凝らせば、押さえ付けられながらも抵抗しているように見え、刹那で脳裏を駆け抜けていく車中での出来事に、本来の目的をようやく思い出す。 「そいつか」 これから起ころうとしている現実を、嫌でも理解していく。

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