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麝香

今にも触れられ、息遣いすら感じられそうな距離には居ても、目には見えない壁が存在している。 最後尾にて、莉々香といえば車窓から外ばかりを眺め、微動だにしていない。 走行中の為、景色は移り変われど暗がりに紛れ、きっとろくに町並みなんて見えてはいないのであろう。 それでも、袋小路へと追い詰められた現状では、羨むように外界だけを視界に収めているほうが、遥かにマシに違いない。 「……アンタさ」 一瞥して、視線を泳がせてからもう一度見つめ、遠慮がちに言葉を紡ぐ。 由布や二井谷に気取られぬよう声を潜め、前方でのやり取りに細心の注意を払いながら気に掛け、莉々香から時おり視線を逸らす。 「何……、やったんだよ。なんで、あんな奴等に目ェ付けられて」 放っておけばいいものを、重々しい沈黙に耐えかねて不躾な問いを振りかざせば、いつの間にか視線を注がれている。 「そんなの……、アタシが知るわけないでしょ。こっちが聞きたい、何なのよアンタ。どういうつもり……?」 睨めつけられ、軽率な言動を悔いるも、更なる重苦しい沈黙がのし掛かる。 彼女にしてみれば、黒衣の者であろうと、由布や二井谷であろうと同類であり、大して変わらない。 そしてそれは、俺のことも……、俺も同じ……、そりゃそうだよな……。 何処から見ても一味であり、正当な怒りをぶつけられて怯み、言葉を濁す。 明らかに空気を悪くしてしまい、前方を注視しながら口を開くも、言えないままに何度も呑み込む。 傍らを盗み見れば、薄暗い車内でも衣服の汚れに気付き、足には痛々しく怪我をしている。 何処へ向かっているのか分からず、これから何が起ころうとしているかも不明で、自分は今どういう選択を迫られているのだろう。 俯いて、心細そうに手を組んで、縋るように指を擦り合わせながら思考を巡らせ、懸命に考える。 悩む必要も、苛む権利すらないのに、非力な両の手がそれでも何かを掴もうと必死に抗って、取るべきものをずっと探している。 「……アタシ、どうなるの」 物思いに耽れば、知らぬ間に様子を窺っていたらしい莉々香が声を上げ、弾かれたように顔を向ける。 すると一瞬、目が合ってから彼女は外を眺め、憂いを帯びた様相が窺える。 先程よりは幾分か落ち着き、いや、諦めたような投げやりな雰囲気で、莉々香は静かに夜を見ている。 「……分からない」 「は? 何よ、それ。ふざけてんの?」 「ホントに……、分からない。何にも、聞かされてねえし」 「……下っぱなわけ?」 「そ……、そういうわけじゃ……」 明らかにそうなのだが、素直に認めるのは癪で言い返そうとするも、どんどん弱々しくなっていく。 けれどもそれが、莉々香の心情を僅かに和らげたようであり、築かれていた壁が少しずつ崩れていく。 「何か……、アンタは違うんだね」 「え? 違うって……、何が」 「ん~……何か、ザコっぽい?」 「ちょ」 「あいつらとは……、何か、違う? でも、信用してはいないから」 「ま……、それが賢明だと思う。こんなところにいる奴なんか、ろくなもんじゃねえし」 「そうだね。アタシも含めて」 「いやアンタのことは言ってねえし」 「いいの。分かってるから」 ぽつり、ぽつりと会話を続かせ、極力莉々香を見ないように努める。 彼女も周囲を警戒し、窓から外を眺めながら小声を聞かせ、気が付けば刺々しい空気が多少緩んでいる。 「足……、大丈夫かよ」 眉根を寄せ、心底心配そうに声を掛ければ、おずおずと莉々香が足を擦る。 「もう最悪……。アイツだけは絶対に許さない」 「アイツらって……、何なんだ?」 「そんなのアタシが聞きたい。何であんな奴等に応じてアタシをこんな目に? てアンタじゃ話にならないか……」 勝手に完結されてムッとするも、その通りではある為に返す言葉もない。 「アンタって、何なの? 仲間なんでしょ? アタシのこと騙そうとしてんの?」 「いや、俺は……、そういうつもりじゃ」 「ないよね。何か不器用そうだし。使い分けるとか絶対に出来なさそうだもん、アンタ」 それはそれで納得がいかないものの、彼女から徐々に警戒心が薄まっていくのが分かり、口数も増える。 自由には話せないけれど、それでも心を開かれたような気がして救われた気持ちになり、仲間が出来たと錯覚しそうになる。 そうして同時に、このままではいけないと力強く芽生え、彼女を放ってはおけないと案じていく。 「さっきの女とは、面識あんの……?」 「ないと、思うけど……、よく分かんない。アイツはアタシのこと知ってたし……。でもあんな気味悪い奴会ったら忘れないし、やっぱ知らないと思う」 「そうなんだ。じゃあ何で絡まれたんだよ」 「それは……、漸が」 「漸?」 「漸と……、話した、から……?」 「え? たったそれだけで? あ、さっきのは彼女だったとか?」 「それはない、絶対にない。彼女になりたい奴は、そりゃいっぱいいるだろうけど、でも付き合ってる人はいないと思うし、そういうの、興味ないと思うんだよね。何となくだけど……」 外を眺めていた莉々香はいつしか正面を向き、俯きながらも経緯を語る。 自分でも整理していくかのように、言葉を選んでは記憶を遡らせており、そんな彼女を時々見つめる。 それにしても、どのような因縁が絡んでいるのかと思えば、どうやらたった一人の男によって狂わされたらしい。 女って怖いな、という感想を胸中で漏らしつつ、漸と呼ばれた者にも純粋な興味が溢れ、どのような人物なのか気になっていく。 「そんなイケメンなのかよ……」 「アンタもまあ……、そこそこいい線いってるけど比べものになんないから。太刀打ち出来ない。イケメンていうか……、そうなんだけど、綺麗なんだよね。そういう表現のほうがしっくりくる」 何だか物凄く失礼なことを言われた気がするも、聞き流して漸について整理すればする程、本当にそんな奴がいるのかと不思議で仕方がない。 綺麗な男? 男に綺麗ってそんな奴いるかよ。 反射的に考えてからふと薊が過り、いや……いたわ……とすぐに改める。

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